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2007年11月21日 (水)

死刑制度について

 辺見 庸氏の最新刊「たんば色の覚書 私たちの日常」はアカショウビンの日常を刺激する。氏が繰り返し書かれているのが氏と関わりの或る死刑囚への共苦とも悶えとも感得できる思考だ。氏は刑の執行を自分のなかで了解しようと苦悶する。しかし人は他人の苦しみを己のものとすることはできない。そこには個別の想像力の深度だけが或る可能性を持つだけだからだ。

 氏が、その想像力の契機となる映像作品としてで挙げる「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(2000年 ラース・フォン・トリアー監督)を観直した。最新刊の中でも引用されている。これは何とミュージカル仕立ての作品である。評判を聞きかつて一見したが主演女優の見事さとカトリーヌ・ドヌーヴが出演しているのに驚いたことと、ミュージカルが独創的に使われていたことに記憶は留められ辺見氏の視角はアカショウビンにはなかった。しかし、この裁判劇でもある作品が死刑制度を思考するなかでジャーナリストで小説家でもある辺見氏にとって切実なものであることは再見すれば確認できる。

 一人の、か弱き女性、それは大概の男でもそうだろう、国家という装置と権力から裁判という紆余曲折の過程を経て殺される恐怖と苦しみを他者は共有できない。

 この作品は主人公が絞首刑に処されるまでの過程を詳細に描いている。その様子を辺見氏は凝視し、友人の死刑囚の執行の光景を反芻しているのだ。以前に観て、そのシーンは忘れていた。優れた映画作品というのは観る者それぞれに異なる印象を与えるものではないか。アカショウビンは主人公が殺人に至る過程と裁判を経て死刑執行までの心理劇を主人公と周囲の人々の視線や感情を通してミュージカル仕立てにした才覚に先ず意表を突かれる。

 辺見氏の想像の契機となる映像は恐らく友人の現実の死刑執行とは異なる筈だ。しかし国家が一人の人間を殺す行為の無残と驕慢に疑念を抱くならこの制度についても多様な視角で国民一人一人が自ら考え熟慮すべきだろう。

 ここで想い起こすのは松蔭寅次郎の死である。もちろん、この作品の主人公や辺見氏の友人が国家によって殺される事態と吉田松蔭の刑死は内実と外見が異なることは承知のうえで言う。アカショウビンはその心境を愚考すれば「留魂録」に残された松蔭の辞世を想像の契機とするしかない。

 呼びだしの声まつ外に今の世に待つべき事のなかりけるかな

 十月二十六日黄昏書す 二十一回孟士 

 と記されている松蔭の声が心の奥で響く。この覚悟と心境の表出は誰にでもできるものではない。しかし人が「国家」によって殺される心情の澄み切った透徹さをアカショウビンは読み取る。松蔭は覚悟の上で、それは当時の政治状況と深い学問に裏打ちされた止むに止まれぬ愛国心を処刑の前に歌に託した。しかし、そのような逸材を国家はいとも簡単に殺す装置であることを忘れないでいよう。

 アカショウビンは国家が人を斬首であろうが電気椅子であろうが絞首であろうが殺す事に同意しない。

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コメント

辺見 庸氏は「自動機希少装置」以来読み続けています。氏の文章のなか中にたびたび出てくる大道寺将司は同年代のこともあり、気になり、句集を手に入れました。たまたま知り合いの出版社だったので、運よく購入できました。今日本が届きました。もちろん「たんば色の覚書 私たちの日常」にも出ていましたから句集のご存知でしよう。辺見氏同様当方も俳句には素人、門外漢ですが読んでみようと思っています。大道寺は確定死刑囚と呼ばれるそうです―よくこのような言葉を作るものですね。

投稿: IT難民 | 2007年12月 5日 (水) 午後 03時23分

ティモシー・マクベイ 2001年6月11日 死刑を執行されました。
当時その一部始終をテレビの実況放送で見ました。どこかの国みたいにゲスで程度の低いinsensitiveなレポーターががなりたてるような報道番組という設定ではありませんでした。国家がその国の法に基づいて国民を合法的に殺すのを目の当たりに見ました。インディアナ州テレ・ホート連邦刑務所で薬物による死刑執行でした。お茶の間の空間でマクベイが殺される瞬間を傍聴席の遺族と共にワコウもブラウン管を通して見ました。
国家によって人が殺される正にその瞬間をデス。
現に今起こっている実写なのデス。 
フィクションではありません。
遺族の数が800名を越えたため全員を死刑執行に立ち会わす事が不可能になり、立ち合いをする遺族は抽選で選ばれ、その他の遺族はテレビ放送を見ることになったのだそうです。 
ティモシー・マクベイは、1995年4月19日、168名の人命が失われ850名以上の負傷者がでたオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件の首謀者です。
CNNの調査では国民の実に80%以上が死刑を希望したという統計が出ていました。
また、意見の多様性を誇るアメリカでここまで意見が一つにまとまったのは日本軍による真珠湾攻撃以来だと日本人としては聞き捨てならぬ耳の痛いことをいっていました。
(何かに付けて良くも悪くも今だに日本軍の真珠湾攻撃が引き合いに出されます。ですが、広島、長崎の原爆のことは決して言及されません。たいへんUnfair です。)
この事件は9.11まではアメリカ史上最悪のテロ事件といわれていました。
(マクベイ氏が処刑されて3ヵ月後に9.11が起こりました。)

マクベイの実写処刑場面を見ていて永山則夫のことを思い出しました。
永山則夫は、ワコウが日本を離れる一年程前の1997年8月1日に死刑を執行されました。
当時、聞くところによると確定死刑囚は50数名いたので、順番からすればずっと後であったはずなのに。しかし、少年による神戸連続児童殺傷事件が社会的に大問題になっていたため、その見せしめと言うことで早められたという指摘がありました。当時はまさかどうしてこんなに早くなの?とそして極秘なのと憤りが込み上げました。
彼は、最後まで、抵抗するといっていたとおり、当日の朝、隣の棟にいた同じ死刑囚の大導寺将司氏が永山の最後の絶叫の抗議を聞いていたということです。
最後にブルーノ・リチャード・ハウプトマンについて。
リンドバーグの息子の誘拐犯の冤罪で1936年4月3日死刑を執行されました。
それをドキュメンタリータッチの映画で克明に知りました。3割がたしか英語が理解できませんでしたが、全体の要旨は理解しました。
ハウプトマンは最後の最後まで無罪を主張し、最終的には殆どの関係者はハウプトマンの無罪を信じるようになっていましたが、死刑にされる流れを誰も止めることが出来ませんでした。
ハウプトマンは屈強で、たくさんの立会人が見守る中、最初の電気ショックでも、2度目の電気ショックでも蘇生し、3度目の電気ショックで殺されました。彼の布をかぶせられた顔がすべてを物語っていました。
映画とはいえ、実際にあったことです。
あまりのむごい光景に、ワコウは硬直してしまいました。

このそれぞれシッチュエイションの異なった3つの死刑執行が『死刑とは何か』を身近に感じさせ、ワコウの心の奥をえぐりました。
彼らの死刑確定後の日々を思うと、
また、その当日のことを思うと、
また顔に布を被せられる瞬間を思うと、、、、、、

言葉を失います。

国家が、どうであれ生きている人を、生きたいと思っている人を死刑にするコトには、それを良しとするいかなる理由付けもありえません。国家が合法化して殺人をすることにはくみしません。
犯した罪は罪です。償わなければならないでしょう。
ですが、命でもって償う必要がどうしてあるのでしょか???

また、その法が一人歩きして、国家に不都合な人間を冤罪で死刑にしてきた経緯は歴史がそれを物語っています。

大変長くなりましが、ワコウ自身の中ではっきりさせておかなければならないコトでしたので、恐縮です。

投稿: Noriko Wako | 2007年12月 7日 (金) 午後 10時57分

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