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2008年1月30日 (水)

日本的感性

ここのところコメントで遣り取りしているスタボロさんに触発されて日本的な感性について芭蕉を通し考えてみる。

 閑かさや岩にしみ入る蝉の声

 この句は奥州の旅の途中、山形の立石寺で記されたものだ。保田與重郎の「芭蕉」(1989年 講談社学術文庫)によると、これは芭蕉が平泉から山を越えて出羽へ出て、紅花の問屋だった尾花沢の富商、清風の宅へ入るまでに作られたと書かれている。保田はこの句を評釈していないが芭蕉という俳人に対する保田の尊崇は尋常ならざるものがある。和歌の後鳥羽院と比肩される位置を保田は芭蕉に充てている。枯淡とされる芭蕉の境地を保田は慟哭として新たな芭蕉観を呈した。

 古郷や臍の緒に泣くとしの暮

 この句は芭蕉の遺稿によると、老いにかかった芭蕉が故郷に帰り友人達と再会し語らい、亡き父母の慈愛を悲しく想い起こし成ったものだ。「まことに哀切な句である」と保田は評している。そしてその芭蕉の感慨を次のように書いているのが保田の真骨頂ともいえるものである。

 しかしこの血脈の感覚を愛情という如き当世のことばで云うことは、あるいは真義を伝えないであろう。ここにある感銘は、無限につづくいのちの思いである。生物学的な生命や観念論的な生命ではない。日本の伝統文学の肝心は、そういう生命観のさらに上にある深いいのちに立脚し、その道を国史として知った時の、慟哭にあるのである。肉親への冷淡さを意とせぬ西洋風の個人主義ないし合理主義の生命感では、我国文学にあらわれたいのちの慟哭が、国史と一つになっている点を理解し得ぬ。我国の我々のいのちは国史と一つである。(同書p172~p173 ただし原文の歴史的仮名遣いを現代文に直した)

 昭和18年6月の戦時下に出版された著作である事を差し引いても保田與重郎の面目躍如である。アカショウビンは西洋人が肉親に冷淡であるとは思えないし、アカショウビンのいのちが国史であるとも思わないが、芭蕉を読むことで孤高の文人の孤独の境地を探索、周遊し、国の存亡に憂いを漲らせ、欧米の個人主義・合理主義を拒絶した保田という人間の思想がこの一節には激しく息づいているではないか。

 スタボロさんとの遣り取りでは人の生死や「もののあはれ」について更に進んで考えなければならないことに改めて気付いた。このブログの目的には保田與重郎という文人の作品を読み解くことも含まれている。久しく保田には言及できなかったが少しずつ読んでいかなければならないと反省もする。

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