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2007年2月18日 (日)

歌姫と歌壷

 フィオレンツァ・コッソットというイタリアのメゾ・ソプラノは歌のジャンルを問わずアカショウビンの好きな歌手の5本の指に入る歌い手だ。さきほどNHKに番組に出演してインタビューを受けているのを見た。聞けば2001年以来、毎年来日しているそうだ。アカショウビンは昨年の秋に来日の知らせを新聞で読んだ。何とかリサイタルを聴きに行きたかったが叶わなかった。ところが大晦日のテレビで来日公演のもようとニューイヤーコンサートで日本のオペラ人たちと共に歌う姿を拝見したのはさいわいだった。暮れから年明けも日本に滞在していたようだ。70歳を過ぎた小柄な御婦人の姿には洋の東西を問わぬ年輪を刻んだ人が醸しだす気品があった。

 テレビで聴いた声は往年の張りと潤いを失っている。それは仕方なかろう。しかしヴェルディ中期の傑作オペラ「トロヴァトーレ」のアズチェーナ役を歌う姿には凄みがあった。アカショウビンも、若いころ、レコードでこの声に挑発され感銘したのである。彼女のレパートリーは狭い。イタリアオペラのいくつかの作品に限定されている。それは彼女がインタビューの中で語っていたように自分に合った役柄を大事にしてきたからだ。何でも歌えばいいというものではないのである。もちろん、それが出来る歌手はいる。しかしイタリア・オペラのようにハイトーンの音程を声張り上げて歌うジャンルでは節制が人一倍重要であると語っているのには頷かされる。70歳のアズチェーナの役柄は台本の年齢に近いともいえる。若い頃とはまた異なるアプローチもあるだろう。歌い終わって響いたブラボーの声。日本にはこんなに彼女のファンがいると知ったのは嬉しいかぎりだった。

 歌姫たちには「歌壷」のある歌手とそうでない歌手に分けられる。「歌壷」とはアカショウビンの造語である。昨年のブログに書いた奄美のウタシャ(歌者)、朝崎郁恵さんの「うたばうたゆん」(2003)というアルバムにそれを感得した。そしてアカショウビンと同世代の中島みゆきにも。そういった歌姫たちとこの世に棲む日々を過ごせる幸いに感謝しよう。先般聴いたドイツの老テノール、エルンスト・ヘフリガーの日本歌曲を聴いたときにもそれを感得した。若さだけでは表現出来ない境地というものが確かに存在するのである。

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