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2007年10月24日 (水)

崇高とは?神秘とは?

 先日の書き込みに対して懇切なコメントがあったので少し愚考を重ねる。「旅芸人の記録」に触発されるギリシア近代史の映像は日本人とギリシア移民が第三国で出会うことで新たな相貌を帯びてアカショウビンのような第三者に再考される。それは、このような仮想空間の中で経験する新鮮な体験とも言える。

 そこで、ヒトとは何か、と愚考するのがアカショウビンの性質なのである。たとえば「崇高」という概念でカミ(神)は思考できるのだろうか?西洋では否、で「絶対」という存在が「神」なのだろう。省みて我が国では八百万の汎神が宗教的土壌である。そこで神道とは何か、という問いは保田與重郎を読むことで継続したい。

 突然で恐縮だがマーラーの音楽のある作品を聴くと「崇高と神秘」とはこういうものであろうと沈思・瞑想に耽ることが出来る。以下は交響曲3番の4楽章のアルトの独唱である。ニーチェの詩と音楽が精妙な響きで呼応している。それは崇高とは何か?神秘とは何か?という問いに一つの音楽的な回答を示した例と聴く。神韻縹渺とはかくのごとき経験ではないかと思うのである。

O Mensch! Gib Acht! おお、人間よ!こころして聴くがいい!

Was spricht die tiefe Mitternacht?  深き真夜半が語っているのは何か?

"Ich schlief,ich schlif -, 》私は眠っていた、眠っていたのだ--

Aus tiefem Traum bin ich erwacht;- いまこそ深い夢から目覚めたところ--

Die Welt ist tief, 世界は深い。しかも

Und tiefer als der Tag gedacht.  昼間が想い描いていたよりも深い。

Tief ist ihr weh-,  世界の嘆く悲痛は深い--

Lust-tiefer noch als Herzeleid. 歓喜は-心の苦悩よりなおさら深いもの。

Weh spricht;Vergeh!  悲痛が告げるのは、うつろい滅びよ、ということ、

Doch alle Lust will Ewigkeit-, それなのに、快楽が永遠なる不死を欲する-

Will tiefe, tiefe Ewigkeit ! "  深い、深い永遠を欲するのだ!《  (深田 甫 訳) 

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