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2007年12月29日 (土)

今年のバイロイト

 何年ぶりかでNHK・FMが毎年この頃に放送しているバイロイトの「ニーベルングの指環」の完結編「神々の黄昏」を今夜は最後まで聴いた。学生時代や若い頃ならともかく50を過ぎて失業で暇をもてあましているとはいえ、この長大な楽劇の本場での演奏会録音を毎年、夏と暮れに聴き通すほどワーグナーに心酔しているわけでもない。ここ数年はクナッパーツブッシュやフルトヴェングラーで、こちらの気合が充実している時に四話のいずれかを無作為に聴くくらいだ。しかし、この二人のカリスマ指揮者で聴くワーグナーという稀代の<俗物で天才>の音楽に浸ると、まるで奈落の底に引き込まれるように歌唱とオーケストラの音楽に惹きこまれていくのである。これはいかんともしがたい。作品の隅々まで知悉する二人のワーグナー指揮者で聴くと、まぁ大味で壮大な物語も面白く、数々の動機を駆使した複雑多岐なスコアは時にオドロオドロしく、時に精妙な音が紡ぎだされる。その音楽の毒とでも言う魅力には抗し難いのも確かなのである。

 昨夜から今夜は第三夜の完結編「神々の黄昏」。終曲後の客の反応は鈍く、冷たかった。あれは演奏と演出の素晴らしさに圧倒されて即座に拍手ができない、というものではなかった。それは不満だという意思表示の拍手に思われた。おそらく地元音楽紙の評判も悪かったのではないか。「神々~」他の演奏はともかく「神々~」の終曲後のパラパラとした拍手はブーイングこそ聞き取れなかったが、指揮のティーレマンにとっても歌手陣やオーケストラにとっても残念な結果だっただろう。まぁ、とかくワグネリアンというのは気難しいものだ。20年以上前のシェローとブレーズのフランス人組の最初の年はブーイングの嵐だったのではなかったか。あの演出が受け入れられるのにも何年か要したはず。来年もあるだろう。気難しいワグネリアンたちも時間をかければそのうち馴染むこともあるだろう。時間をかけてティーレマンはワーグナー作品にのめりこみ自分のものにするしかない。

  アカショウビンは序夜の「ラインの黄金」は聴き逃し一昨日の第一夜「ワルキューレ」から聴き始めた。しかも一昨夜から昨夜の「ジークフリート」も昨夜から今夜の「神々の黄昏」もオーディオのチューナーが不調のためラジカセで!多くのワグネリアンのように体調を整え(!)て音楽に全神経を集中して聴いたわけでない。実にいい加減な感想だからワグネリアンの皆様、どうぞお気を悪くなさらないように。しかし演出は知らないが音楽は悪くなかったのではないだろうか。ティーレマンのウィーンでの評判は決して悪くないとも聞いている。一昨年だかウィーン・フィルと来日した時の演奏会も概ね好評だったようにネットで読んだ。まぁ今回は一筋縄で捻じ伏せられるわけもないバイロイトである。簡単に若造指揮者を迎えるはずもない。これから何年かかけて天才の作品と向き合い自らの血肉としていくしかないだろう。

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2007年12月24日 (月)

聖夜考

 仏教徒は、きょう、明日の異教の祭を如何に過ごすのだろうか。苦虫を噛み潰したようにか、素知らぬ風を装い世間と楽しくだろうか。「私は無宗教」というコメントが蔓延する多くの「日本人」は八百万の神々と異教の神が摩訶不思議に同居している「神国日本」で若者たちや国民は朗らかに快活に2日間を過ごし暮れから正月を迎えるのであろう。そんな野暮なことを言う輩の棲む場所は現在のこの国に限りなく少なくなっているのかもしれない。

 世界中のキリスト教徒の祝祭日を異教の輩(ともがら)も楽しむという状況が現在の先進国という国家群の国民である事をテレビや新聞等、街中の装飾、企業の収益拡大の手段としてそこここで見聞するときにアカショウビンのような偏屈でへそ曲がりの輩は次のような言説を面白く読む。それは1960年にフランスでユダヤ人教師として教壇に立つユダヤ人哲学者の言動に言及したものである。

 ---教師は当時のフランスのユダヤ共同体のゆくえをとても不安なまなざしで見つめていた。当時は第二次世界大戦が終結しまだ15年しか経っていない。ナチに加担してユダヤ人虐殺に手を貸した戦争犯罪人のフランス人たちはいつのまにか素知らぬ顔で市民暮らしをしている。ソ連からはスターリンによるユダヤ人粛清の情報が断片的に入ってきている。そのような薄氷を踏むような時代に、ユダヤ人をどうやって再統合するのかと教師は腐心する。

 それはまた敗戦後の我が国の伝統の継承に不安を抱く人々の言説とも共鳴しているかもしれない。たとえば保守の論陣を張った福田恆存や論壇人からは巫と見なされた保田與重郎の論説と逆説的に呼応するだろう。

---ユダヤの同胞たちは欧米社会へ同化しユダヤ教の伝統を棄てつつある。彼らをどうやってユダヤ教の圏域に「引き止める」かというのが教師の抱える難問である。ユダヤの若者たちはヘブライ語をもう学習しようとしない。それは苦労してヘブライ語を習得しても、その語学力をもってアクセスできるテクストには「意味のわからない時代遅れの世迷い言」しか書かれていないと広く同化ユダヤ人たちが信じていたからである。

 それはまさしく戦後教育が歴史的仮名遣いを棄却することで白鳳・天平・平安の日本の歴史と文化から限りなく離れていく過程を危惧する福田や保田の言説とも呼応するだろう。

---教師は言う。そこには恐るべき叡智の言葉が書かれている、と。イスラエル高等師範学校の校長として、ヘブライ語とフランス語のバイリンガルの教師を育てて、中近東や北アフリカに派遣することを本務としていた彼は、フランスの若者たちの前で、「ヘブライ語ができると恐るべき叡智にアクセスできる」ということを理解させることを思想的急務としていた。そのためには、「ヘブライ語ができたせいで、私は『恐るべき叡智』に現にアクセスすることができた」という事実を、今ここで身を以て示さなければならない。60年代の彼の仕事は、そうやって考えると実はきわめて選択的な読者層をターゲットにしていた書き物だったことが知れるのである。

 この教師が誰であるかはさておき、このような危機感は我が国の思想家や宗教家にどのように現在しているだろうか?また、その歴史的視界はユダヤ社会の歴史と我が国の歴史と、現在という時空間に於いてどのように交錯するのか。

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2007年12月23日 (日)

視線あるいは眼差し(続き)

 NHKテレビで今年95歳で亡くなられた日本画家・髙山辰雄の作品を紹介しているのを面白く観た。画家と年齢の近い、現在もご壮健の医師・日野原重明氏がインタビューに答えて作品の感想を述べておられるのが興味深い。曰く、その作品を見ていると海の底に沈んでいくような感じになる。

 画家自身は生前のインタビューで「私は個性という言葉は好きではない。普遍的な命のつながりを、どこにでもある家族のように共通のものを通じて知りたい(取意)」と述べる。

 紹介される晩年の作品は長寿を生きる画家ならではの視線の清澄さが表現されている。アカショウビンは先にも言及した堀 文子さんの作品に見られる視線ともそれは共通すると感じる。堀さんは植物や蜘蛛、ミジンコを凝視し作品に仕上げる。一方、髙山の視線は視角には捉えられない同じ胎内にいて赤子を見つめる二人の女性という幻想的な構図の作品が素晴らしい。意表を突かれる構図である。それは死を意識した画家の精神の幻視とも、生命の誕生の神秘を画家自身の経験を濾過して現したもののようにも思える。画家の精神と眼差しはアカショウビンの現在と過去そして未来を行き来する思考を督促するようでもある。

 70歳を過ぎてよく訪れたという故郷の大分での作品は画家の心境の境地を推察したくなる衝動を駆る。故郷の景色と空気に共振した画家が描く鳳凰は画家の精神が現象化したものとも見える。連れ合いを労わる鳳凰の振り返る屏風画の構図の中に描かれる人の姿は大自然の中に存在する点景である。画家の心境と境地の中でヒトは自然の中の極小さな存在である。

 「生きている限り生命の奥底にあるものを描きたい」という画家の言葉は北斎の画狂とも通底しているだろう。「生きている間に何かを知りたいけどねぇ」と語る姿は画家の率直な人柄を表して興味ぶかい。

 晩年に初めて描いた自画像の茫洋な画像はヒトという生き物の本質を射抜いているようにも思う。木炭で描いた柔らかい画風に自画像とはいえ全身を描き顔の判別は朧になっている作品は、「迷っている自分の姿が表現されていればそれでよい」という述懐と呼応し含蓄に富む。

 画家の視線と作品の視角、視界はヒトという存在の不可思議を現して興味尽きない。

  先にも記したが、あるご縁で作品を拝見させて頂いた美術家が富士山に対し北斎作品を挙げて述べる感想に刺激されて「冨嶽三十六景」も見直している。また晩年の北斎の奇想もアカショウビンの呆けた日常に痛棒を食らわす効果を齎すのである。

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2007年12月17日 (月)

視線・眼差しへの註釈

 先の書き込みへの注釈ともなる言説だと思うので翻訳者には失礼を詫びながら引用しておく。著者は「われわれの哲学することの一つの根本気分の呼び覚まし」という主題で私たちが経験する「退屈」という状態を考察する。その中でドイツ語の「Sicht=見る・視角・視野」という語を含む三つの語を用いて次のように考察していく。前稿の内容を更に一歩進めて考えるうえで参考になるのではないかと思い写しておく。

 視点(Hinsicht)、顧慮(RÜcksicht)、意図(Absicht)というこの三つの視(Sicht) 、これは、単なる知覚の視、あるいは理論的もしくは何かのんびりした受容などの場合の視ではなく、現有のあらゆるすることなすことのための視なのである。視のこの一挙に-全体なるもの、この中で現有は絶えず動いているのであるが、これは――三つのうちのどれか一つが遮られていたり、ぼやけていて、他の一つが一面的に突出しているというようなことはあるかもしれないが――この三つの視の一挙一丸は現在、既有、将来へと分かれて行くものなのである。この三つの視は三つ別々に並んであるわけではなくて、これは根源的に一つで、時の地平そのものという形で単一である。それは根源的に一にして統一的なる時の全-地平である。(ハイデッガー「形而上学の根本諸概念」 創文社 川原栄峰・セヴェレン・ミュラー訳 p242~243)。

  ただしゴシックの文字は翻訳では縦書きの文章の右脇に読点となっている。また現有(dasein)は一般に「現存在」と訳されている語である。

 難解で不完全な「存在と時間」という後世には〝問題作〟と見なされた著書を世に出した後のこれは講義録で本人も自覚していた著作の不完全さを補填する説明が随所に見られてありがたい。日本語と異なる言語で思考・思索する現象学的解釈学者の足跡を日本語で読み続けている者としては先の美術作品との出会いで得た新鮮な体験を少しでも理解しようとすると、このような言説を引き合いに出して考察していくのがタチであることを弁解しご海容を乞い願う。

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2007年12月13日 (木)

視線あるいは眼差し

 先日、ミクシイというSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)のご縁でメールも交換させて頂いている美術家の方が作品を出品されるというので北浦和の美術館へ行ってきた。アカショウビンは音楽以上に美術や絵画には門外漢である。ごく平凡な音楽好き絵画好きだ。したがって音楽コンサートやリサイタル、先日のフェルメールも個人的に好きな作品が展示されている展覧会にしか足を運ぶことはない。それでも初めて訪れた和風庭園などもある美術館周辺の空間は久しぶりに気持よく時間を過ごせた。作品が展示されている地下の会場には様々な美術家たちが作品を展示していた。それは門外漢のアカショウビンには殆ど未知な人ばかりだ。しかし、そこで観た現代美術の現在には少なからず関心を刺激された。

 その方の作品は通常の美術展のように会場の中ではなく、正確に言えば会場の透明なガラス壁から直ぐそこ、だから近くの扉から外に出れば直に触れられるような、建物と外界が触れ合う場所に展示されていた。他の日には建物の外の別な広い場所にも展示されたようだ。七夕の短冊を大きくして天女が着ていたという「羽衣」のような、膨大なトレーシング・ペーパーを用い多彩な色で模様が自在に描かれている。それは自然を抽象的に表現したようでもあるし作者の心象が反映されたもののようでもある。扉から外へ出た。作品が風で時にサラサラと音を立てる。作品の「内側」にも入り込んでみた。すると作品は壁に展示された通常の絵画作品とは異なる構造を持ち意想外な視角を提供する。独特の空間には素材のトレーシング・ペーパーを通過して差し込む陽の光と翳が人工に自然の恵みを溶け込ませ軽やかで新鮮な効果をあげていた。

 その日は午前中にテレビで堀 文子さんという画家のドキュメンタリー番組もやっていた。今年6月に日本橋の百貨店で作品群に接し感銘したことは、このブログにも書いた。そこで感銘したのは画家の視線の深さというものだった。画家や美術に携わる人々は視線あるいは眼差しと視角を通じて「世界」を視ている人である。表現される「作品」は見えないものを視て、それを表現する。優れた表現者は異界との媒介者でもあるだろう。そうでなくともその世界の人々は芸の力で私たちの日常に揺さぶりをかけてくる人々だ。その送り手の才覚がないアカショウビンは「作品」や「芸」に刺激され何事かの感想を述べるだけである。

 作者の視線あるいは眼差しと作品空間は、「人間的な意味の以前にある、そこから意味が生まれてくるような空間へと注がれた眼差し」(@小林康夫氏)であろう。

 「さまざまな不連続線や力線、垂直線、さらには空白のタブロー、奇妙な立体といった殆ど幾何学的な対象空間を見つめる眼差しは、意味以前というその位相に正確に対応して、それ自身、まだ身体を持たないような眼差し」(同)、という別な人物の思想の「解説」は、また驚くほどこの作品と作者の説明にもなっているではないか。

 それは美術館という閉鎖的な空間から抜け出て外の空間と交わることで息をする作品である。それが新鮮だった。そのような手法が新しいものか古いものか門外漢のアカショウビンには不明だが、作品が外界と交わり息をしているという経験は得がたいものだった。

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2007年12月 8日 (土)

「らくだ」

 先日、ある落語会で「らくだ」という噺を久しぶりに聴いて、かつて聴いた中味と少し違うので志ん生のテープを聴き直した。これは全集のもので昭和33年1月の録音。先の落語会では桂 伸治師を初めて聴いた。そこで面白かったのが「カンカン踊り」の「歌」である。「カンカンノキュウレンス~」という歌を伸治師は入れていた。これは何かの映画で聞き覚えがあり面白かったのでメモしておいた。その内容を究明するには至らなかったが。その音程が面白かったのである。映画では俳優の仲代達矢氏が、あの独特の低い声で唸るように語るように演じていた。その唄いには何か特別な意味も込められていたかもしれない。

 聞けば、あれは江戸時代に中国から入ってきた清楽のひとつだという。「キュウレンス」は「九連環」。

 以下は映画からアカショウビンの聴き取りである。

 かんかんのきゅうれんす きゅうはきゅうできゅ さんしならえ さーいほ しーかんさん ぴんぴんたいたい あーんも めんこがくわくって きゅうれんす かんかんの きゅうれんす(繰り返し)

 この最初の「かんかんのきゅうれんす」を伸治師の噺で聞いて、おやっ、と思ったのだ。アカショウビンが聴いた、多分志ん生だろうが、その録音の中にはなかったように思えたからだ。確かに聴き直した志ん生の録音には「かんかん踊り」と言うだけで「歌」はなかった。ところが或る人から教えてもらうと、どうも上方落語では「歌」入りだという。昨日、桂 米朝師のCD(平成元年10月17日の録音)を購入し聴いた。ちゃんと「歌」が入っている。なるほど、それは上方流なのかもしれない。名演は笑福亭松鶴らしい。録音はあるのだろうか、探してみよう。

 それはともかく。米朝師の噺は志ん生とは後半の趣がかなり異なる。酒が入ったあとの屑屋の豹変ぶりを米朝は実に丹念に描写する。それは上方落語の真髄とでもいう名演だ。小さな落語会から志ん生、米朝を聴いた幸を言祝ごう。

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