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2007年1月31日 (水)

決戦の日

 将棋の名人戦が毎日・朝日の共催になった結果は、ファンとしては一応寿ぐべきだろう。当初、連盟が毎日新聞との契約を一方的に破棄したことにアカショウビンは呆れ、怒った。それは毎日を虚仮にする行為だったからだ。将棋界の仕組みをご存知でない多くの方に詳細は省くが、非は将棋連盟にあったことは明白である。その「難局」を凌いだのは将棋連盟の米長会長の「勝負手」だった。朝日との共催という「奇手」が功を奏した形になったわけである。最悪の結果は毎日新聞が共催を拒絶し将棋連盟と袂を分かつことだった。将棋ファンとしては共催を受け入れた毎日新聞の度量に心から拍手を送る。

  米長会長がおっしゃる通り将棋は日本の文化である。事は団体、組織の面子を超えて将棋という伝統文化を守り育むことに帰着しなければならない。小中学校で授業の中に取り入れていこうという東京都の教育委員でもある米長会長の提案にアカショウビンは賛同する。石原都政に賛同しなくても米長会長の大胆な提言は好しとする。

 ところで明日2月1日は名人戦挑戦者レース(順位戦という)の8回戦である。最終戦の前だが、これが面白い。トップを走るのは郷田九段。イケ面である。将棋も本格派だ。その後を追うのが谷川九段と羽生王将。8回戦はこの両者がぶつかる。郷田九段が勝ち谷川九段が負けると最終局を待たず森内名人の挑戦者は郷田九段に決まってしまう。谷川九段ファンとしては残念である。ここは何としても天敵羽生王将を負かして最終局に望みをつないでほしい。

 というわけで明日は将棋ファンにとって興味津々の日なのである。夜は将棋連盟に駆けつけ大盤解説を謹聴したいのだが仕事で山梨へ出張。結果は明日の夜に判明する。

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2007年1月28日 (日)

老テノールの日本歌曲

 さきほどNHKの教育テレビ「思い出の名演奏」と言う番組でエルンスト・ヘフリガーが1992年に来日したときの王子ホールでのリサイタルを放映していた。番組の前半は英国の作曲家ブリテンとテノールのピアーズのリサイタル。アカショウビンが触発されたのはヘフリガー。70歳を超えて日本歌曲をドイツ語に訳し歌う姿は後光が差しているようでもあった。モジリアニ描く女性を想い起こさせる若いピアニストも老テノールには良い刺激を与えているのだろう。それにしても、ドイツ語訳された歌唱と字幕の日本語は霊妙に呼応し、歌詞が哲学的にさえ読み取れたのはヘフリガーの精神が声となってこちらに響いてきたからだろう。

 「雪の降るまちを」を老テノールの姿とともに聴くと、その「精神的な」世界に絶句する。この作品は作曲者の中田喜直が鶴岡の知人宅で見かけた降雪風景から生まれたと聞く。冬の鶴岡はアカショウビンも経験がある。昨年の11月には仕事で晩秋の鶴岡を久しぶりに訪れた。庄内空港に向かう飛行機は悪天候で雷鳴の轟くなか揺れに揺れて着陸。生きた心地がしなかったことは昨年のブログに書いた。以前は仕事をこなすだけで訪れることもなかった致道博物館も訪問できたのは仕事の役得だった。ネットで調べてみると毎年2月には「鶴岡音楽祭」で、この曲が歌われているという。鶴岡は近年夙に名声高い小説家藤沢周平の故郷でもある。山田洋次の「武士の一分」には不満だったが前2作にはアカショウビンも感銘した。

 ところで、ヘフリガーが歌う瀧 廉太郎の「花」も、高野辰之作詞、岡野貞一作曲の「朧月夜」も見事だった。同じ作詞・作曲者の「故郷」も。アカショウビンが愛聴している日本歌曲のCDは鮫島有美子さんと平野忠彦さんのものだがヘフリガーには「精神とは何か」という事なども考え出されて触発された。

 「精神とは」、と頭に浮かんだところで前日のブログの続きを。

 「帰属」というヨルク伯爵の提示した概念のドイツ語ははZugehÖrigkeitであるだろうか?同学社版の新修ドイツ語辞典によると、その訳は「所有、所属(していること)」である。しかし、このドイツ語で注意すべきはgehÖrenという動詞であろう。~に属する、~のものである、という動詞は「存在」の本質を抉ろうとするときにハイデガーの精神を共振させたようにも邪推するのである。

 ハイデガーは次のように話しているではないか。

 「待望の光明」(erhoffte Lichtblicke)については、それが何よりもまず経験(エァファーレン)と眼差し(ブリッケン)の転換にかかわるだけに、ほとんど伝達不可能です。「現にあること(Da-sein)」の開けとは、空き地(Lichtung)を耐え忍ぶこと[出で立つこと(Ausstehen)]「である(ist)」のです。空き地と「現にあること」とはそもそもの始めから共属(zusammengehÖren)しており「共(zusammen)」という形で両者を規定する統一は生起(Ereignis)なのです。(「ツォリコーン・ゼミナール」p399 1991年刊行) 

 このzusammengehÖrenはヨルク伯の「帰属」と呼応しているのではないか?

 

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2007年1月24日 (水)

伝統に帰属する?

 ハイデガーが「存在と時間」の初版を刊行する1927 年の2年前の4月16日~21日まで10回に亘ってカッセルで行った講演会をまとめた「ハイデガー カッセル講演」という文庫(2006年12月11日 平凡社ライブラリー)を読んだ。面白い。あの難解で尻切れに終わった「存在と時間」を理解するうえで実に貴重、と木田 元氏も解説を書いておられる。この講演はハイデガーの語りが、あの「不恰好な文体」と「特殊な用語」を多少なりとも理解するのに参考になるのは間違いない。

 これは当時ハイデガーが強く影響されたディルタイの影響が通説より大きいことを明かす貴重な資料と研究者の間では話題になっているという。また沈黙期を脱したハイデガーが各論文の出版で編集者と遣り取りした書簡も収めて親切だ。「存在と時間」の出版までの経過の一端が垣間見えて面白い。戦後ハイデガーの消息を伝える「ツォリコーン・ゼミナール」(1959~1969)とも異なる、講演でのハイデガーの語りが速記で良く記録されていると思う。次の文章は序文を書いたF・ローディの中に記載されている。これも興味深い。

  「理解する者は伝統に帰属せざるをえない」。 「自分自身の内的経験の事実と、私たちがほかの人間の肉体のうちに置き入れざるをえない事実との同質性」がこの精神的事実の重要な特徴だ。

 この最初の文のキーワードは「帰属」、次の文は「同質性」である。最初のものはハイデガーが「存在と時間」の中でも注釈しているヨルク伯爵のもの。伯爵はこの帰属という概念をディルタイの「同質性」という概念に対置していた、という(ローディ)。後の文はハイデガーの弟子のガーダマーの言。「ハイデッガーが初めて徹底的に展開した問題はヨルク伯爵が『同質性』に『帰属』を対置していることによって明瞭になる」と著作(「真理と方法」)のなかで明かしているようだ。

 講演の中でハイデガーは高名で「生の哲学」で哲学史に名を残しているディルタイよりもヨルク伯爵の学識と哲学的射程の的確さを高く評価しているのが、これまでの定説を覆した資料として面白いと思う。講演ではハイデガーが聴衆にできるだけわかりやすく話そうとする「気遣い」が滲み出ている。有名な「死の先駆的覚悟性」といったハイデガー独特の用語も、あくまでも「比較的」であるが丁寧に説明している。

  再読、再々読して読み取った一端なりとも記していきたい。

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2007年1月17日 (水)

林住期

 インド人の死生観によれば、齢60を過ぎれば森に入り、世間とは一線を画し生きる「林住期」というときではなかったか。それはインド人の智慧とでもいうべきものに思われる。インド人だけでなく現在の日本人のアクセクした生にも、それは何やら示唆的である。ある人は60歳を過ぎてからでなく50歳を過ぎたら、それまで仕事や家族のために費やしてきた人生から離れて、自分の好きなように生きる時にしたほうがよい、というアドバイスもしている。

 先の書き込みで引用したあるブログ氏の「ここまで大きな事故にも遭わず、死病にも罹ることなく戦乱や暴動にも遭遇することなく、飢餓にも悪疫に罹ることなく生き延びられた。地球上60億人類同胞の中で私のような平坦な人生を生きられた幸運な個体はおそらく全体の5%にも満たないであろう」というご指摘は日常生活の慌しさのなかでストンと忘れがちな賢察である。

 世界有数の長寿社会に入ったこの国では「老い」が国家運営のうえでも重要な意味をもってきている。「団塊の世代」の定年「問題」というのは、それと関連しているだろう。

 車椅子に頼らなければ移動もままならぬ状態になるお年寄りには「老い」とう現象は切実さを帯びて迫っているはずだ。吉本隆明さんもその一人。多くの人々とは異なり、その思索力は往年のものとは異なる世界に分け入って旺盛な力をもっているようにも見える。聞き書きという著書「ひきこもれ」(2002年2月 大和書房)という本(2006年12月15日文庫化)もなかなか面白く読んだ。副題は「ひとりの時間をもつということ」。自分もひきこもりだった、と述べて引きこもることを社会的通念とは異なる視点から独特の考えを展開している。「子供の自殺は親の代理死である」というのはギョッとさせられる鋭い指摘だ。

 そこでは「死」というものとも向き合っているご本人の考えが開陳される。

 「死というのは、生まれて、成長して、老いて・・・・というプロセスの最期にあるものではないということです。 生まれた時から死ぬ直前までを見渡せる、そういう場所にいるのが死であって、老いの次に死が来るなどということはないのだということを、ぼくが好きだったフーコーという哲学者などは言っています」(同書p119~120)

 アカショウビンも齢50を過ぎて森のなかにわけいり、晴耕雨読といった生活でも送りたいが、なかなかそうもいかない。友人は会社を起し、やる気満々。お前も弱気になってばかりいないで元気出して協力せい、とうるさい。同窓生は病で果てた者もボツボツでてきているが多くはやる気満々。アカショウビンのような輩は情けない退嬰的危険分子として、かつてのどこかの国だったら同志・公衆の面前で自己批判されかねないところだろう。それからすると今の日本は病的でもあるが、お気楽なところがある。それはまんざら非とすべきところではないとも思うのである。

 小澤氏や大江氏のように、自らの仕事で得たあるいは到達した境地を次の世代に伝えるのに元気いっぱいな人々も少なからずいる。「団塊の世代」の人々のなかにも、そういった人はいると思われる。

 そこでアカショウビンはどう生きるのか、それが問われているわけだ。ところが正月はテレビを見ながら飲んでは寝入り、覚めては飲み、CDで文楽・志ん生・円生の名人達の噺を聴きながら夢の中で登場人物たちに交じり夢現。DVDでは名作・駄作・凡作を見ながらのダラダラ生活。言うは易く、である。

 しかし、もう少し何とかはしたい、というのが正直なところ、としておこう。

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2007年1月10日 (水)

悲しみ

 小澤征爾氏が大江健三郎氏との対談で、ヴェルディの「ファルスタッフ」とモーツァルトの「フィガロの結婚」という二つのコメディ・オペラを演じた後の感想として「何で音楽でコメディができたかというと音楽の根底には人間の情というものがあり、そのなかにはいつも悲しみがある」(取意)と話している。そして、それがあったからこそ「今度はそのなかから楽しい音楽というのが出たんじゃないか」と。なるほど。この前後の小澤氏の音楽観を通した語りは大江氏という分野の違う相手によって指揮者で音楽家のもっとも本質的と思われる個性が引き出され現われていると思う。

 アカショウビンは小澤氏と大江氏のファンである。といっても、両氏の演奏と作品を半分くらいも聴き、読んでいるわけではない。ただ、これまで幾つかの演奏、作品や雑誌、新聞の文章やドキュメンタリー映像を見聞きしてきて、いつの間にかファンになったというものだ。しかし、この「同じ年に生まれて」(中公文庫 2006年10月10日第2刷)という対談は実に面白い。2000年8月から12月まで3回に分けて行われたものを1冊にしたものだが、当時65歳の両氏の考えと若い人たちに託す思いが率直に語られていて実に楽しく刺激的。まだ途中だが改めて感想を書きたい。

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2007年1月 5日 (金)

アーノンクールのブルックナー

 ブルックナーの交響曲というのは西洋古典音楽(いわゆるクラッシクと言い慣わされる)ファンの中でも評価はマチマチな作品である。巷で多くの人が耳にするモーツァルトやベートーヴェンなどに比べると大体が流麗でなく、メリハリがほとんどない。とっつきにくく、茫洋として、思いつきでとってつけたような、まぁ何がなんだか正体不明で、出来上がりの不細工な、音の「建造物」みたいな音楽である。作品の構成はともかく音の響きは彼が教会のオルガニストでオルガンの響きをオーケストラに持ち込んだためともされている。ブラームスの音楽がモーツァルト、ベートーヴェンという「正統」を継承しているのに対しブルックナーは明らかに異質である。それは彼が熱烈なワーグナー信奉者だったせいでもある。ハイドン、ベートーヴェン以後のドイツ・オーストリア圏の古典期から近代に至る音楽史ではワーグナーに心酔し、「孤高」とも形容できる、ひたすら長大な作品をブルックナーは書き続けた。

 ワビ、サビ、芭蕉の俳文、俳句に象徴される簡潔。これが我が邦の文化の急所とするならブルックナーの重厚長大な交響曲作品が日本で現在のように人気が出たのは評論家の宇野功芳氏の批評の力が大きい。それはその世界では「常識」である。宇野氏こそが日本へのブルックナー紹介の最大の功労者と言っても差し支えなかろう。同時に氏は、存命中は世界最長老の指揮者という記録を更新し続けた(はずだと思うが確かめたわけではない)朝比奈隆氏のブルックナー演奏を高く評価し世界有数のレベルとも持ち上げた人でもある。クラシック業界という外国人崇拝が多い植民地根性に篭絡された、とアカショウビンを含めて自嘲とも揶揄してもよい世界で日本人演奏家をちゃんと評価した骨のある「評論家」である。かくいうアカショウビンも今から約30年も前の学生時代から宇野氏の批評を案内に各作品に親しんでいったクチである。

 ブルックナーの交響曲は若いときはともかく歳をとると全曲を聴き通すのがシンドイ。しかしながらCD売場で面白そうな盤があるとついつい買ってしまう。本日も正月呆け、アルコール漬けの体で朦朧と仕事を終えCD売り場をウロツイているとアーノンクール指揮ウィーン・フィルという「交響曲第5番」の 廉価盤を見つけ今夜の子守唄代わりと買ってしまった。録音は新しい。2004年の7月7日~14日にウィーンのムジークフェラインザールでの録音と記載されている。脳裏には昨年の来日時のテレビ放送での姿が明滅した。

 ニコラウス・アーノンクールという指揮者はアカショウビンにはあまり馴染みのある人ではなかった。たまに専門誌や新聞の演奏評を読んだりすると、才気に走りすぎた人という印象があり敬遠してきたのが正直なところだ。それが昨年のモーツァルト・イヤーで2つのオーケストラを指揮したのをテレビで見て面白かったのだ。あのウィーン・フィルの楽員達がシャカリキになって指揮者にコントロールされている。指揮する姿が実に生き生きとしている。大きく眼を剥いた表情は水木しげる描く妖怪の如きである。70歳は越えているはずだが背筋は伸びて実に若々しい。晩年のカール・ベームが来日した時の腰の曲がったいかにも枯れた名指揮者といった姿とは実に対照的だ。ベームの場合はあれで見た目以上の信頼関係があったのだろうが。アカショウビンはアーノンクールのかくしゃくたる姿と指揮ぶりの映像に先ず驚かされた。

 吉田秀和氏は昨年暮れの音楽時評でアーノンクールがかつて指揮したモーツァルトのオペラを「とても人間臭い」音楽と評していたのではなかったか。ブルックナーを聴いても、その指摘は当て嵌まるのではないか。あの茫洋としたブルックナーの音楽に細やかな解釈が加えられ、まるでファンタジックな「物語」を読み込んだ、とでもいうような演奏だ。これはブルックナーファンの間では好みが別れるところだろう。最近の専門家の批評は読んでいないがいずれ他盤とも比較してみよう。だが何せ演奏に1時間を超える作品である。次々と比較するというわけにはいかない。

 この演奏は1楽章20分34秒、2楽章14分57秒、3楽章13分35秒、4楽章23分59秒。延べ1時間13分5秒!えーっと呆れるなかれ。この長さこそブルックナーワールドなのである。ワーグナーの楽劇の長さからすれば軽いもの、と心得てオルガン的な音の世界に没入しなければならない。すると時に霊妙な響きが聴こえてくる。

 

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2007年1月 3日 (水)

年の始めに

  いかに生きるか、という問いは、いかに死ぬか、という問いと一対である。

 或るブログに次のような感慨が綴られていた。失礼ながら引用させていただく。

 「ここまで大きな事故にも遭わず、死病にも罹ることなく戦乱や暴動にも遭遇することなく、飢餓にも悪疫に罹ることなく生き延びられた。地球上60億人類同胞の中で私のような平坦な人生を生きられた幸運な個体はおそらく全体の5%にも満たないであろう。いまこの瞬間も世界のあちこちで戦争は続いており、飢餓や病で苦しむ人、貧困や圧制に苦しむ人は数億人を超える。自分が今こうして屋根のある家で、暖かい布団にくるまって、満ち足りた眠りを享受できることが、どれほど貴重なことか、私たちはそのことを忘れがちだ」。

 全く同感である。

 そしてブログ氏は、幕末から明治・大正・昭和を生きた或る会津人の回想を引く。

 「余が十歳のおり、幕府すでに大政奉還を奏上し、藩公また京都守護職を辞して、会津城下に謹慎せらる。新しき時代の静かに開かれるよと教えられしに、いかなることのありしか、子供心にわからぬまま、朝敵よ賊軍よと汚名を着せられ、会津藩民言語に絶する狼藉を被りたること、脳裡に刻まれて消えず。」
 「落城後、俘虜となり、下北半島の火山灰地に移封されてのちは、着の身着のまま、日々の糧にも窮し、伏するに褥なく、耕すに鍬なく、まことに乞食にも劣る有様にて、草の根を噛み、氷点下二十度の寒風に蓆を張りて生きながらえし辛酸の歳月、いつしか歴史の流れに消え失せて、いまは知る人もまれなり。」

 そして、次のように述べる。

 「このように私たちが今このような平和と繁栄を享受できているのは、絶望的な境涯の中で必死に生き延びようとした彼ら先人たちの孜々たる努力の成果を今私たちが受給しているからである。だが、私たち自身は次世代にために、そのさらに次の世代のために、かれらが享受できるようなものを残すために何か努力をしていると言えるだろうか」。

 これまた同感である。そしてアカショウビンは、冒頭の一対の問いの答えを探りながら、ブログ氏の慨嘆と問いかけにも答えていこうと思うのである。

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