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2006年12月 5日 (火)

28年前

 昨夜、NHKデレビがキャンディーズを取り上げていた。恥ずかしながら最後まで見させられてしまった。うーん、懐かしい!学生時代の友人達との間でも彼女達はよく話題にのぼった。おれはランちゃん、いやスーちゃん、何を!それはミキちゃんだろうが!とアホ学生たちは暇をもて余すなかで他愛もない話をしたものだ。

 番組はキャンディーズ尽くしのてんこ盛りである。それほどのファンではなかったアカショウビンだがヒット曲を聴きながら当時を追懐した。

 そのころ話題になった社会現象としては長嶋引退のほうが切なかった。人並みの長嶋ファンであるアカショウビンは柄にもなく長嶋茂雄賛歌の詩を書いた。恥ずかしいが事実である(笑)。今思い出せば年甲斐もなく照れてしまう。アンタ単なる馬鹿だったのじゃないの、という蔑みの声も聴こえてくるが(笑)。 まぁ、いいじゃないの。人間という生き物は他愛もないことで熱くなるものではないか。

 そのような当時に自分はどう生きていたのか。日記を引っ張り出した。解散コンサートがあったという昭和53年4月4日のものは見つからなかったが、その年の夏以降のものは出てきた。

 映画フリークで文学少年・青年だったアカショウビンはアルバイトをしながら将棋に入れ込み、新宿の道場通いが楽しみであった。大学で学ぶというより映画館と将棋道場が学校のようなものだった。

 その夏に母方の祖父が死んだ。アカショウビンは葬式に出たかったが無理して帰省することもない、という電話の父親の話に従いアルバイトで食いつないでいた。アカショウビンを可愛がってくれた祖母の葬儀にも行けず、父の臨終にも間に合わず、つくづくアカショウビンは不幸者である。明治生まれで巡査から印刷業に転じた祖父は達筆で大正天皇から褒美も戴いたという母の自慢の父親だった。アカショウビンが子供のころは、戦争中、母が娘のころ船で移動中にグラマンの攻撃を受け、周りで死者も出た中で祖父が母を庇い九死に一生を得た話をよく聞かされた。

 祖父が亡くなった日の2日後は広島に原爆が落とされた日である。「三十三年前のきょう、日本の一地方都市で大量に人が死んだ。今朝、ぼくはアルバイトに行く途中の地下鉄で正体なく居眠っていた」と記している。

 話が逸れた。キャンディーズである。キャンディーズをダシに文化現象論でも書いてもみようか、と思い立ったがアルコールの酔いがまわってきた。近く「キャンディーズ現象とは何だったのか」という問いを発し何事か考察してみることがあるかもしれない。

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