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2007年8月19日 (日)

屋久島の縄文杉

 友人のN君が屋久島旅行から帰ってきて旅の話を電話で聞いた。羨ましい体験である。アカショウビンには巨樹信仰のような気質がある。樹木の生は人間の生を見晴るかす存在を直感するのだ。各地の神社や仏閣を訪れての楽しみはそのような巨木、巨樹に出会う楽しみである。

 N君が親子で訪れた屋久島はお嬢さんにとっても貴重な思い出となることであろう。長寿な巨樹からすれば人間共の一生など多寡が知れたもの。自然の偉大と崇高に黙して対面すれば生とは何か、この世とは何か、自ずと人間達の腑に落ちるのではないだろうか。

 ここ何年か前職の仕事で訪れる機会のあったのは小田原の飯泉観音の大イチョウである。それは見事な巨樹だ。人間共の些事を見下ろす風格がある。鷺が巣を作っている安心さ、ゆったりした時間が流れているのに心安らぐ。

 アカショウビンの御盆は読書とDVD、CD三昧で不精このうえない。巨樹の自然の囁きと生の震えを体験する貴重さは無上の経験であろう。子供達の歓声と蝉時雨。そして鎮魂。これが夏を生きるアカショウビンの現在である。

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コメント

 私も一度は訪れてみたい場所ですね。

投稿: 大王杉もみたい | 2007年8月23日 (木) 午後 01時37分

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