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2007年10月28日 (日)

フェルメール再訪

 六本木の「国立新美術館」で開催されている「フェルメール 『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展」を再訪した。改めて観て神韻渺々のオーラを全身で浴びる。1632年生まれのフェルメールが27歳から28歳の作というから、その完成度の高さと天才というしかない作品に感嘆するしかない。

 前回観たときに注視した白い壁の空間に画家が描き込もうとしたのは地図や額に入った絵画、あるいは台所であることから暖炉ではないかという推測もされているらしい。しかし試行錯誤のすえにフェルメールは白壁の空間にした。また赤外線リフレクトグラムという装置で解析すると作者は女が牛乳を注ぐ左腕の最終的な輪郭を決定するまでに何度か線を引き直していることがわかるという。フェルメールは濃い青色の絵の具を厚塗りしながら入念に腕の形を整えた。まるで牛乳が重力の中で正確に壷から注がれているような壷を支える左腕に作者は細心の注意をはらったものと思われる。ともかく、この白い空間と左側に集中して描きこまれているテーブル上のパンや瓶のアンバランスのバランスが、この作品の面白さの要因と思える。

 横山大観に「隠棲」という作品がある。明治35年の作品だ。画面下にマリン・ブルーというのか素晴らしい色の腰掛に座り白いゆったりとした衣服に身を包んだ人物が横向きに左側に視線を投げている図柄である。縦長の画布の人物の上には何も具体的な対象が描かれていない。圧倒的な空白といえるが、それは「無」ではない空間だ。アカショウビンはフェルメールの白い壁に大観のその絵の空間を想起する。両作品を比較すると大観にアジア的・東洋的「空」を実感し、むしろこちらに共感するが、その記憶がなければフェルメールの白い壁にも感嘆することはなかったかもしれない。大観はフェルメールを知っていたのだろうか。興味あるところである。

 それにしても両作品ともに見事な空間表現と感嘆するしかない。

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