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2007年1月28日 (日)

老テノールの日本歌曲

 さきほどNHKの教育テレビ「思い出の名演奏」と言う番組でエルンスト・ヘフリガーが1992年に来日したときの王子ホールでのリサイタルを放映していた。番組の前半は英国の作曲家ブリテンとテノールのピアーズのリサイタル。アカショウビンが触発されたのはヘフリガー。70歳を超えて日本歌曲をドイツ語に訳し歌う姿は後光が差しているようでもあった。モジリアニ描く女性を想い起こさせる若いピアニストも老テノールには良い刺激を与えているのだろう。それにしても、ドイツ語訳された歌唱と字幕の日本語は霊妙に呼応し、歌詞が哲学的にさえ読み取れたのはヘフリガーの精神が声となってこちらに響いてきたからだろう。

 「雪の降るまちを」を老テノールの姿とともに聴くと、その「精神的な」世界に絶句する。この作品は作曲者の中田喜直が鶴岡の知人宅で見かけた降雪風景から生まれたと聞く。冬の鶴岡はアカショウビンも経験がある。昨年の11月には仕事で晩秋の鶴岡を久しぶりに訪れた。庄内空港に向かう飛行機は悪天候で雷鳴の轟くなか揺れに揺れて着陸。生きた心地がしなかったことは昨年のブログに書いた。以前は仕事をこなすだけで訪れることもなかった致道博物館も訪問できたのは仕事の役得だった。ネットで調べてみると毎年2月には「鶴岡音楽祭」で、この曲が歌われているという。鶴岡は近年夙に名声高い小説家藤沢周平の故郷でもある。山田洋次の「武士の一分」には不満だったが前2作にはアカショウビンも感銘した。

 ところで、ヘフリガーが歌う瀧 廉太郎の「花」も、高野辰之作詞、岡野貞一作曲の「朧月夜」も見事だった。同じ作詞・作曲者の「故郷」も。アカショウビンが愛聴している日本歌曲のCDは鮫島有美子さんと平野忠彦さんのものだがヘフリガーには「精神とは何か」という事なども考え出されて触発された。

 「精神とは」、と頭に浮かんだところで前日のブログの続きを。

 「帰属」というヨルク伯爵の提示した概念のドイツ語ははZugehÖrigkeitであるだろうか?同学社版の新修ドイツ語辞典によると、その訳は「所有、所属(していること)」である。しかし、このドイツ語で注意すべきはgehÖrenという動詞であろう。~に属する、~のものである、という動詞は「存在」の本質を抉ろうとするときにハイデガーの精神を共振させたようにも邪推するのである。

 ハイデガーは次のように話しているではないか。

 「待望の光明」(erhoffte Lichtblicke)については、それが何よりもまず経験(エァファーレン)と眼差し(ブリッケン)の転換にかかわるだけに、ほとんど伝達不可能です。「現にあること(Da-sein)」の開けとは、空き地(Lichtung)を耐え忍ぶこと[出で立つこと(Ausstehen)]「である(ist)」のです。空き地と「現にあること」とはそもそもの始めから共属(zusammengehÖren)しており「共(zusammen)」という形で両者を規定する統一は生起(Ereignis)なのです。(「ツォリコーン・ゼミナール」p399 1991年刊行) 

 このzusammengehÖrenはヨルク伯の「帰属」と呼応しているのではないか?

 

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