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2006年11月 5日 (日)

真実の心象風景と狂気

 NHKの「新日曜美術館」で山本丘人という画家が紹介されていた。門外漢のアカショウビンだが画家の力量の一端は感得した。生涯の作風の変化には田中一村にも通じる画狂人の存在を想像する。

 日本画家である丘人の絵には遠近法がないが、番組のゲストである入江氏という洋画家は丘人の絵には「フォーカスのあざとさがない」と説明していたのが興味深かった。遠近法というのは西洋絵画の特徴でもあろう。西洋絵画が日本に入ってきた時に大和絵の画人達は、それにもっとも刺激されたのではなかったか。

 遠近法という手法は絵画を通じて表現された最も西洋的な特徴ではなかろうか。日本絵画の特徴が平面的であるのに対し西洋絵画には奥行きがある。それは文明的な相違といってもよいのではないか。そういった論議は絵画の世界では既にされているのだろうが、丘人の作品を通して洋画家である入江氏の感想に肯うものがあったのである。

 丘人は「真実の心象風景を書きたい」から生涯に何度も画風を変えていったという。真実の心象風景というのは何だろうか?果たしてそのようなものが存在するのか?しかし丘人という画家を駆り立てた衝動はそういうものなのだろう。

 アカショウビンは田中一村という画家にも、そういった心の衝動を感じるのだ。遠近法という手法は日本画家達にとってどれほどの呪縛になっているのだろうか?一村の作品にもそれを感じる。昭和の初期に画才を磨いた一村に、そのことはどれほど意識されていたのだろうか?奄美に渡り一村の画風は一変している。それは丘人のように何度もではない。しかし一村にとっても画風の変化というのは「真実の心象風景」というのを求めてのことなのだろうか?

 一村と丘人に共通するのは「狂気」と言ってもよいのではないか。「狂気」とは何か?それは単なる病なのか?しかし、それは一村や丘人の日常に恒常的に現れていたわけではなかろう。作品を描く過程で、それは生じてくるものと思われる。それは優れた画家の抱える業のようなものかもしれない。

 

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