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2008年1月25日 (金)

もののあはれ考(続)

“もののあはれ”について「本居宣長」を書いていた頃の小林秀雄が江藤 淳と対談し、三島の死について意見が分かれていたのが面白かった。それを抜粋しよう。「対談集 歴史について」(文藝春秋 昭和47 63~p65)

江藤 三島事件は三島さんに早い老年がきた、というようなものなんじゃないですか。

小林 いや、それは違うでしょう。

江藤 じゃあれはなんですか。老年といってあたらなければ一種の病気でしょう。

小林 あなた、病気というけどな、日本の歴史を病気というか。

江藤 日本の歴史を病気とは、もちろん言いませんけれども、三島さんのあれは病気じゃないですか。もっとほかに意味があるのですか。 

小林 いやァ、そんなこというけどな。それなら、吉田松陰は病気か。

江藤 吉田松陰と三島由紀夫とは違うじゃありませんか。

小林 日本的事件という意味では同じだ。僕はそう思うんだ。堺事件にしたってそうです。

江藤 ちょっと、そこがよくわからないんですが。吉田松陰はわかるつもりです。堺事件も、それなりにわかるような気がしますけれども・・・。

小林 合理的なものはなにもありません。ああいうことがあそこで起こったということですよ。

江藤 僕の印象を申し上げますと、三島事件はむしろ非常に合理的、かつ人工的な感じが強くて、今にいたるまであまりリアリティが感じられません。吉田松陰とはだいぶちがうと思います。たいした歴史の事件だなどとは思えないし、いわんや歴史を進展させているなどとはまったく思えませんね。

小林 いえ。ぜんぜんそうではない。三島は、ずいぶん希望したでしょう。松蔭もいっぱい希望して、最後、ああなるとは、絶対思わなかったですね。

三島の場合はあのときに、よしッ、と、みな立ったかもしれません。そしてあいつは腹を切るの、よしたかもしれません。それはわかりません。

江藤 立とうが、立つまいが・・・?

小林 うん。

江藤 そうですか。

小林 ああいうことは、わざわざいろいろなこと思うことはないんじゃないの。歴史というものは、あんなものの連続ですよ。子供だって、女の子だって、くやしくて、つらいことだって、みんなやっていることですよ。みんな、腹切ってますよ。

江藤 子供や女の、くやしさやつらさが、やはり歴史を進展させているとおっしゃるのなら、そこのところは納得できるような気がします。だって希望するといえば、偉い人たちばかりではない、名もない女も、匹夫や子供も、みんなやはり熱烈に希望していますもの。

小林 まァ、人間というものは、たいしてよくなりませんよ。

江藤 それはそうです。

小林 どうしたらいいんですかね。僕は、いろんなこと考えましたが、結局キリスト教というのはわからないと思った。わかりません。私には。宣長のいっていることは、私にはわかるんです。しかし、徂徠もそうだが、武士道などには何の関係もない、つよいがおだやかな人だったから、妙な言い方になるようだが、二人とも憤死なんですよ。

江藤 それを小林さんは、『本居宣長』の最初にお書きになっていらっしゃいますね。葬式についての気の配り方、あれは憤死だからこそああなんでしょう。

小林 そうです。全然二人とも孤独だったんです。(以下略)

ここでは、保守の論客とされた江藤が小林にかかれば、むしろ左翼的な進歩主義者の感がするではないか。

「本居宣長」で小林は“もののあはれ”を次のように追跡している。(「本居宣長」新潮文庫[上]p150)

「源氏」の歴史的位置を、外側から計り、指す事は出来ようが、この位置について、精いっぱいの体験を語って、これを完成した姿に創り上げたのは、式部の自己の内部の出来事に属する。宣長が「無双の妙手」という言葉を使う時に、はっきり感得していたその出来事であり、従って、この妙手によって、その時代の為に仕上げられた「おろかに、未練なる」「児女子の如くはかなき」物語が、後世に向かって通路を開き、そのまま人心の変らぬ深処を照明するもの、と彼に映じたのは当然な事だ。それは、彼が無私の名の下に、自己を傾け尽くそうとする学問の制作過程の内部で起った、全く自然な出来事だったと言ってよい。 

アカショウビンも更に宣長、小林の説くところを辿って思考していきたい。

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コメント

この対談、まだ全部は目を通していないが、引用の箇所は小林の歴史観がよく解っておもしろい。
‘歴史とは詰まるところ思い出だ’と云った小林は典型的な日本人という印象を持ちました。
つまり精神史的蓄積も思想史的吟味継承もない日本において、思想にも時間的蓄積が欠落しているという‘伝統’があるわけです。

江藤の三島事件の捉え方がおおかたの常識的見解だと思うが、時代錯誤的なパフォーマンスの中に己の美意識を主張した三島は、やはり皇国少年の逆説的怨念を戦後の世間に叩きつけたかったのではないだろうか。
いちど小林の歴史観と田中正造の歴史観を対談で闘わせてみたいと想像してしまいました。

投稿: スタボロ | 2008年1月28日 (月) 午前 04時10分

スタボロさんへ
 おっしゃるところは小林が戦前・戦中に先の大戦に関わった責任を問われる中で「言質」として必ずといってよいほど槍玉に挙げられる「歴史観」です。「精神史的蓄積」と「思想史的吟味検証」をしない典型的な日本人である小林秀雄の限界は、戦後日本思想史のなかで殆ど「定石」のように指摘される事柄かもしれません。
 小林を擁護するのは分が悪い(笑)のを承知で言うなら、小林が「感想」を途中で終えて、「本居宣長」を最後の仕事にしたのは、そのような歴史観を国学者・宣長の思想を通し回答を出そうとしたのかもしれません。これはアカショウビンの憶測に過ぎませんが。
 歴史とは何かを考えるときに、ドイツ語でhistorish(史伝的という訳語をとりあえず付けておきますが)と Geschichte(こちらが日本語でいう歴史でしょう)という二つの語を与えている事です。小林が言った「思い出」は前者の意味であると思います。「思い出」は物語ることができるからです。戦前は神話的な物語が歴史として教科書で子供達に教えられてもいました。最近の教科書論争はそれがまたぞろぶり返しているわけです。
 それはともかく。おっしゃるところの、思想的にも時間的蓄積が欠落している「伝統」は、昨今の政治・マスコミ状況をご覧になって慨嘆されての事と思いますが。歴史観というより歴史事実の経過と思想背景の分析と反省を怠りやすい政治家・マスコミは日本に限らず、どこの国でも同じではないでしょうか。もっとも小林は「オレは馬鹿だから反省などしない」と居直った事が糾弾されたわけですが。これも敢えて小林の内心に立ち入って言えば、国が戦争という行為に踏み切った時に進んで戦場へ赴くと決心した自分の気持ちに偽りはない、というのが真意でないでしょうか?であれば、中国との戦争に嫌気がさしていた国民感情に対し、敵は英米、と何やらふっきれた気持ちになったと記されている文学者たちの心情と国民感情は底で通じていると思います。しかしながらもっと分析すべきは一批評家の啖呵などではなく戦争に至る経過と思想背景の分析でしょう。それは丸山眞男の仕事は大いに参考になると思いますし、これも昨今の丸山観を読むと批判的に継承されているのを知ることができます。
 先の小林・江藤対談で小林が三島事件や吉田松蔭の死罪、堺事件を「合理的なものは何もありません」と述べているところは、歴史が「思い出」でなく、合理的か非合理的かという西洋の文脈でも読み解ける論点になると思われます。
 スタボロさんの三島観は殆ど同意しますが、あの事実と思想背景の衝撃は私には決して江藤 淳が言うように「大した歴史の事件とも思えないし」とは思えません。
 田中正造の歴史観は、ぜひご教示頂きたいと思います。

投稿: アカショウビン | 2008年1月29日 (火) 午後 04時19分

小林秀雄が『本居宣長』を書く上で、歴史が決して思い出などではないとことはその想像力の駆使によって明確に証明されています。
小林の‘思い出’とは、詰まるところ思い出すことの中に想像力を飛翔させて、現在へと生き生きと蘇らせる意味と理解できます。
それは理路整然とした歴史理解というよりは、人がその瞬間にどのような生のエネルギーに自己を燃え立たせていたかに関心が向けられていると読み取れます。
おそらく本居宣長の矛盾した思想的人物の内面への関心も、そんなところに魅せられたのかと推察できます。

投稿: スタボロ | 2008年1月29日 (火) 午後 05時48分

>理路整然とした歴史理解というよりは、人がその瞬間にどのような生のエネルギーに自己を燃え立たせていたかに関心が向けられていると読み取れます。

 それは小林秀雄の「憑依」と揶揄されもする小林流の批評と信念の如きものだと思います。

投稿: アカショウビン | 2008年1月29日 (火) 午後 10時34分

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