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2007年3月13日 (火)

想像力の筋肉を鍛える

 不眠の朝に、音なしでテレビ見ながらチャンネルを替えていると、武満 徹のドキュメンタリーをやっていた。面白そうなので所々は音を出して見た。タイトルの言葉はそのときの武満のものである。

 その前には黒澤 明の「乱」の音楽についての両者のやりとりが面白かった。武満は、あの作品に、人の声だけで能のような音楽をつけたかったという。また黒澤はマーラーのような音楽を書いてくれと要求したとも。そのうちお互いのすれ違いで武満が憤慨したことなど作品が出来上がるまでの紆余曲折が興味深かった。

 「乱」という作品は黒澤晩年の超大作で鳴り物入りの宣伝での興行だったという印象は残っている。番組で武満夫人が明かす話は、武満が黒澤との遣り取りで仕事をなかば投げ出してしまった、という感もあったがアカショウビンは「乱」は武満の音楽が、その前の「どですかでん」よりも深く印象に残った作品だった。特に、夕暮れ(だったと思うが)兵たちの隊列をロングショットで撮ったシーンに流れた、それこそマーラー的な「葬送」の音楽はとても印象深くよかった。

 武満 徹という音楽家の全容は未だ明らかにはなっていないだろう。番組では奥様が武満にとって映画音楽の仕事はアルバイト的なものではなく、相当なエネルギーを費やしたと語っていた。映画音楽は武満にとって片手間仕事ではないのだ。映画音楽作品を映画と共に聴くことで武満という音楽家の光芒は新たな磁場を発するに違いない。

 そのセンスが抜群なのは篠田正浩との「心中天網島」のガムランやトルコ音楽の引用の見事さでわかる。

 映画とは映像と音楽の掛け算だ、といったのは黒澤 明だったはずだ。

 篠田氏が映画音楽とは、映像の中に侵入したり、逆に跳ね返されたり、云々という話も面白かった。「心中天網島」は、篠田正浩の最高傑作ではないか。それが武満の音楽によって「魂を吹き込まれた(取意)」という篠田氏の述懐は、なるほどと思わせるものがあった。あれは、例えばパゾリーニが「王女メディア」で使った日本の新内(だったと思うが、あの音楽は誰が監修したのか)と同等か、それ以上の効果を産み出していたとアカショウビンは想い起こすのである。

 しかし、それほどの映画音楽は昨今の作品にどれほどあるのだろうか?

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