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2006年11月29日 (水)

快楽としてのジャズ

 アニタ・オデイの旧盤をあれこれ聴きながら、ここのところあれこれジャズのCDを棚から引っ張り出し楽しんでいる。アカショウビンは彼女のようにヘロインはやらないが充分にアルコール依存症である。昨年、病を患ってから同病の先輩のアドバイスで煙草は自然に止めたがアルコールは別。以来、昔ほどに飲み歩くこともなくなり酒量も減った。しかし死ぬまでに心残りのないよう我が五体にアルコールは詰め込んで冥土に旅立ちたいと願うのである。そして聴き残しているCDも心残りのないように聴き尽くしてから。無理だろうけど。

 昨日はアカショウビンの崇拝するジャズメン中のジャズジャイアント、デューク・エリントンのアルバムを購入し楽しんでいる。オーケストラでなくピアニストとしてのエリントンが入っているやつである。クラシックの巨匠たちとはまったく違う音楽としてエリントンという存在はアカショウビンにとっては偉大な「ピアニスト」なのである。

 アカショウビンがジャズに目覚めた学生の頃は往年のジャズ喫茶が残っておりCDもなくレコードで楽しんだ。まぁ、人並みにマイルスやコルトレーンなど先輩達がリアルタイムで没頭したという「名人」たちから聴いていったのだが、仲間の話題はもっぱらハードバップからフリー・ジャズでビッグバンドが話題にのることは殆どなかった。或る意味で、そういうジャズは一段低くみられていた。しかし歳を経てジャズと付き合っているうちに様々なプレイヤー達を聴いている中でデューク・エリントンという巨匠はオーケストラ指揮者としてでなく強烈なピアニストとしての存在だった。

 もとよりジャズという音楽は西洋古典音楽の信奉者たちからすれば世俗的な新興音楽として低く見られていた。しかし世俗の快楽に浸る没我の楽しみが軽蔑される所以はない。名人達のセッションはクラシックの名人たちの協奏と何等変わることのない音の快楽と崇高ささえ帯びるのである。林 達夫のひそみに倣うエピキュリアンを自称するアカショウビンとしては、この世に棲む間は快楽のすべてを味わい尽くしたいとも思うのである。これも無理だろうけど。

 毎度、話は飛ぶが、夕刊紙で五木寛之氏が「死は前よりはきたらず」というお題で語っている話は興味深い。かつて忌み嫌われていた「死」がそうでなくなったのは源信、法然、親鸞といった浄土教の仏者たちが登場してきたからだ、というご指摘は面白い。アカショウビンは、それに日蓮や道元も加えたいところだ。日本仏教の中で浄土三部経と共に、というよりそれ以上に法華経は仏教の聖典として尊崇されてきた。座禅一筋の道元さえ病を得て示寂するまでは法華経の神力品で病から逃れようと書写していたという。

 最近の世相を観ていると日本人はかつての貧窮から金満になったことで「死」をその日常の中から「疎外」しているのではないか。五木氏の主張される始祖たち以前の心相へと逆戻りしてしまったように見える。人は病を得たり不幸に見舞われたことで初めて「死」と正面するのではないか。

 アカショウビンのように厭世家で快楽主義者といった始末に悪い輩には、「死」をもっと違う視点から自らの中に取り込んでみたい欲求にかられるのである。

 まぁ、年末に向けてジャズや西洋古典音楽の快楽に浸りながら鎌倉仏教の始祖たちのテクストも読み込んで歳を越していきたいと思う。

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2006年11月24日 (金)

追悼、アニタ・オデイ、フィリップ・ノワレ

 アニタ・オデイが23日、87歳で亡くなった。アカショウビンは女性ジャズ・ボーカルの楽しさを彼女から教えてもらったようなものだ。「真夏の夜のジャズ」での鮮やかな衣裳も脳裏を掠める。その生い立ちは、十代の頃に既にヘロイン中毒やアルコール依存症といったジャズ・メン(ウィメンというべきだろうが)定番のものだったが、長寿をまっとうしたのは寿ぐべきだろう。ヘロインやアルコールで刑務所や病院で過ごした時期もあったと聞く。長寿必ずしも幸せとはいえないだろうが。

 10年前には泥酔して階段から転落し入院した病院で食中毒と肺炎に罹り、その後1年間歩くことも歌うこともできなかったという。その後、断酒し晩年もロサンゼルスで歌い続けたというからジャズに一生を捧げた見事なヴォーカリストだ。心より哀悼する。今宵は「シングズ ザ ウィナーズ」を聴いて、あのハスキー・ヴォイスとスキャットを偲ぼう。

 同じ日にはフランスの俳優、フィリップ・ノワレも亡くなった。学生時代に観た「追想」(1975年)が想い起こされる。「ニュー・シネマ・パラダイス」でも老いた円熟の演技を堪能した。

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2006年11月23日 (木)

狂気とは?

 或るブログで、学生さんだろうか若い映画好きの女性がスタンリー・キューブリックの「フルメタル・ジャケット」」を観て「すっごく、面白かったです!特に前半が」と感想を書いていた。アカショウビンも同感だ。あの作品の「急所」をキューブリックは若い女性にもちゃんと伝わる描き方をしているのである。そこがキューブリックのエライところだ。あの作品をご覧になっていない方に是非お薦めしたい傑作だ。

 かつて米国でヴェトナム戦争を描いた作品が幾つか撮られていた。とても話題になったのは「地獄の黙示録」だったろうか。それは、それなりに面白かった。あの戦争は米国の映画作家にとって格好の主題となりうる「歴史」と現実だろうからである。マイケル・チミノ監督の「ディア・ハンター」も生真面目な作品で好感が持てた作品だった。当時朝日新聞の記者だった本多勝一氏はこき下ろしていたが氏の読者であったアカショウビンは「えー!、そうなんですかぁ?」と疑問と違和感を持ったものだ。

 そして今から20年近く前にもなるだろうか、オリバー・ストーン監督の「プラトーン」が話題になった。あの戦争の生き残りである兵士が過酷な経験に基づいて映像化した作品として世評は実に高かったと記憶している。しかしアカショウビンは駄作と見た。なぜなら「作品」として拵えた映像で自分の「体験」を「表現」する時に、それは「体験」を記憶で辿り構成するだけでは、それは単なる独りよがりになるだけ。それを見させられる観客は白けるしかない。「プラトーン」はアカショウビンにとってそう見なすしかない「つまらない」作品だった。

 そういった鬱々とした気分でヴェトナム「戦争」を描く米国人の映画監督の作品を観ながら、あの「戦争」とは何か?とあれこれ考えていた。そして封切られた「フルメタル・ジャケット」を観終わった時に、これは快心の「傑作」と我が意を得た思いをしたのである。最後のクレジットのバックにローリング・ストーンズの「ペイント・イット・ブラック」が使われた時にアカショウビンは「やったね!」とキューブリックに快哉を送った。そこに急所として見える主題は人間の「狂気」である。

 戦争を描く映画は一筋縄ではいかない。そのことに創作する側は無自覚ではいけない。「名匠」C・イーストウッドも無自覚ではないから新作を撮った筈なのだ。「父親たちの星条旗」を観た後で、あれこれ考えていると、あの作品に不満だった理由は監督の悪い意味での「ヒューマニステック」な描き方にあるのではないかと思い至るのである。「人種差別」を「エピソード」の一つに持ってきても、「知的な」観客の共感と興味は掻き立てても「戦争」の全容は描きえない。だから聡明な監督は2作撮って観客それぞれに問いを任せたのであると推察する。

 「戦争」は言うまでもなく多面的な「現実」である。前線にいない兵隊達にはノンビリした日常というのも実際だったろう。しかし過酷な「戦闘」では「地獄」が現出する。それは体験した人でなければ伝えられない「現実」であろう。そのもっとも苛烈な映像は原一男の「ゆきゆきて、神軍」(1987年)である。「ヤマザキ!天皇を撃て!」の著者である「地獄」の戦争を体験した奥崎謙三氏の日常と「狂気」を追う映像は観る者を瞠目させる。

 アカショウビンが中学生の頃から高校、大学と経る年頃にヴェトナム戦争は先頃のイラク戦争と同じく海の彼方の戦争だった。しかしイラク戦争に対する「日本国民」の対応の仕方はヴェトナム戦争とは唖然とするほどの温度差があった。それは何か?それについて先の書き込みでM尾君が違和感を伝えたチョムスキーを含めて幾多の論客達が「解答」しているだろうが、それで始末がついたわけではなかろう。

 或る「事件」に対する「温度差」は日常的なものだ。近く三島由紀夫「事件」の11月25日が今年も経巡って来る。あの「事件」についてもアカショウビンを含めて、渡辺京二氏の術語を使えば、幾多の「生活民」や評論家、作家、知識人たちの「衝撃」が、あちらこちらのブログに記載されるはずだ。それは先にアカショウビンの文言に対してコメントされたI上君の感想も含めて千差万別であろう。マスコミや「歴史家」は、それを集約し「公的」なものに「まとめ」ようとする。その濃淡は「差異」として論じる思想的・哲学的論点ともなるだろう。

 話が錯綜してきた。アルコールも少し体内に満ちてきた(笑)。話にオチをつけ「勤労感謝」の日にも関わらず薄給サラリーマンは休日も無給仕事にも出かけなければならない(笑)。

 先日のブログに書いたように、ミシェル・フーコーの「狂気」に関する論説は難解だが興味深い。それは映画監督のスタンリー・キューブリックの作品に描かれる「映像」としての「狂気」を観ればフーコーの言説は難解ながら、フランスやドイツで歴史的な過程を経て視とおされる哲学的・思想的射程として興味を掻き立てられるのである。映像ではなく言説としてデカルトを介し「狂気」を論ずるジャック・デリダとミシェル・フーコーの応酬(「フーコー・コレクション3 言説・表象」ちくま学芸文庫 2006年7月10日 所収「私の身体、この紙、この炉」p391~p444)は難解ながら面白い。これを精読した後で感想を書き込もう。

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2006年11月17日 (金)

C・イーストウッド再論

 1997年に製作された「真夜中のサバナ」をDVDで購入し先日観た。昨日の朝はNHKで監督へのインタビューのさわりが放映されていた。監督も既に76歳という。それにしてもイーストウッドの茶目っ気と老いの姿はヒトという存在の成熟とゆとりの貴重さを感じ取った。新作はアカショウビンには決して出来の良い作品とは思えなかったが監督の真摯で誠実な人柄は画面の奥に視線として感じ取ることは可能だ。

 この1997年の作品は、それなりに監督の技量と問題意識が良く表現されていてエンターテイメントとして悪くない仕上がりと思う。そこに透けて見える監督の狙いは朧げながら確認できなくはない。同作品は米国社会における同性愛問題の位置づけを絡ませた裁判劇だ。新作の「父親たちの星条旗」では一人のネイティヴ・インディアンにスポットを当てて人種差別問題にも触れている。そういう、作品の中核ともいう構成要素に重いテーマを持ってくるところにイーストウッドという人の知性が垣間見える。「ミリオンダラー・ベイビー」は安楽死問題にも切り込んでいた。

 同性愛・人種差別・安楽死といったテーマは洋の東西を問わず人間というか人類が抱える「重い」テーマだ。そこに果敢に切り込む姿勢はC・イーストウッドという作家の精神的な境位を測るうえで興味深い。そういったテーマを扱う時に、そればかりが強調されては平凡な日常を軸に生きる通常の観客は目を背けてしまうだろう。 そういった重いテーマを扱いながら、それを作品として面白く構成するのが映像作家の才覚というものだ。その意味でC・イーストウッドという監督は技術と精神の絶妙の平衡を維持し作品を取り続けている貴重な作家と思うのだ。更に「硫黄島からの手紙」を観るまで未見の他作品も観ていきながら監督の真骨頂とでもいうものを追求してみよう。

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2006年11月14日 (火)

崇高とは何か?

 明け方、先日購入したブルーノ・ワルターが1954年12月3日にコロンビア・シンフォニー・オーケストラと録音したモーツァルトの交響曲を聴いた。後期の作品ほど有名ではないが28番(ハ長調・K200)の2楽章アンダンテはモーツァルトという音楽家の中にある筆舌に尽くしがたい崇高さというしかない、それは高みというのか超越というのか、そういうものを感じとる音楽である。

 先日聴いたK526のイ長調のヴァイオリンソナタのやはりアンダンテはモーツァルトという男が抱え込んでいた寂寥感というか無常観が心に沁みてくる音楽だった。それはモーツァルトが覗き込んでいた深淵とでもいうものが音になったと思わずにいられない音楽だ。しかし、この28番の交響曲のアンダンテは「崇高」と喩えるしかない静謐を楽章全体に漲らせている。モーツァルトの幾つかのアンダンテに聴こえる至高の音楽が確かに存在する。

 それはブルックナーの交響曲に通底するカソリック的「崇高さ」とも異なる。あえて言えば宗教的な臭みを超越しているとしか言えない崇高さというものではないか?

  またK526のソナタのアンダンテを評したアルフレート・アインシュタインの「あたかもすべての善人に生存の苦い甘みを味わわせようと、父なる神が世界の一瞬間だけいっさいの運動を停止させたかのような、魂と芸術の均衡が達成されている」境地とも異なる。それはワルターというモーツァルトを生涯賭けて愛し、演奏し続け、追求した指揮者にしか表現できない境地から紡ぎ出された演奏によるとも言えるかもしれない。しかし、そこに厳然とあるのはモーツァルトという人間の中に生成した音楽の高みの奇跡と言うしかない。

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2006年11月12日 (日)

M・フーコーの思考

 ミシェル・フーコーが1984年6月25日に亡くなる前月の29日、「ドゥルーズに近い」若い哲学者アンドレ・スカラのインタビューを受け、消耗している状態で語った話は興味深い。スカラに彼は「ハイデガーの読解がもつ重要性を語った」(「フーコー・ガイドブック」ちくま学芸文庫2006年11月10日p325)という。そのコメントにアカショウビンは注目する。恐らくフーコーにとってハイデガーは超えるべき西洋哲学の同時代人であり目標だったと思える。

 ハイデガーが主張する、西洋近代哲学が忘却した「存在の歴史」と、フーコーが「狂気」を通じて更に問い直した「西洋の歴史」は現代西洋哲学のなかで深く呼応している。

 アカショウビンは、かつてフーコーの浩瀚な「言葉と物」を読み終えた時にフーコーの語る話がまるで理解できなかった。何でこの人はこんな回りくどい言説を延々と述べるのだろう、と。読み終わっても不可解さの原因を追究する根気に欠けた。それからしばらくしてフランスでハイデガーとナチの関係が再燃し哲学界で論議された。それからアカショウビンは、かつて読んだ「存在と時間」を新たに読み直し、他著作の読解にも取り組んでいる。そしてハイデガーとフーコーの思索に呼応する「西洋」という歴史と哲学史に新たな関心を掻き立てられたのである。

 フーコー哲学の出発点は「狂気」を通じた思索である。それとハイデガーの「存在の忘却」は呼応していると思われる。「ヒューマニズム」に関して両者の思索はもっと近くなる。

 フーコーが言う、人間という存在が海辺の砂のように忘れ去られていく、それは「宇宙史」とでも言うしかない視線から語る言説は、ハイデガーが強調した、巷間流布している「ヒューマニズム」という概念を否定する言説として「現在」も改めて思考しなければならない急所であろう。アカショウビンが生きている時間の中で、「人間中心的」でない、そのような言説はとても魅力的で刺激的なのである。この国でもアジアでも、この惑星内での行き来は実に容易になっている。東西が行き交う中で西洋とは異郷の地でも新たな視角と視線が生じているのを実感もする。

 アカショウビンも、この国の江戸から幕末・明治・大正・昭和の思想史を辿りながらフーコーやハイデガーという西洋人の思索と呼応していこう。

 友人のI上君は田中正造の生涯を辿りながら、この国の現在を眺め直しているようだ。アカショウビンも、この惑星の行く末に思いを致し、ヒトとしての存在の「現在」を苦しみながらも楽しみ味わっていこうと思うのである。

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山形・庄内の旅

 先週は山形の庄内地方へ観光とお仕事。行きの飛行機は雷雲の中を揺れに揺れた。それでも何とか庄内空港へ着陸。生きた心地がしなかった。飛行機嫌いのアカショウビンには心臓に良くない。無事に着陸した時には本当に命拾いした思いだった(笑)。

 さて空港からバスに乗ると晩秋の山形は庄内柿がそこここの木々に実っている。遠くには月山の冠雪も見える。道路脇には群集し餌を啄む白鳥の姿が目を楽しませる。霰混じりで間断して降る激しい雨のなか地元農協も訪問した。最新の機械で庄内柿が自動的に選果される様子も見学。さらにバスは鶴岡市へ。市内では致道博物館を見学。かつて仕事で鶴岡へ来た時は立ち寄る暇なく通り過ぎた建物である。

 古代の竪穴住居や古人骨、庄内竿や北前船の展示が興味深い。高山樗牛の書も。「吾人は須らく現代を超越せざるべからず」。藩主の居間も覗いた。北前船と海運業で潤った庄内藩を支えた藩民の民具が見事なものだった。「文化」は当時の遺物を通して後代に遺される。しかし精神はどうか?人々の生活と精神も時代を経る過程で刻々と変化する。その変化は殆どが見過ごされて人々はアクセクと日々を生きる。

 晩秋の庄内の天候も時々刻々と変化する。過酷な冬は今も昔も変わらない筈だ。そこで生き続けるヒトの存在についてアカショウビンはしばらく感慨に浸った。

 翌日は天気も回復。最上川から紅葉を眺め舟下りも楽しんだ。帰りの飛行機は行きとは異なり実に快適。飛行機嫌いのアカショウビンだが、たまには飛行機もいいんじゃない、と実に単純なのであった。

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2006年11月 5日 (日)

手塚治虫

 NHKが手塚治虫を取り上げている。実に興味深い。手塚という漫画家はアカショウビンにとって単なる漫画家ではない。むしろ「思想家」と言ったほうがよい人だ。戦後の悪書追放運動で漫画が糾弾されたときに悩み反発したことも初めて知った。戦時中の空襲で眼にした惨状が手塚にとって決定的な転機となったことは戦争を経験した人たちには共感するところも多い筈だ。戦争を知らないアカショウビンにも氏の心の変化は作品を通していくらかは伝わったと思っている。

 アカショウビンは高校生の頃に手塚が生涯のライフワークとして書き継いでいた「火の鳥」に驚愕した。特に「鳳凰篇」は、その後何度も読み返し、そのたびに感銘を新たにする作品である。「鉄腕アトム」や「りぼんの騎士」の作者が世界観、生命観、宇宙観まで豊饒なパースペクティヴを持っていることに瞠目したのである。 

  小林秀雄が亡くなった時に、新聞には「巨星落つ」といった報道もされた。それに朝日新聞の記者だった本多勝一氏が反発して手塚治虫こそ巨星だと述べていた。それは両者に共感するアカショウビンにとって本多氏の論説には半分賛成、半分反対だった。小林秀雄と手塚治虫。この一見関係のなさそうな二人はアカショウビンの中では同居しているのである。

  手塚が晩年近くになって子供達がわからなくなった、と発する言葉は痛切だ。最近の子供達の異常は既にその頃から始まっていたのだろう。それをもっとも敏感に感じていた人が手塚だと思う。

 仏教の輪廻があるとするなら僕の来世はミジンコという言葉も手塚らしい。

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C・イーストウッド監督について

 評判の「父親たちの星条旗」を観てきた。「硫黄島からの手紙」を観てから感想を書くつもりでいたが、とりあえず連作の一本を観た感想を書いておこう。

 一言で言って、これは原作を読んでいなければわかりにくい作品である。何故か。CGを駆使した凄まじい戦闘シーンはともかく、回想シーンに現れる当時の過去と、それを追想する「現在」の複数の人物像が錯綜していることがひとつ。それと日本軍を描かない米国からの視点のみで描き挙げられている歪さもある。それは次の「硫黄島からの手紙」で補充されるということだろうが原作を読まない者にはかなり不案内な仕上がりというのがアカショウビンの印象だった。それと何故、今「イオウジマ」なのかという疑問も生じる。日本人なら「オキナワ」に対する思い入れのほうが強い。しかし硫黄島の戦闘も沖縄と同じように日米の戦争の姿を象徴する戦闘である。物量主義と精神主義といった対比でも概括できよう。

 それはともかく、アカショウビンの独断では「ミリオンダラー・ベイビー」のほうが、まだわかりやすかった。こちらは安楽死という難しい問題も含まれているが、作品の仕上がりは充分に見事というしかなかった。

 C・イーストウッドという「監督」の力量は先のブログでも書いたようにアカショウビンは了解している。今回の2作の公開に乗じてDVDで他作品も販売された。未見の「センチメンタル・アドヴェンチャー」(1982年)という作品も観た。原題は「HONKYTONK MAN」。こちらのほうが監督の感性のナイーヴさを良く現わしていると思う。その感性というのは音楽に良く現れている。「父親たちの星条旗」にも「ミリオン・ダラー・ベイビー」の中にも、それは随所に出てくる。前者では監督のオリジナルである音楽がピアノやギターで流れる。それは実に心安らぐ効果をもたらす。ジャズやブルース、カントリー・ミュージックに造詣の深いイーストウッドならではのものといえるだろう。

 「硫黄島からの手紙」は来月公開というから、それまでにイーストウッドの他作品もDVDで観ながら改めて感想を書こう。

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真実の心象風景と狂気

 NHKの「新日曜美術館」で山本丘人という画家が紹介されていた。門外漢のアカショウビンだが画家の力量の一端は感得した。生涯の作風の変化には田中一村にも通じる画狂人の存在を想像する。

 日本画家である丘人の絵には遠近法がないが、番組のゲストである入江氏という洋画家は丘人の絵には「フォーカスのあざとさがない」と説明していたのが興味深かった。遠近法というのは西洋絵画の特徴でもあろう。西洋絵画が日本に入ってきた時に大和絵の画人達は、それにもっとも刺激されたのではなかったか。

 遠近法という手法は絵画を通じて表現された最も西洋的な特徴ではなかろうか。日本絵画の特徴が平面的であるのに対し西洋絵画には奥行きがある。それは文明的な相違といってもよいのではないか。そういった論議は絵画の世界では既にされているのだろうが、丘人の作品を通して洋画家である入江氏の感想に肯うものがあったのである。

 丘人は「真実の心象風景を書きたい」から生涯に何度も画風を変えていったという。真実の心象風景というのは何だろうか?果たしてそのようなものが存在するのか?しかし丘人という画家を駆り立てた衝動はそういうものなのだろう。

 アカショウビンは田中一村という画家にも、そういった心の衝動を感じるのだ。遠近法という手法は日本画家達にとってどれほどの呪縛になっているのだろうか?一村の作品にもそれを感じる。昭和の初期に画才を磨いた一村に、そのことはどれほど意識されていたのだろうか?奄美に渡り一村の画風は一変している。それは丘人のように何度もではない。しかし一村にとっても画風の変化というのは「真実の心象風景」というのを求めてのことなのだろうか?

 一村と丘人に共通するのは「狂気」と言ってもよいのではないか。「狂気」とは何か?それは単なる病なのか?しかし、それは一村や丘人の日常に恒常的に現れていたわけではなかろう。作品を描く過程で、それは生じてくるものと思われる。それは優れた画家の抱える業のようなものかもしれない。

 

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2006年11月 3日 (金)

遠方より朋来る

 昨日は仕事で埼玉県の岡部へ。北関東の広々とした景色は心を癒す。深谷市に統合されて岡部の葱も深谷葱として出荷されるようになったというお話も伺った。先日来た時は土砂降りの雨にたたられたが昨日は天気も良く、しばらく歩いた。葱畑、牛小屋、乗馬場の匂いが心地よい。自然の豊饒な存在を伝えてくれる。ヒトは自然から生成され、時間という時に棲む存在である。

 仕事を終え社に戻り、残り仕事に眼を通して社を出る。夜は今年6月に沖縄から転勤してきた高校同期のK須田君と新橋で飲む。後からS木君もやってきて話は更に弾んだ。

 アルコールが体内に満ちてくる勢いでS木君の知っている店へ。何でも外国の歌しか歌えないという洋風の店だ。マスターは危なそうなスキンヘッド。アカショウビンは先日池袋のフィリピンパブで失敗したサイモンとガーファンクルの「ミセス・ロビンソン」に性懲りもなく再挑戦。またも見事にハズして情けなかった。S木君は「ハイウェイ・スター」他をノリノリで歌いまくり。K須田君も二人に煽られてマイクを握った。

 おかげで終電に乗り遅れ上野のカプセルホテルで沈没。休日の初日は午前様であった。K須田君、S木君お疲れさん!また会おう。それにしてもM永君が来年の市議選に出馬予定という話は寝耳に水。同期の面々で政治家になったのは何人かいるが50を過ぎて出馬というのは初めてではないのか。まぁ、健闘を祈ろう。

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