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2007年9月14日 (金)

甦る記憶

 ウェザー・リポートのキーボード奏者のジョー(アルバムによってはjosefの表記もあるが)・ザビヌルが死去した。享年75歳。翌日、CDの棚から引っ張り出してきて聴き直し追悼した。後で知ったのだが先月はドラマーのマックス・ローチも鬼籍に入っている。時代は気付かぬうちに刻一刻と変遷しているのである。

 アカショウビンのジャズ体験は学生の頃にハマッたコルトレーン、マイルスのモダンジャズに端を発する。その頃は西洋古典音楽から陽水、中島みゆきのフォーク、日本の演歌まで雑食のなかに棲み、生き延びる隘路を求めた。大げさだが当時も今も音楽にはずいぶん救われているのだ。

 ウェザー・リポートを聴いたのは随分あとだ。ザビヌルの経歴を見ると1959年、27歳のときにウィーンから米国に渡っている。その頃のジャズはモダンジャズが閉塞状況から脱しようと天才プレーヤー達が突破口を求めて苦闘していたハシリの時期と振り返ることもできる。ザビヌルの30代から40代はジャズがビ・バップからハードバップと「進化」し更にフリージャズに至るころである。西洋古典音楽党のアカショウビンも大学時代からジャズと出会いレコードやその頃は衰退の途上にあったとはいっても未だ残っていた「ジャズ喫茶」なる場所で名盤・駄盤・珍盤を聴きこなしていった。しかしザビヌルたちが突進して切り開いたとされるフュージョンという得体の知れない音楽に変貌した頃にアカショウビンは力尽きた(笑)。

 その後、今も1950年代の録音は相変わらず聴き続けているが、合間に70年代から80年代のレコード、CDを買い込み断続的に耳にしたのである。その過程でウェザー・リポートも聴いたのだった。

 ジョー・ザビヌルという「ピアニスト」はオーストリアから米国に移り演奏活動を続けた。50年代から60年代にかけてはキャノンボール・アダレイという人気アルトサックス奏者のバンドにも参加している。その頃は特に目立ったピアニストでもなかっただろう。それがウェザー・リポートを結成しテクニシャンたちの要となりエレクトリック・ピアノを弾きだした頃からスターに。70年代から80年代に次々とアルバムを生産し時代を象徴するバンドとなった。その後の消息はとんと知らなかった。それが訃報を聴いて懐かしくなりCDを棚の奥から引っ張り出し聴いているのである。その音を聴けば当時の記憶が走馬灯の如く甦る。

 米国で花開き展開していったジャズという音楽は極東の青年の耳と精神をも挑発、刺激した。その影響の何たるかは全体像が知りたいという衝動を駆る。そこで耳にしたフュージョンから以後の音楽はアカショウビンには、まるで西洋古典音楽の流れと断絶した現代音楽を聴かされているような印象だった。少年期から青年期にかけてアカショウビンの耳と精神は西洋古典音楽に染められていたのだ。それは美術にも文学にも共通する。話が飛び過ぎそうだ。それは後日。

 

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