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2006年10月10日 (火)

林 櫻園の視座

  明治9年、熊本に起こった「神風連の乱」の思想的支柱となった林 櫻園という人はアカショウビンには実に興味深い人物である。百石どりの細川藩士の家に生れて、家塾原道館を開き、神風連の源流となった人だ。「神風連の乱」については三島由紀夫も最後の大作「豊饒の海」を構想するまでに資料を周到に読み込み他作品や同作中で乱の経緯と精神を三島流に解釈し生かしている。櫻園は乱に関わった人々や同時代の幾らかの識者たちに、それは「常識」からすれば不思議で奇妙というしかない影響を与えた。しかし櫻園という人物は乱自体が歴史上で大きく取り扱われ過ぎて本人の存在が埋もれてしまった感もある。アカショウビンは「神風連とその時代」(洋泉社 渡辺京二著 2006年6月21日)という新書で人となりを知った。そこには異形の神秘家(渡辺氏によれば神秘的見神者)といった姿が髣髴する。

 その人物が依拠したのは本居宣長の次のような言説である。渡辺氏は宣長の言説を「神学」と見なし、下記の『清教徒神風連』で福本日南が「櫻園の独自の思想」と紹介しているのは宣長の思想だ、と指摘する。

 人間現界の事は、皆神明幽界の指定に因るものなり、抑幽界には直神禍神の二流あり、其力互に相消長す、是国家に治乱あるの源なり、然れども現界の人が、亦時に幽界の神力に影響を致すものあり、例えば現界に於て正人直士力を人事に尽し、幽界直神の力と相得て強盛なれば、現界に於て正道伸びて邪道屈し、天下安平なり、若夫之に反して、直神の力邪神に勝つこと能はざれば、即天下に禍乱興る、是幽現二界、表裏相依るの有様なり     (同書p125)

 人が一朝、政治的な事を起こす裏には、損得勘定もさりながら、精神を鼓舞し震撼させる思想の力と強烈な意志、あるいは恨み、憤り、怒りが存するに違いない。それは「止むに止まれぬ」ものであろう。神風連の乱にも、それがあったとされる。しかし、少し異なる様相もある、と指摘したのが1977年に今回の新書の原本を世に出された渡辺氏である。氏は「北一輝論」も書いておられアカショウビンは教えられるところが多かった。「神風連とその時代」は出版当時は評判になった筈だ。遅まきながら読みつつあり触発される箇所が多い。

 北朝鮮の核実験で、きな臭くなっている北東アジアの現世相だが、江戸・幕末・明治・大正・昭和の思想史を読み解きながら、人や国家、政治を動かす根源的なものにも目配りを怠るまい。

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