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2007年11月 7日 (水)

聞かせてよ愛の言葉を

 本日のNHK朝ドラ「ちりとてちん」の或る場面で流れていたのがタイトルのシャンソン。久しぶりに耳にした。フランスではリュシエンヌ・ボワイエが唄い日本でも和訳されヒットした(はず)。アカショウビンは学生の頃にフランス語習得に浅智慧でシャンソンを活用しようと画策した(笑)。ピアフやバルバラはじめ幾枚かのレコードを買い求め、あるいはレンタルでカセットテープに録音し聴いた。フランス語の上達に殆ど効果はなかった(笑)。しかし聴き込んだシャンソンは脳髄に沁み込み曲を聴けば心身が共鳴する。幾つかの曲はアカショウビンの生にエネルギーと安らぎ、それと人の声の力を教えてくれた。特にピアフが。リュシエンヌ・ボワイエのタイトル曲はメロディに惹かれた。ピアフの絶唱「愛の賛歌」は岩谷時子さんの訳で越路吹雪が歌い、それは心に響く歌い替えだった。今は殆どないがスナックのカラオケに凝っていた時は酔った勢いでよく唄い顰蹙ものだった(笑)。

 「ちりとてちん」で唄っていたのは歌詞はフランス語だったが多分、日本人だ。しかしフランスからすれば異国の人だろうが歌う人が心を込めれば曲は聴く者に響く。アカショウビンが触発され心に響いた曲は絞れば3曲。ピアフの「愛の賛歌」、ダミアの「かもめ」、リュシエンヌ・ボワイエの「聞かせてよ愛の言葉を」である。

 「ちりとてちん」の本日の話のなかでは、師匠から無体な仕打ちを受けた弟子が師匠の高座をヒロインが録音していたカセットテープで聴きながら口真似をする裏で「聞かせてよ愛の言葉を」が流れていた。落語家の卵の成長譚とシャンソンという取り合わせ(コラボレーション)の効果を制作者たちは狙ったのであろう。しかし悪くなかった。

 それだけ聴いてもたいした作品でない曲が映像と共に使用されて玄妙な効果をもたらすことがある。

 こんな事を書き散らすのもミクシイの映画好きサイト、特にスタンリー・キューブリックのファン達が立ち上げるトピックで傑作「2001年 宇宙の旅」(1968年)には139分版と149分版があるという指摘を読み149分版をDVDで購入し、この作品を観直し使用されている音楽の効果を改めて聴き入ったからだ。

 コラボレーションは誰でも出来る。しかし優劣がある。優れたコラボは見事で殆ど奇跡的な効果を発揮する。「2001年~」のその効果は見事というしかない。リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」とヨハン・シュトラウス2世の「美しく青きドナウ」が息をのむ効果をあげている。中学から高校くらいに観た同作品の印象と経験はアカショウビンのその後の生き方を方向付けたと言ってもよい。法螺を吹いているように聞こえるだろうが嘘ではない。アカショウビンの50余年の人生で、それは相応の重みを担って現在に至っている。その事に改めて映像と音楽を観聴きすると納得するのである。それはこの世で生きる「恵み」であり「さいわい」と言うことも出来る。

  ところで「ちりとてちん」。アカショウビンはヒロインが家族や落語家くずれの男たち、その周辺の市井の人々と共に生き変化し脱皮していく姿を幾らかの違和感も感じながら楽しませていただいている。師匠役の渡瀬恒彦はミスキャストだと思う。にもかかわらずヒロインが試行錯誤しながらも落語に惹かれていく姿が面白くも、いとおしいからだ。

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