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2007年5月13日 (日)

M永君の当選祝い

 M永君の第2回の当選祝いを都内某所で行った。前回とは異なる新しい面子も参加した。自転車で会場に駆けつけたM永君は支持者への挨拶回りのあと。議員は大変である。

 久しぶりに会えた面子も交えて高校時代の思い出話に花が咲いた。高校時代は論客で鳴らしたH田君は大学を卒業後、家業を継ぎ未だ(結婚したことがあるのか不明)独身だが元気。S井君は大手企業の法人事業部マネージャーだ。K須田君は昨夏、沖縄から東京に転勤。昨年暮れにS木君と歓迎会をやって以来の再会。二人で新宿のゴールデン街まで繰り出した。新宿で別れたあとアカショウビンは何とか上野まで辿り着き沈没。カプセルホテル泊とあいなった。

 それにしても高校時代の面子と、こうして飲み昔話ができる幸いに感謝しよう。時はときにワープする。今生の思い出は次の世に引き継がれるのか定かでないが、その可能性の可否はともかく、生をまっとうする意志は失わないでいよう。

 先のブログで引用した吉本隆明さんが「ひきこもれ」(2006年12月15日 大和書房)という本で言及している、死に対するフーコーとサルトルの考えは次の通りである。

 死というのは、生まれて、成長して、老いて・・・というプロセスの最後の段階にあるものではないということです。生まれた時から死ぬ直前までを見渡せる、そういう場所にいるのが死であって、老いの次に死が来るなどということはないのだということを、ぼくが好きだったフーコーという哲学者などは言っています。

 サルトルも、違う言い方ですけれども、同じようなことを言っています。たとえばパリからリヨン行きの列車に乗ったとする。その列車に乗ればかならずリヨンに着くと考えるのは間違いで、途中で脱線することもあるかもしれない、と。その通りだとぼくも思います。死というのは、はかりがたいものです。(p119~p120)

 

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