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2007年6月25日 (月)

堀 文子展・再訪

  都内の百貨店で開催されていた「堀 文子展」を再訪した。今年89歳になる画家の視線は対象を熟視し倦むことを知らない。その好奇心と視線は万物と照応し超越的な境地に到達しているのではないかと思わせられる。顕微鏡で微生物の世界に驚き、そこに生きる生命の不思議に驚愕する。ミジンコを描いた作品やクラゲを描いた作品から推測する画家の視線の新鮮さと深さには感嘆するしかない。
 或る禅者は「仏道をならふといふは自己をならふなり、自己をならふといふは自己をわするるなり、自己をわするるといふは万法に證せらるるなり。万法に證せらるるといふは自己の身心、他己の身心をして脱落せしむるなり」と説いている。この「仏道」を「画業」あるいは「絵を描くという行為は」と置き換えてみれば画家の境地も禅者と同格と思えるのだ。
 77歳になって訪れた南米や82歳になり幻の花と称されるブルー・ポピーに出会うためヒマラヤを踏破した行動力は驚嘆するしかない。画家は生涯でどんどん作風を変え新たな境地に分け入ってきた。温厚なお姿の奥に潜む画狂とも思える魂はアカショウビンの好きな田中一村の生涯と画業に通底するものだとも思ったのである。
 

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2007年6月18日 (月)

堀 文子の作品

  都内の百貨店で「画業70年 自然とともに生きて」と銘打った「堀 文(ふみ)子展」を観てきた。昨年、NHKの美術番組で紹介されアカショウビンもその名を初めて知り関心を持った画家である。5日から25日まで開催されているというので足を運んだ。堀さんは今年89歳になられるが創作意欲は老いて益々盛ん。感嘆するばかりだ。励まされ、好奇心に駆られるのだろう、会場は高齢者が多かった。
 2007年作の「牡丹」は<花の画家>の異名も持つ画家の花へのこだわりが伝わる作品だ。隣には1988年の「牡丹」も並べられている。会場にはNHKが作成した映像で、画家が咲いたばかりの牡丹をうきうきとスケッチする姿も放映されていた。
「花は本当にそのとき10日間ですね。花に会うのは。皆さん一人で退屈なのじゃないか、と言われますが退屈どころか忙しくて忙しくてどうしようもないです。その瞬間のものじゃないと絶対実感がないです。写真なんか見てもだめ。どんな一本の線でもいから描いておかないと。自分を通しているのですから、私の感性と神様との電気が通っているみたいなものでね、こんなこと空想して描けないです」と話す姿は、どうみても80歳後半の女性には見えない。彼女に対抗できる人は畑は違うが映画監督の新藤兼人さんくらいだろう。
  会場では各作品を「花・草木」「風景」「動物」「人物」「インスピレーション」の各章に分けて展示している。昨年のテレビ番組で見た時にもっとも印象的だったのが「極微の宇宙に生きるものたちⅡ」(2002年)だった。顕微鏡を覗いて描いたというミジンコが素晴らしい。そこには微小の世界に実存する豊饒が描き出されている。心臓の手術をしたあと、お好きな海外旅行に行けなくなって描いた作品という。それにしても画家の眼力の自由と自在に圧倒される作品である。
  かつてアルトサックス奏者の坂田 明さんがミジンコに凝っておられテレビ番組に出演して薀蓄を傾けていたのが実に面白かった。今も興味は持続されておられるのだろうか。
 堀さんが先の作品の翌年に描かれた「くらげⅠ」「くらげⅢ」も素晴らしい。クラゲをこんな風に描いた画家はかつていただろうか?
 顕微鏡で覗いた世界の豊饒さは逆に人間界の卑小さを笑い飛ばす快活と愉快がある。
 「金剛インコの森」の濃い青色は幻想とファンタジーに溢れる。画家は現象とその奥に潜む神秘に触れていると思える。おそらくその世界と交歓しているのだ。それが楽しく、面白くてしょうがないのだ。この世界を視覚的に凝視する。さらに精神を全開にして励起させ対象に共振させ熟視する。この世に生きるそれは愉楽というものだろう。

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