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2007年8月18日 (土)

この世の記憶

 「これで、この世に思い残すことないの、兵隊さん」。このような言葉は国家を盾に抗争する、あらゆる場所で、生死を分かつ究極の場で、それぞれの声音で問われ、それぞれの感情と断念と強がりで応答されたと推量される。

 アカショウビンは従軍慰安婦問題を論じようというのではない。その言葉は、三國連太郎さんが「親鸞に至る道」(p86 光文社文庫1987)で広島の娼婦から聴いた最後の言葉として記されている。三國さんはその言葉を涙で心底におさめ戦地に赴いたと書かれる。しかし復員した時に見た瓦礫の光景は氏を根底から打ちのめしただろう。その女性も一瞬にか、苦しんでか、あるいは戦後を生き延びたとしても三國さんは再会することはなかったのである。

 死ぬ筈の男が生き残り、生き残る筈の女が死に果てた。 このような経験は人間を変えるだろう。

 戦後を生きるなかで親鸞に収斂していく三國さんの人生の決定的な経験が想像される。

 新藤監督が、「原爆が落とされた一瞬と、その数秒後を描きたい」という執念を『徹子の部屋』という番組のなかで語っておられた。三國さんの経験と新藤さんの言葉の重さを夏が過ぎるまで少しでも再考したいと思う。

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