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2007年1月 3日 (水)

年の始めに

  いかに生きるか、という問いは、いかに死ぬか、という問いと一対である。

 或るブログに次のような感慨が綴られていた。失礼ながら引用させていただく。

 「ここまで大きな事故にも遭わず、死病にも罹ることなく戦乱や暴動にも遭遇することなく、飢餓にも悪疫に罹ることなく生き延びられた。地球上60億人類同胞の中で私のような平坦な人生を生きられた幸運な個体はおそらく全体の5%にも満たないであろう。いまこの瞬間も世界のあちこちで戦争は続いており、飢餓や病で苦しむ人、貧困や圧制に苦しむ人は数億人を超える。自分が今こうして屋根のある家で、暖かい布団にくるまって、満ち足りた眠りを享受できることが、どれほど貴重なことか、私たちはそのことを忘れがちだ」。

 全く同感である。

 そしてブログ氏は、幕末から明治・大正・昭和を生きた或る会津人の回想を引く。

 「余が十歳のおり、幕府すでに大政奉還を奏上し、藩公また京都守護職を辞して、会津城下に謹慎せらる。新しき時代の静かに開かれるよと教えられしに、いかなることのありしか、子供心にわからぬまま、朝敵よ賊軍よと汚名を着せられ、会津藩民言語に絶する狼藉を被りたること、脳裡に刻まれて消えず。」
 「落城後、俘虜となり、下北半島の火山灰地に移封されてのちは、着の身着のまま、日々の糧にも窮し、伏するに褥なく、耕すに鍬なく、まことに乞食にも劣る有様にて、草の根を噛み、氷点下二十度の寒風に蓆を張りて生きながらえし辛酸の歳月、いつしか歴史の流れに消え失せて、いまは知る人もまれなり。」

 そして、次のように述べる。

 「このように私たちが今このような平和と繁栄を享受できているのは、絶望的な境涯の中で必死に生き延びようとした彼ら先人たちの孜々たる努力の成果を今私たちが受給しているからである。だが、私たち自身は次世代にために、そのさらに次の世代のために、かれらが享受できるようなものを残すために何か努力をしていると言えるだろうか」。

 これまた同感である。そしてアカショウビンは、冒頭の一対の問いの答えを探りながら、ブログ氏の慨嘆と問いかけにも答えていこうと思うのである。

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