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2006年10月 4日 (水)

私は決心しました

 小学校六年生の女児が自殺する前に残した七通の遺書のうちのひとつをテレビで見た。そのなかの「私は決心しました」の文字に目が留まった。その幼いけれども文字に移された女児の心と成長の途上にある精神がぷっつりと命を絶った瞬間の意識の不可解さと哀れさに愕然とする。

 ヒトという生き物は自分の命をある時突然断つ行為をとる生き物なのだ、ということに改めて思い知らされた。それが小学校六年生という学齢であることは、それほど意外だろうか?それは考察してみるに値する問いではなかろうか。

 長じて、人は死んだほうがよかろうと意志をはたらかせる場合があるだろう。借金や病気などで現在の日本は多くの中高年が自死している。しかし何故いちばん生き生きと生を謳歌しなければならない子供が死なねばならないのか。また死ぬことができるのか。

 そこには果たして「あの世」に対する憧憬があったのだろうか?

 それも信じられない。ただ「いじめ」から逃れたいという一心なのだろう。それは過酷で不憫で哀れというしかない。その死をテレビの出演者たちがアレコレ論うのは不遜としかいえない。少女がこれからどんどん成熟していく過程を楽しみ苦しむ幸せと苦労を断たれた親の悲しみを他者が察することは果たして可能だろうか?

 アカショウビンは、かつてある作家のホームページの掲示板に寄せられた「引きこもり」の子供たちの書き込みを読みながら、人が生きていく苦しみは10代でも40代、50代でも変わらないと感じたことがある。

  かつて武士や軍人は戦いに敗れ責任のために腹を切った。それは元服すれば10代の子供でもだ。乃木大将や三島由紀夫は主君に殉じ、あるいは国家と同胞に対する違和から憤りという言説を残し自裁した。自死に至る過程は各自様々である。それぞれの過程がある。乃木の軍人としての死に際や三島の作家としてか文人としてか「武士」としてか「切腹」という行為にも。三島の戦後の作品の特に30代から死に至る作品の幾つかは死ぬための準備というか助走のようなものといえる。その内容の本質は、幼いけれども恐らく死に至るまでに女児の生の過程が凝縮されている筈の七通の遺書と本質において等量ではないだろうか?

 少女の場合は「引きこもる」ことなく自死した。まだ引きこもっても生きたほうが良かったと思う。それからすると多かれ少なかれ、人には「引きこもる」ことで何事かの八方塞がりを切り抜ける時間が得られることは大切なことのように思う。

 家族にとって苦楽を共にする喜びこそが、この世に棲むことの、それは価値とか意味と言う言葉が妥当するか知らないけれども、人という生き物に与えられた「時間」のうちのひとつとはいえないか?

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コメント

この文脈に非常な違和感を感じる。憂国の情と己の美学に殉じた三島の観念的自殺と、一人の少女のまことに現実感ある無名の自殺とを同じ自死という捉らえ方で括ることにそもそものムリがある。
三島は著名人であったからには、自らの言説の影響力を十分に意識して自らの死を準備したといいうる。先の戦争の大義名分の下に、何等の悔恨も庶民的痛覚もなき著名人の自殺がマスコミに大きく取り上げられだけでも、影響力は大きい。お門違いの国家主義者をしゃしゃり出させるいいキッカケにはなっただろう。☆だが『英霊の声』などを僅かも受容する(続く)

投稿: スタボロ | 2006年10月 4日 (水) 午後 01時28分

(続き)悪しき精神主義の亡霊が巣くう日本人の心底には、真の平和への希求や戦争根絶のまったき平衡感覚は生まれえぬと感じる。☆他にも多言を費やさねば論じられぬこともあるので、この場では事足りぬ。悪しからず。

投稿: スタボロ | 2006年10月 4日 (水) 午後 01時38分

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