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2007年11月 3日 (土)

よく生きていない日本人?とミシェル・フーコー

 先日、テレビで養老孟司氏が加藤登紀子さんとの対談で、ドイツ人と中国人だったかの二人の若者が東京から京都まで旅をして「日本人はよく生きていない」という感想で一致した、という話をされていた。その話を引いて養老氏は、そういう視点から見られる日本人という民族は先の大戦でも見られたように、集団的にひとつの方向へ走りがちな民族だ、というように論評していた。それは果たして何を言おうとし、何が説明されていたのか?外国の若者の日本人観が正しいというものか?それとも「よく生きていない」ことが先の大戦へ雪崩れのように雷同していった、と批判したかったのか?

 そのあとで「よく生きる」ということの説明として氏はインドや諸外国の貧しい人々は経済的に生活は貧しくても、ぎりぎりのところで「よく生きている」と話していた。氏は、その人々の生きている姿が「正しく」て日本人は、それと異なる生き方をしていて「おかしい」と言いたかったのか?それが何ともひっかかるお話だった。

 アカショウビンはメディアに頻繁に登場し何事かを論評する人々の一人として氏の言説には違和感を持つ者である。大学教授で解剖学者、それに昆虫好きという人物が専門分野外の事を論評することに「よく生きていない」日本人は東大名誉教授と解剖学者という肩書きを信用して違和を持たないのだろうか。著作はよく売れているようだが、それで読者が氏の言説に賛同している者ばかりでもないだろう。もっとも昆虫好きの氏の談話は実に興味深いのだが。氏もメディアにいいように利用されているのを承知の上でのパフォーマンスと理解するのが妥当なところかもしれない。しかし何やら違和の根拠は探っておいたほうがよいという衝動に駆られる。

 それはフランスの思想家ミシェル・フーコーについての次のような論説を読むと糸口が見えるように思う。失礼ながらあえて引用させていただく。

                       ※

 おそらくは、すべての合理と不合理の知を渉猟したかに見えるヨーロッパの歴史観を、新たな「方法」によって批判しなければならなかったフーコーに対して、知の構築をしそこねてきた日本を、あえて「方法」と捉えなおすことによって知を抽出する立場との違いなのである。
 つまり、日本は古代から近世にいたるまで、「知」を意識しないで(あるいは意識できないままに)、いわば結果としての知をあれこれ演じてきたのであって、それゆえそこに一挙に「日本という方法」を見出すことには全く新しい意義があるとおもわれるのだが、もともと知の構築をめざしてきたヨーロッパから、その過誤や乱脈を方法によってのみ覆すのは、あまりにもたいへんな仕事なのである。しかしフーコーはそれに挑戦した。
 それに対して、ぼくはそのヨーロッパ化された世界知を使いつつも、日本という共同知が方法によってこそつながってきたことに注目したわけなのである。その違いであった。
 いま、『知の考古学』を読んだころのことを思い出してみると、フーコーからヨーロッパを差っ引いて読もうとしていた自分が思い出される。

                      ※

 ここで指摘される合理と不合理という対立項の合理に解剖学者として(ということは合理的な思考をすると見なされる「科学者」として、ということにもなるだろう)養老氏は依拠して雷同しがちな日本人を批判しているのではないか?上記の論説氏の「古代から近世にいたるまで、『知』を意識しないで(あるいは意識できないままに)、いわば結果としての知をあれこれ演じてきた」日本人、という認識はさておき、鍵括弧で括る<知>はヨーロッパ的な<知>であることを前提に日本人としてフーコーが挑戦した「仕事」と異なる挑戦をしていると言う論説氏の論述は興味深く、養老氏の視角が狭く見えるのである。

 フーコーの思考の面白さは論説氏が指摘するように「もともと知の構築をめざしてきたヨーロッパから、その過誤や乱脈を方法によってのみ覆すのは、あまりにもたいへんな仕事なのである。しかしフーコーはそれに挑戦した」ところにある。それはおそらくハイデガーが生涯かけて継続した思索・思考と呼応していると思われる。

 養老氏の言説に対する違和を了解する糸口になるかもしれない上の論説を通しあらためて「よく生きていない日本人」の一人として「よく生きる」ように考えていきたいと思う。それは皮肉ではない。人は誰でも「よく」生きたいものだという一応の前提(あくまで一応の、である)の下に言うことである。それは、考える(あるいは思考する)という行為が、どういう視野と展望を開き「よく生きる」ことになるのかの実験でもある。

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