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2008年1月30日 (水)

日本的感性

ここのところコメントで遣り取りしているスタボロさんに触発されて日本的な感性について芭蕉を通し考えてみる。

 閑かさや岩にしみ入る蝉の声

 この句は奥州の旅の途中、山形の立石寺で記されたものだ。保田與重郎の「芭蕉」(1989年 講談社学術文庫)によると、これは芭蕉が平泉から山を越えて出羽へ出て、紅花の問屋だった尾花沢の富商、清風の宅へ入るまでに作られたと書かれている。保田はこの句を評釈していないが芭蕉という俳人に対する保田の尊崇は尋常ならざるものがある。和歌の後鳥羽院と比肩される位置を保田は芭蕉に充てている。枯淡とされる芭蕉の境地を保田は慟哭として新たな芭蕉観を呈した。

 古郷や臍の緒に泣くとしの暮

 この句は芭蕉の遺稿によると、老いにかかった芭蕉が故郷に帰り友人達と再会し語らい、亡き父母の慈愛を悲しく想い起こし成ったものだ。「まことに哀切な句である」と保田は評している。そしてその芭蕉の感慨を次のように書いているのが保田の真骨頂ともいえるものである。

 しかしこの血脈の感覚を愛情という如き当世のことばで云うことは、あるいは真義を伝えないであろう。ここにある感銘は、無限につづくいのちの思いである。生物学的な生命や観念論的な生命ではない。日本の伝統文学の肝心は、そういう生命観のさらに上にある深いいのちに立脚し、その道を国史として知った時の、慟哭にあるのである。肉親への冷淡さを意とせぬ西洋風の個人主義ないし合理主義の生命感では、我国文学にあらわれたいのちの慟哭が、国史と一つになっている点を理解し得ぬ。我国の我々のいのちは国史と一つである。(同書p172~p173 ただし原文の歴史的仮名遣いを現代文に直した)

 昭和18年6月の戦時下に出版された著作である事を差し引いても保田與重郎の面目躍如である。アカショウビンは西洋人が肉親に冷淡であるとは思えないし、アカショウビンのいのちが国史であるとも思わないが、芭蕉を読むことで孤高の文人の孤独の境地を探索、周遊し、国の存亡に憂いを漲らせ、欧米の個人主義・合理主義を拒絶した保田という人間の思想がこの一節には激しく息づいているではないか。

 スタボロさんとの遣り取りでは人の生死や「もののあはれ」について更に進んで考えなければならないことに改めて気付いた。このブログの目的には保田與重郎という文人の作品を読み解くことも含まれている。久しく保田には言及できなかったが少しずつ読んでいかなければならないと反省もする。

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2008年1月25日 (金)

もののあはれ考(続)

“もののあはれ”について「本居宣長」を書いていた頃の小林秀雄が江藤 淳と対談し、三島の死について意見が分かれていたのが面白かった。それを抜粋しよう。「対談集 歴史について」(文藝春秋 昭和47 63~p65)

江藤 三島事件は三島さんに早い老年がきた、というようなものなんじゃないですか。

小林 いや、それは違うでしょう。

江藤 じゃあれはなんですか。老年といってあたらなければ一種の病気でしょう。

小林 あなた、病気というけどな、日本の歴史を病気というか。

江藤 日本の歴史を病気とは、もちろん言いませんけれども、三島さんのあれは病気じゃないですか。もっとほかに意味があるのですか。 

小林 いやァ、そんなこというけどな。それなら、吉田松陰は病気か。

江藤 吉田松陰と三島由紀夫とは違うじゃありませんか。

小林 日本的事件という意味では同じだ。僕はそう思うんだ。堺事件にしたってそうです。

江藤 ちょっと、そこがよくわからないんですが。吉田松陰はわかるつもりです。堺事件も、それなりにわかるような気がしますけれども・・・。

小林 合理的なものはなにもありません。ああいうことがあそこで起こったということですよ。

江藤 僕の印象を申し上げますと、三島事件はむしろ非常に合理的、かつ人工的な感じが強くて、今にいたるまであまりリアリティが感じられません。吉田松陰とはだいぶちがうと思います。たいした歴史の事件だなどとは思えないし、いわんや歴史を進展させているなどとはまったく思えませんね。

小林 いえ。ぜんぜんそうではない。三島は、ずいぶん希望したでしょう。松蔭もいっぱい希望して、最後、ああなるとは、絶対思わなかったですね。

三島の場合はあのときに、よしッ、と、みな立ったかもしれません。そしてあいつは腹を切るの、よしたかもしれません。それはわかりません。

江藤 立とうが、立つまいが・・・?

小林 うん。

江藤 そうですか。

小林 ああいうことは、わざわざいろいろなこと思うことはないんじゃないの。歴史というものは、あんなものの連続ですよ。子供だって、女の子だって、くやしくて、つらいことだって、みんなやっていることですよ。みんな、腹切ってますよ。

江藤 子供や女の、くやしさやつらさが、やはり歴史を進展させているとおっしゃるのなら、そこのところは納得できるような気がします。だって希望するといえば、偉い人たちばかりではない、名もない女も、匹夫や子供も、みんなやはり熱烈に希望していますもの。

小林 まァ、人間というものは、たいしてよくなりませんよ。

江藤 それはそうです。

小林 どうしたらいいんですかね。僕は、いろんなこと考えましたが、結局キリスト教というのはわからないと思った。わかりません。私には。宣長のいっていることは、私にはわかるんです。しかし、徂徠もそうだが、武士道などには何の関係もない、つよいがおだやかな人だったから、妙な言い方になるようだが、二人とも憤死なんですよ。

江藤 それを小林さんは、『本居宣長』の最初にお書きになっていらっしゃいますね。葬式についての気の配り方、あれは憤死だからこそああなんでしょう。

小林 そうです。全然二人とも孤独だったんです。(以下略)

ここでは、保守の論客とされた江藤が小林にかかれば、むしろ左翼的な進歩主義者の感がするではないか。

「本居宣長」で小林は“もののあはれ”を次のように追跡している。(「本居宣長」新潮文庫[上]p150)

「源氏」の歴史的位置を、外側から計り、指す事は出来ようが、この位置について、精いっぱいの体験を語って、これを完成した姿に創り上げたのは、式部の自己の内部の出来事に属する。宣長が「無双の妙手」という言葉を使う時に、はっきり感得していたその出来事であり、従って、この妙手によって、その時代の為に仕上げられた「おろかに、未練なる」「児女子の如くはかなき」物語が、後世に向かって通路を開き、そのまま人心の変らぬ深処を照明するもの、と彼に映じたのは当然な事だ。それは、彼が無私の名の下に、自己を傾け尽くそうとする学問の制作過程の内部で起った、全く自然な出来事だったと言ってよい。 

アカショウビンも更に宣長、小林の説くところを辿って思考していきたい。

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永遠と一日(続)

 スタボロさんから前記事にコメントを頂いたのでご返事とアカショウビンの考えをもお示ししたい。

>死は生の一部であるというのはひとつの人生観だと思うが、果たして頭でわかっていても生身の人間の意識や精神はそれを納得できるのだろうか。

 アンゲロプロス監督も、それを「頭で」わかってコメントしているのではないと思います。生身の存在は現実の中で四苦八苦しているわけですから、そんな暢気なことは自作に対して求められるコメントとしてでなければ言わないでしょう。しかし自作を振り返る中で自身の心身状態や友人の俳優の死に遭遇し、そのようにコメントしたというのは率直な心境を吐露したものとアカショウビンは了解しました。

>死への自由などというのは言葉としては矛盾だと思うし、映像化という客観化の中で監督自身の生身の死生観が曖昧になっているのではないだろうか。

 矛盾として発言しなければならないところに記者会見の現実性があるのではないかと思います。自身の経験を矛盾なく語れるほどテオ・アンゲロプロスほどの監督といえど用意周到ではないでしょう。生身の死生観が明確になっている、ということはどういう事なんでしょうか?それは死ぬ覚悟を決めているということでしょうか。それぞれの文化の中で死生観というものがあります。アカショウビンなりにもあります。しかしそれは、それほど明確な事ではないのではないでしょうか?ですからアンゲロプロスも異文化の国に来て、こちらの時間観を記者たちに尋ねたのだと思います。しかしそれは互いがチグハグな問答になり短い時間で収拾がつく事柄とも思えません。

>積み重ねる百の説明よりひとつの直感によって、物事を感知するというやり方もあります。それは取りも直さず日本人の体得したやり方ではなかったか。

 日本人もいろいろですからそれを集約することは難しいのではないでしょうか?欧米人が求めているのは禅的な悟りかもしれませんがそれが日本人を代表するものとも思われません。それをアカショウビンなりに「もののあはれ」と愚考しても、それは日本の歴史の中で、たかだか千数百年の間の事で析出された概念のようなものです。他のブログで「もののあはれ」という概念は外国人にも確かにあるというコメントもいただきました。日本の「もののあはれ」にしても本居宣長ら江戸期の学者の中で受け継がれたものです。それを日本人というように括る危険性もなしとしないのは先の記事で紹介した吉本隆明さんの嫌悪感となって未だに論議の的になるのはご承知の通りです。アカショウビンも小林秀雄や保田與重郎を読みながらそれは愚考している、このブログの通奏低音であります。

>映像のリアリズムにあれこれ解説を加える監督のコメントは本来不必要なものと思います。それは芸術作品として鑑賞に堪え得るかどうにまかせればよいと思います。

 おっしゃる通りと思います。アンゲロプロスも短時間にコメントを求められて正直に回答したにすぎないのではないでしょうか。それでなくとも作品の創作過程を知りたがるのは第三者の常ですから。

 それにしてもアンゲロプロス監督の視線に寄り添っていると独特の視角やギリシアの近代史に関心が向かざるをえないのは正直なところです。映画に限らず芸術作品の持つ力というのは、そういうものではないでしょうか?振り返って我が日本を見ると、それは何かと思わざるを得ません。少なくとも昨今の映画作品で、そういう思考に赴かせる作品に出会うのは至難のような気がしますがアカショウビンの狭い見聞にすぎません。

  先日発表された毎日映画コンクールの日本映画大賞は周防正行監督の「それでもボクはやっていない」だったようですが、現実の日本を巧みに描いていても裁判劇としては少しお寒い感じもしました。このジャンルは欧米の方が一歩も二歩も先んじているように思いましたが如何でしょうか?

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2008年1月20日 (日)

永遠と一日

 昨年、ギリシアの映画監督テオ・アンゲロプロスの出世作「旅芸人の記録」を,、映画館ではない行政機関の企画上映の低料金でやっと観られたが前半は二日酔いで半分居眠り。それでも後半は作品に通底する尋常でない緊張感とギリシア現代史に対する監督の深い眼差しを了解した。

 4年前は当時の最新作「エレニの旅」(2004年)を観て感銘した。「旅芸人の記録」(1975年)からすると映像も鮮明で物語もわかりやすくなっている。しかし監督の根本思想は同じだ。自国の過酷な内戦の歴史事実に寄せる深い洞察と視線がそれを現している。

 「永遠と一日」(1998年)も都内の映画館で観たときは二日酔い。どうもアンゲロプロス作品とアカショウビンの出会いはアルコールが絡んでくる。

 先日ミクシイのなかでアンゲロプロスが大好きという若い女性が「永遠と一日」が好きで年に何回か観る作品だというのに刺激され、内容はうろ覚えの同作を彼女の感想を下敷きにしながらレンタル・ビデオで再確認した。感想から推察するその女性の感性は鋭敏で素晴らしく作品の急所の台詞を書き抜いてくれていた。それは作品に対する尋常でない偏愛がなせる技とも思えた。であればアカショウビンもアルコールを断ち熟視した。

 他作品にも共通する監督の深い眼差しはそこにも横溢している。現代ギリシアと19世紀の歴史がそこで交錯し作品に見事な立体構造を造形している。このような作品は我が国にあっただろうか。それは恐らく現在の映画人たちに根本的な対決を迫る映像のように思える。暮れから正月にかけて観た作品の中で2001年にガンで53歳という若さで逝った相米慎二監督の遺作「風花」がなかなかだった。アンゲロプロスと同じ、キャメラの「長回し」で鳴らした監督である。しかし同じ「長回し」といっても映像の裏にある何かが決定的に違う。何かとは、歴史に対する視線とでもいうものだ。相米作品にそれを求めるのは、ない物ねだりであるのは承知で言うのである。

 相米が「風花」で描いた北海道の荒涼とした自然に、アンゲロプロスが強烈に意識している国と民族の歴史に対する眼差しはない。それは現代に生きるワケありの若い男女の姿と心象風景がまったりと描かれているだけだ。この違いは何か?少し考えてみよう。

   ※参考までに来日時の記者会見での監督と記者との質疑応答を掲載させていただく。

 Q)作品の事に関した質問です。監督はギリシャのみならず、ヨーロッパ、あるいは世界に起きている根本的な問題を大変美しい映像にいつもまとめられて、いつも作品を作っていると思います。で、今回の作品でギリシャ系、アルバニア難民の少年と、病気で老いた老人の作家を主人公にされたのはどういう意図からなのでしょうか。

 アンゲロプロス監督(以下Aと略す)

 A)まず、主人公である作家の方からお話ししたいと思います。わたくしは、イタリアの有名な俳優、ジャン=マリア・ヴォロンテの最後の日々を一緒に過ごしました。つまり、彼は死んだ時、わたくしの前回の作品『ユリシーズの瞳』の撮影に入っていまして、最後の日々を私は一緒に撮ったのです。彼が死んでいるのを発見したのは私でした。その時、本当に衝撃を受けたし驚きました。しかし、その衝撃や驚きを超えて、1つの疑問が私の心の中に浮かび上がりました。あと1日しか生きられないとしたら、その日なにをするかという疑問です。そうやって人生最後の日に人は、どのように歩くのか、どのようにコーヒーを飲むのか、どんなことが頭の中に浮かび上がってくるのか。たった1日の時間の中に過去、現在、未来が収縮したときにどのようなことが起きるのかと考えたのです。子供の存在の方ですが、これから始まる人生を画にしています。終わりゆく人生の傍らに始まっていく人生があります。私は《死》についての映画を作るつもりはありませんでした。生きること人生についての映画を作りたいと思ったんです。そして《死》は《生》の一部です。1つの段階にすぎません。答えになっていましたでしょうか。今、ヨーロッパのいたる所の大都市で、このような子供たちを道で見かけます。それはアルバニアの難民の子供であったり、旧東欧諸国、ソ連から来た子供であったり、あるいは、ヨーロッパからもっと遠くパキスタンやイラク、イランの難民の子供であったり、そしてこの映画のような子供の仕事をしています。ストリート・チルドレンなんですけど、この映画の中に出てくる《クセニティス》という言葉がこの子供たちを定義しています。それは、どこにいてもよそ者である亡命者ということです。亡命という言葉には2つの意味があります。内的な亡命と外的な亡命です。作家の方は実際に他の国に亡命しているわけではありませんが、実存的な意味での亡命者です。これはたとえば、カミュが『異邦人』の登場人物の中で描いたような内的な亡命です。そして子供の方は実際に外国に難民としている外的な亡命です。このように2人の亡命者が同じ都市の中で出会い、言葉を交します。そして1つの人生が終わり、1つの人生が始まるのです。

 Q)ただいまの質問のお答えとも絡むんですけど、今回の映画、私的で、しかもポエティックで非常に素晴しく感銘を受けたんですが、いつもアンゲロプロスさんの作品は、常にポエティックでありながら、バックには社会意識といいますか歴史意識があって、それが非常にユニークなものを生みだしてると思うんです。それで、今回も見事な結び付きで感銘を受けましたが、そのことに絡めまして、その社会意識と歴史意識という点で、今、亡命とか難民とか出ましたけれど、国境の問題が常に作品にある。我々日本人は国境というのがどうもピンとこないんですが、まあ、監督の国では非常に切実な問題だと思うんです。で、ちょっと話がそれるんですけど、ヨーロッパの統合、EUというのが進んでますね。ヨーロッパが1つになろうとしている。そして、ユーロ単一通貨が発足してる。ギリシャとイギリスは参加していませんよね。で、そういったこともあって、常にそういう国境の問題を絡ませてやってらっしゃるアンゲロプロスさんに、ヨーロッパの問題、そういうことの、国境等の問題の考えをお聞かせ願えれば。近い将来などのヨーロッパなど。

 A)これはとても大問題で、とても長い分析が必要になってきます。はたして、1本の映画の記者会見の席で取り扱える問題かどうかわかりません。ご存じのように欧州問題は大問題です。ご存じのように単一通貨ユーロが導入されました。しかしこれは経済通貨統合ということであって、本当の欧州統合を意味していないんです。つまり、政治統合なしには欧州は1つになることができません。すなわち、欧州連合が政策を1つにし共通の理想を持った時、初めて欧州が統合したと言えると思います。欧州統合は単なる通貨統合ではありません。通貨統合にとどまりません。現在、欧州の統一は出来つつありますし、全ての者が本当の意味で欧州が統合されることを望んでいます。しかし、今のところまだ通貨統合の段階に留まっています。欧州が統合されつつあっても、実際は国境は増えつつあります。様々な紛争、バルカン半島の紛争のみならず、その他の国の歴史を見ても、紛争の根源にはかならず国境問題がありました。つまり、国境を越えて欧州全体を統合するということはまだ成されていない。解決策を見つけていない。見い出していないということです。ますます各国、各地の民族主義が台頭してきています。

 Q)今回の映画は、いつもアンゲロプロス監督の映画は日本でやらしていただいてますから拝見してる次第でありますが、1本の作品を20回観るというのは、まあ当り前のことなんですが、今までとのすごい違いは、観てる間中、すごい感動してしまいまして、それを人に伝える時にこんなに難しかったのは初めてなんですね。そういったことが日本だけのことなのか。聞いてみたいと思うのですがよろしいでしょうか?

 A)(ため息) 場内笑い

 今のは批評でもなく、批判でもなかったわけですね。感動してくれたことを嬉しく思います。また、私自身も撮影しながら感動を覚えていました。私にとってもこの映画を作ることは難しいことでした。というのは、普段私が取り扱ってる領域以外で映画を作るというのは初めてで、つまり、今回、わたくしは、私自身の中に入りこんで初めて映画を撮りました。自分自身の実存的な問題の中に入り、そして全般的な人間の条件について扱ったと言ってもいいでしょう。映画は人類に誕生して以来、全て人間に関わる問題を取り扱ってきました。生と死、そして時間の経過、愛、老い、若さ、孤独、そして亡命です。

 Q)映画に関して、なおかつ先ほどの質問にも関わるんですが、この映画自体がEURIMAGESというヨーロッパの映画基金の援助を受けて作られていて、クレジットにECも入っていて、映画の内容自体がギリシャ語で撮影されたギリシャ人の監督の個人的な映画であると同時に、ヨーロッパにおける国際スターであるブルーノ・ガンツが主演でヨーロッパ的な広がりをもった製作規模で、実際、ギリシャ、イタリア、フランス合作になっているわけですが、そのギリシャであるということの意味性と、ヨーロッパ性についての問題と、映画自体についてどうなんでしょうか?

 A)私の映画は完全にギリシャ映画であり、ギリシャ語を語り、ギリシャ語で撮影し、撮影もギリシャで行われたギリシャ映画です。そして外人を使うのはなぜかということになりますが、1人1人について説明したいと思います。まず、ブルーノ・ガンツですが、彼は私自身、以前から俳優としてとても好きで、起用したいと考えていました。彼がスイス系のドイツ人であるというのはここでは関わりないのです。かつて、私はマストロヤンニを使って映画を作っています。そして『ユリシーズの瞳』ではアメリカの俳優を主役に起用しました。私にとっては良い俳優と悪い俳優が存在するだけで、良い俳優と仕事をしたいと思っています。官能の世界でリビドーが存在するのであれば、映画的リビドーも存在するのです。私にとっての映画的リビドーとは、私に夢を見させてくれるような俳優を使って映画を作りたいということです。フランスの女優ですけど、フランスの女優を選んだのは、私の妻に似てるからだと思っております。(会場笑い)

 Q)『こうのとり、たちずさんで』『ユリシーズの瞳』それから今回の映像を拝見して、先の質問にもあったんですが、国境の問題をもう1度お伺いしたいのですが。これはたとえば、映像のテーマとして追及して今回その深まりがご本人として、お気に入りのシーンであったり、テーマの深まりがあったりするのか。それから象徴としての国境の理念が少しずつ変わりつつあるのかという点を、簡単に答えられるものではないと思いますがコメントをお願いいたします。

 A)国境の問題といっても、国境には様々な国境があります。地理的な国境、心理的な国境、そしてメタファー、人間としての国境です。しかし、それら全ての国境は限界を意味しています。この映画で国境、境界の問題が出てくるとするならば、それは生と死を分かつ国境の問題です。これは限界でもありますが、地理的な境界でも、人間としてのメタファーとしての境界でもありません。すなわち、生と死の間にある限界の問題です。そういった意味でこの映画は国境についての映画ではありますが、『こうのとり、たちずさんで』とは違います。『こうのとり~』の場合の国境は、地理的な国境と人間としてのメタファーの国境でした。私の最近の3作を考えますと、確かにこの3作は、国境の問題を扱っています。そして問題になっているのは、この国境、境界を超克する、越えていくということです。橋を架けて国境を越えていくのです。『こうのとり~』のラストシーンがたとえばそうでした。それは若い人々が、昇っていって電信柱を集めます。そして、彼方とのコミュニケーションを図ります。そして『ユリシーズの瞳』では、詩人である主人公ハーベイ・カイテルが越えること超克についての対話をします。今回の『永遠と一日』では、主人公が海に向かって3つの言葉を投げつけます。「コルフラ」私の花、「クセニティス」亡命者、そして「アルバギーニ」とても遅く、これを海に向かって投げます。この3つの言葉が1つの橋になって、限界、境界を越えることができるということです。彼が病院に行かないといった時から、言葉が彼と彼方を繋ぐ橋となって働いてくれるのです。それから、もう1つのテーマについて話しておこうと思います。この映画のはじめに子供たちが時間について話します。1人の子供が「時間がない」「時間とはなにか」という質問をします。そして時間についての話が始まるのですが、時間とはお爺さんの話によれば、砂浜でお手玉遊びをする子供、それが時間だ、時だと答えます。これはヘラクレイトスが時間についておこなった定義です。そしてこの映画の最後に、これは、はっきりとは言われてなくて、暗示されているだけですけれど、もう1つの古代ギリシャの哲学者の時間の定義でこの映画は終わっています。それは時間は存在しないということ。この映画のラストのカットでは3つの時間が同時に存在しています。この3つの次元、過去、現在、未来というのは、西洋哲学の中にある分類です。この3つの過去、現在、未来はこのカットの中に同時に存在しているのです。主人公である彼は現在にいながら過去を生き、そして未来へと呼びかけをしているのです。同じ平面で彼はこの3つの時間を生きているわけです。すなわち、この3つの次元は別々のものとして本当は存在していないのです。現在のみが存在しているのです。

  Q)同じカットのことなのですみませんが、同じ、ワンカット、ワンショットの中には今おしゃったことはエッセンスでしょうけど、その前に妻のアンナが出てきてますよね。それでアンナは消えていくんですけれども、そこには幻想のアンナも実際生きた姿で出てきているのでしょうか?

  A)アンナは他の所にも出てきています。確かにアンナは過去か ら現在そして未来へ呼びかけます。そうすることによって、未来からの呼びかけであって過去の呼びかけによって現在に存在しているのです。あの、アジア、仏教の考え方だと聞いたことがありますが、アジアでは違った時間の概念があると聞いたことがあります。過去、現在、未来という3分類の時間は存在せず、全てが現在である。現在しか存在しないという話を聞いたことがありますが、それは間違いでしょうか。(アカショウビン註:この問いに記者たちからの回答は公表されたこの記事には記載されていない)

  Q)プロデューサーのフィービーさんにお伺いしたいんですけれど。今回のアンゲロプロス監督のテーマを最初に聞かれてどのように思ったか。また、先ほどの女優さんの起用についてはご存じだったのか。映画人アンゲロプロスの魅力はどういったところにあるのか。よろしくお願いします。

 A)デリケートな問題なので、私の方から彼女に代わってお答えしたいと思います。というのは、彼女は単なるプロデューサーではなく私の妻だからです。この映画に彼女は反対していました。私がこの映画を作ってはいけないと言っていました。恐れていたんだと思います。確かに、一時この映画と私があまりに近く同じものになっていましたので、周りの人々や妻が、私自身が映画を生きている、私自身がこの映画のような人生最後の日々を生きている印象をもったのです。そうしたわけで、撮影は2回に分けて行われました。最初撮影を2週間行って、中断されました。私自身も怖かったのです。そして、中断して数ヵ月して、それから再開しました。この映画を映画として見る、テーマとして見るだけの距離をとれるようになってから再開したのです。映画を生きるのではなくて、映画を芸術的に消化できるようになるまで待ったんです。

 Q)せめてアンゲロプロス監督の魅力についてはフィービーさんにお伺いしたいんですけれど。

A)フィービー・エコノモプロス

  私はアンゲロプロスのプロデューサーの仕事をする前に、すでにこの仕事をしていました。つまり、すでに映画の職業についていたということです。実は『アレクサンダー大王』の頃から彼と一緒に仕事をするようになりました。とても彼に対して敬愛の念を抱いていましたし、そしてとてもユニークな作品を作るということもわかっていました。私にとって『アレクサンダー大王』はとても重要な作品でした。これほどギリシャの歴史、それから世界の歴史を濃密に扱える監督に出会えたということをとても幸福に思います。これが私の最初の感想です。そして彼の映画のプロデュースをするようになり、彼と一緒に仕事をするようになり、そして2人で一緒に子供を作りました。私が彼の中でいつも尊敬しているのは、日常のほのぼのとした問題を、永遠の普遍性たる問題に変えていく能力。また、その逆が出来るという能力。それでアンゲロプロスと生きることを確信しました。ですから、私は彼のことを1人の映画監督ではなく、クリエイターである、行動するクリエイターであると考えています。プロデューサーとしては、アンゲロプロスは一番やりにくい監督だと思います。そして、これほど困難を投げかける監督は他にいないだろうと想像しているのですが、プロデューサーとしてやりがいのある価値のある監督です。クリエイターと一緒に暮らすことが難しいということがおわかりいただけるでしょうか。お答えになってるかどうか。私は彼を敬愛しています。そして彼の傍らにいつもいようと努力しています。もう一つ言わせてください。この『永遠と一日』でアンゲロプロスはアンゲロプロス自身を超えたと私は考えています。彼の最高の作品だと思ってます。これほど美しく愛や生、そして人間の実存、個人的な愛についてこれまで取り上げた作品はなかったと思うのです。永遠に残るようなポエム、詩を作ったと思っております。

 Q)監督がこれまでお撮りになってきた映画の舞台、そこで今、虐殺がある。監督の心の中では不安なものがあると思うんですね。その辺をお聞かせ願いたいんですけれど。

  A)私は先ほど、なされつつある欧州統合と、増えていく国境の話をしました。今の質問はそのことにも関係があると思います。ご存じのようにいろいろな国で、様々な国境の問題が起こっています。当然、ギリシャはバルカン半島に位置していますから、現在紛争が起きてるところに近い所にあるわけです。もしも、紛争が最悪の結果になり、戦争が勃発したならば、ギリシャは最初に直接の被害を受ける国になるでしょう。私個人的にも、ギリシャの人々も個人個人、当事者として感じております。私の国、ギリシャではこういった問題について適切な正しい立場をとりました。すなわち、この問題解決には武力を使うべきではなく、政治的解決策を取るべきだということです。戦争は次の戦争を呼び、憎悪はまた次の憎悪を呼びます。血が血を呼ぶのです。

 Q)この映画で少年の笑顔が素晴らしくて、この映画に希望のようなものを与えていると思うのですが、最初にみせる笑顔も素晴らしかった。あれはどのように演出なさったのか。それから2つ目の質問ですが、私、イタリアの『情事』という映画で、サンドラという男性が島で行方不明になったアンナという女性を探している場面があるんですけれど、『永遠と一日』の中にそれを思わせるシーンがあるのは、アントニオーニ監督、トニーノ・グエッラ(イタリアの脚本家)に対するオマージュなのか、それとも何か『情事』に対する答えだったのでしょうか?

 A)私はアントニオーニともトニーノ・グエッラとも親しくしていますけれど、オマージュを捧げるという気持ちはありませんでした。オマージュを捧げたとすれば、それは『こうのとり、たちずさんで』の中で、アントニオーニ監督に非常にハッキリとしたオマージュを行っています。ジャンヌ・モローとマストロヤンニが30年ぶりに再び出会うシーンでそしてジャンヌ・モローが、彼ではないというんです。これはアントニオーニの『夜、ラノッテ』に対するオマージュです。『こうのとり、たちずさんで』を上映した時、すでにアントニオーニ監督は病気でしたが、来てくださって、そしてこのシーンが始まった時、彼は涙を流し始めました。あの最後に付け加えたいんですけれど、『永遠と一日』の幾つかのテーマのなかで1つ言わなかったこと、忘れていたことがあります。それはブルーノ・ガンツが母親にモノローグを語るところです。母親に対して、なぜ私たちは愛することが学べなかったか、愛することができなかったのかと。どのように愛せばいいか。どうしてわからなかったのかということです。つまりは不在です。実際に私の娘がある夜泣き出してこう言いました。パパはいつもいない。そして家にいるときもパパは不在である。私たちのことを考えてくれていない。ここには本当にはいないと言って泣いたのです。この映画のもう1つのテーマは不在なんです。今は不在ではなく、ここに来てくださいましてありがとうございました。

 (了)

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2008年1月13日 (日)

もののあはれ考

 吉本・中沢対談で主題の一つになっている「もののあはれ」について少し。

 アカショウビンの理解では小林秀雄を「乗り超えて」吉本隆明(対談をお読みしてお元気なご様子に励まされることをお断りして敢えて固有名詞でお呼びさせていただく)の論考と思索は現在の思想界に刺激を与え続けているのだと思う。中沢氏や少し後の私たちの世代の一部は吉本隆明の思索と思考に少なくともアカショウビンは間歇的に刺激を受けてきた。

 小林秀雄が『本居宣長』(1977年)を書き上げて「もういいだろう」と筆をおき、5年後に『本居宣長 補記』を出したあと己の生と仕事に区切りをつけ、1983年に亡くなった。新潮4月号の追悼号には文芸界やジャーナリズムから多くの追悼文が寄せられた。他誌でも追悼文が掲載されたが吉本隆明の追悼文が氏らしく興味深かった。氏が小林の歳を越えてなお矍鑠としてマルクス・ヘーゲルに論及する膂力には感嘆するしかない。

 『本居宣長』のなかで小林が論じる「もののあはれ」は次の如くである。

 通説では、ものあはれの用例は、『土佐日記』にまで遡る。(中略)歌の心得ある人は、誰も納得すると彼(紀貫之)が信じた、歌に本来備わる一種の情趣である。(中略)当然、宣長は、ものあはれ論を書く起点として、これを選んだ。(『本居宣長』(上)新潮文庫版p133~)

 そして小林はこの“もののあはれ”という言葉が「当時ではもう誰も格別な注も払わなくなった、極く普通な言葉だったのである」として、それを取り上げて吟味すると「含蓄する意味合の豊かさに驚いた」と述べる。以降のくだりは小林の文章と宣長の説くところを熟読して再考、再々考していきたい。

 その契機としてアカショウビンの思考の励みともなるのはモーツァルトの音楽に聴ける響きである。中沢氏が言うキリスト教をも包み込む「もののあはれ」ではないかと啓示のように聴くのだが幻聴かもしれない。

 それはヴァイオリン・ソナタのアンダンテ楽章の幾つかである。一昨年の秋にヒラリー・ハーンという米国の若いヴァイオリニストのCDで聴いたK526のイ長調ソナタのアンダンテが素晴らしかった。「あたかもすべての善人に生存の苦い甘みを味わわせようと、父なる神が世界の一瞬間だけいっさいの運動を停止させたかのような、魂と芸術の均衡が達成されている」(アルフレート・アインシュタイン 浅井真男訳)と評された音楽である。

 モーツァルトが、すべての善人に味わわせようとした「生存の苦い甘み」。ある種の矛盾した言い方でしか言い表せられないもの。アインシュタインの指摘はアカショウビンの腑にも落ちる。それは「もののあはれ」でないか?ただ「もののあはれ」は生き物だけでなく存在するものすべて、またそれらの「関係性」をも含みこんでいるように思うが。それは確かに中沢氏が言うように「宗教」さえ包み込む日本文化特有ではない、人という生き物のみに内在する或る大きな「気分」なのかもしれない。しかし、それは概念として欧米の人々と共有できるものなのだろうか?中沢氏の提示した問題は風呂敷を広げすぎている感がしなくもないが追求してみる楽しみもありそうだ。

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2008年1月10日 (木)

アフリカ的段階・もののあはれ

昨年発売された月刊誌(中央公論)1月号の吉本隆明氏と中沢新一氏の対談が面白かった。タイトルは「『最後の親鸞』から はじまりの宗教へ」。中沢氏も述べているように吉本氏の論考の中で特に興味深いのが親鸞論だ。氏の親鸞に関する論考は昭和4612月から昭和51年7月まで「春秋」に『聞書・親鸞』として16回にわたり断続的に掲載された。そのうち後半の部分が「最後の親鸞」として出版されている。アカショウビンも学生の頃に氏の著作の中では異彩を放つ著作として面白く読んだ。昭和56年には「聞書・親鸞」の前半の部分がノートとして追加され「増補 最後の親鸞」として出版されている。

 この30数年にわたる吉本隆明の思索の中で親鸞は独特の位置を占めている。

 中沢氏によると吉本氏の親鸞が最近また広く読まれているという。それはオームへの関心が忘れ去られようとする過程で<スピリチュアル>やテレビ番組での精神科学や新宗教に対する関心の高まりによるものとも思われる。氏の宗教論は聖書の「マタイ伝」を介してキリスト教へのスタンスから親鸞や宮沢賢治を介した日蓮まで視野をもつものだ。最近は浄土宗・浄土真宗への関心も高まっているから吉本・親鸞も若い人たちの間で再読されているのだろう。

 対談は親鸞を呼び水に幾つかのトピックを立て展開していく。その中で興味深いのは中沢氏が関心を示している吉本氏の「アフリカ的段階」という概念だ。氏が「アフリカ的段階について 史観の拡張」という著作を出版したのは1998年5月である。これはアカショウビンも一読した。それはマルクス・ヘーゲル史観の「アジア的」という概念に対する違和を思考し、これを克服したと直感した、と吉本氏が明かしている論考だ。

 「アフリカ的段階」とは次のような概念である。

  ――十九世紀の西欧資本主義社会の興隆期に、ルソーやヘーゲルやマルクスによってかんがえられた、西欧近代社会を第一社会とし、これに接するアジア地域の社会を第二社会とし、アフリカ大陸や南北アメリカやその他の未明の社会を旧世界として世界史の外におく史観がアフリカ大陸の社会の興隆とともにさまざまな矛盾や対立を惹き起こし、それがヘーゲル、マルクスなどの十九世紀的な史観の矛盾に起因するとみなされるとすれば、「アフリカ的段階」という概念を、人類史の母型(母胎)概念として基礎におき、史観を拡張して現代的に世界史の概念を組みかえざるをえないかもしれない。(「アフリカ的段階について 史観の拡張」p4~p5

 吉本氏が、この対談で述べているように氏の重要な仕事はマルクスや、親鸞を通して仏教を「解体する」ことと総括できる。その中で「アフリカ的段階」という概念はマルクスもヘーゲルも深く追求しなかった「アジア的」という概念に留まる史観を吉本氏が拡張した概念である。「アフリカ的段階」を説明するなかで挙げているアメリカ先住民文化について彼らの中で「宗教」が生まれたのは19世紀頃として中沢氏は自身の研究をもとに次のように述べているのも興味深い。

  ――白人が入ってきて、彼らの文明が完全に追いつめられた。それに対抗して、自分たちの文化的伝統を守るために、精神的団結をしなければならないというときに、初めてサンダンスとかゴーストダンスという、新しい宗教が起こりました。それ以前の先住民文化では、部族は独立していますし、これを一つの国家のようなものにする動きは起こらなかった」(中央公論1月号p110111)。 

 その宗教の実態というのは「お互いの違いを超えて、幻覚の中で一つの信仰に一体化するということから始まった」というものである。近代に起こったアメリカ先住民の新宗教運動というのはそれまでの先住民文化とは異質のものであると中沢氏は指摘する。多才な氏の研究・思索の契機になったのが「最後の親鸞」であったことは興味深い。

 この対談のトピックの中でもう一つ興味深いのは中沢氏が吉本氏に投げかけた「もののあはれ」についてである。それは我が国で本居宣長や小林秀雄の思想・思索を通じて現在まで日本文化の最も底の部分を流れる、欧米人はもちろん中国人や韓国人にも理解しにくく、また多くの日本人も言葉にして説明するのが難しい概念である。いうまでもなく吉本氏は「戦中派」である。十代を皇国少年として生きた氏は戦後にマルクスを党派性を超えたレベルで読みこなすことで思想的な立脚点を構築し文学者たちの「戦争責任」を追求した。天皇制へも鋭く広範な視角から画一的な政治的立場とは次元を異にする思考を展開してきた。それは宗教化したロシア・マルクス主義とその同調者達を徹底して論駁する我が国でもっともラジカルな思考者であると言える。批判の対象は小林秀雄や恐らく保田與重郎も含めて先の大戦を「反省しなかった」文人・哲学者・思想家たちである。この対談で吉本氏は戦争中の言説世界のなかに瀰漫していた「もののあはれ」に嫌気がさしたと述べている。だから小林秀雄には敬意を表しながらも戦前・戦中の「負の部分にかかわる問題も含めて」「もののあはれ」にまつわるものはすべていいと肯定したのが容認できないのである。吉本氏の戦後の仕事は正しく小林秀雄が見なかった「負の部分」に「穴を開け」る力仕事だったと概括できる。

 中沢氏が対談の最後で述べている事柄にはアカショウビンも賛同する。

 ――親鸞のような形で宗教を解体してしまうと、宗教性が消えるかというと、そんなことはない。近代合理主義の立場からすれば、宗教を解体して合理的な世界観にしていけばいいじゃないかということになるけれど、そうはいかないんです。解体するとそこに自然法爾(じねんほうに)として自然に出てくる心の構造があって、これこそ宣長や折口が問題にしたものです。それは実体があって生きており、法則性や構造もあって生きている。それを「宗教」という言葉を使わずに、何と名づけるかが、これからの課題です。ヨーロッパ人は、日本人は宗教を知らないと言い続けると思いますが、それは違います。ヨーロッパの宗教は、巨大な「もののあはれ」をベースにした、何とも名づけようのない人類的なるものの一部でしかない。ヘーゲルのような体系の作り方は、ヨーロッパを土台にしてつくる体系ですが、そうではない別の体系があるんじゃないかというのが、吉本さんのメッセージのような気がします。

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2008年1月 8日 (火)

新年の戒めと音始め

新年は、病んでいる人にも生を謳歌している人々にも容赦なくまた希望に満ちて訪れる。それはまた仕事や家事のマンネリに倦んでいる人たちにも。悲喜こもごも人間は今生を生きる。

昨年「たんば色の覚書 私たちの日常」を出版し壮健を知らしめた闘病中の辺見 庸氏の文章が暮れの新聞に載ったそうである。下記はあるブログで引用されていた抜粋。アカショウビンも全文は読んでいない。孫引きであるが辺見氏には失礼して引用させて頂く。

「病院の外の日常と接する窓のようなものは病室のテレビである。三食のたびに好きでもないテレビを見るともなく見た。娑婆で見る以上にそれは異様であった。ひたすらやかましく、執拗で、狂気じみ、一貫して浮薄であり、弱い者、貧しい者に寄りそうどころか、冷笑している節さえある。事の軽重を常にとりちがえ、消費とばか笑いと貪欲のみが煽られる。テレビ番組と実際の日常が同じではないにせよ、たがいに響きあって魂が堕ちつつあるのはまちがいない」

病者の言や良し。我が国人のともがらに嘆きと怒りの声はどれくらい届いたであろうか?アカショウビンもたまたまその記事を伝聞で知っただけである。賢人の戒めを腹におさめ我が呆けた日常にも公平に新年は訪れたことを言祝ごう。

さて、暮れに久しぶりに耳傾けたワーグナーのあと新年の音始めは斯くの如し。昨年の正月は楽しんだウィーン・フィルの「ニューイヤー・コンサート」を今年は見逃した。新聞を見ると指揮者はジョルジュ・プレートル。昨年のヤンソンスからすると老練な大先輩を起用したわけだが、まぁ聴き逃しても悔しくはないかと納得する。

しかし暮れにNHKで小澤征爾を特集したドキュメンタリー番組があったらしい。それを見逃したのは悔しかった。そこで気分を紛らそうと画策。小澤征爾という指揮者がどういう経過を経て現在あるのか?改めてアカショウビンなりに確認してみようと思い立った。本棚の奥から取り出してきたのは以前に購入したDVD。「歌え!全身で歌え!」という2004年に小澤の恩師である齋藤秀雄の没後30年を記念して作成されたものである。制作はテレビマンユニオン。二枚組みになっていて一枚目は弟子達の証言。齋藤の謦咳に接した者たちが語りの中で師の姿を浮き彫りにする構成だ。二枚目は2004年に長野県松本市で行われたメモリアルコンサートが記録されている。司会は筑紫哲也氏。

一枚目。恩師の薫陶と技術の習得を徹底して叩き込まれた弟子達が語る。齋藤秀雄というチェリストが教育者に転進していかに貴重な果実を生んだか。小澤征爾という世界的な指揮者が今あるのは本人の努力と才能の賜物である前に優れた教師の存在があったことが良くわかる。教え子たちの中でも特に小澤はそれを全身全霊で体現している。生まれは中国大陸でも実に浪花節的な日本人気質を多分に持っている人だ。

教え子たちは口々に桐朋学園で齋藤に教わった教育が如何に優れていて音楽を心身に叩き込まれたかを語る。その映像を観ると改めて教育の原点を見る思いがする。音楽を相手に伝えることのイロハを齋藤は教則本にしたが大事な事は言葉に出来ない。弟子達はそのことを自らの感性で受け止めプロになってからも自分自身で悪戦苦闘し血肉化していった。弟子達ひとりひとりの表情と言葉でそれを知ると教えの深さが理解できるような思いもする。楽器を通じて音を出し、それを聴衆という他者に伝える事の難しさを師と弟子たちは格闘とも葛藤とも言える遣り取りの中で教え学んでいったのだ。

音楽家たちは特訓を経て西洋音楽を叩き込まれた。その方法論は合理的で西洋でも実に見事に応用できた。その恩を弟子達は忘れることはないだろう。

ほかのブログでは正月に新宿で小澤ファミリーと遭遇したというコメントも読んだ。ところでアカショウビンの新年音始めはモダンジャズで。朝、目覚めて忽然と取り出したるは我が愛聴のピアニスト、レッドガーランド。昨年はビル・エヴァンス本が出版されたことに刺激されエヴァンスもよく聴いた。しかしピアノトリオで安心して音の流れに身を任せられるのはレッドガーランド・トリオである。バスのP・チェンバース、ドラムスのA・テイラーのリズムとメロディの転がしに心安らぐ。

今年は如何なる年になるらんと不安の中に幽かな光も探りながら愚考していこう。

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