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2006年10月 6日 (金)

「遊就館」について

 今朝の毎日新聞の1面で靖国神社にある「遊就館」が米国の批判により第二次世界大戦の米国関係の記述を見直すことに決めた、という記事が掲載されている。

 先日のブログでアカショウビンは「サンデー毎日」に連載された保阪正康さんの「『靖国』という悩み」という論説を興味深く読んでいる、と書いた。連載は10月15日号で最終回となったので、スタボロさんのコメントへの返答と絡ませて幾つかの論点を立てられるように述べてみたい。

 先ずは保阪氏の最後の連載を抜粋して氏の論説を遡り考えていこう。

 明治39年5月3日の明治天皇の行幸で「靖国神社誌」には「行幸の節は本社前松樹の傍に設けたるご休憩所にて暫時御休憩あらせられ、陸海軍両大臣、臨時大祭委員長、及び宮司の拝謁仰せ付けらる」とあり、つづいて、「奉送奉迎等祭式次第にあり略す」とある。その参拝の模様については詳細には書きのこさないということだろう。(中略)こうした一連の資料にあたっていくと、靖国神社参拝はきわめて事務的に、そして、一定のルールのもとで儀式として行われたということがわかってくる。

(中略)

 この連載をつづけながら靖国自神社の境内がもつ「空間」は一面でそういう戦死者(日本人の多くの家庭は日清戦争から太平洋戦争までの間で戦死者をもっているだろう)と出会う場所との感も受ける。だが人の数も少ない境内にぼんやりとたたずみながら、そういう心理が逆手にとられて、現在の靖国神社が「存在」しているという現実にも気づく。いや「存在」しているだけではなく、それが政治運動や思想運動といった「運動」にも変化する危険性を常に秘めているとも思う。

 保阪氏は日露戦争で戦死された大叔父の靖国神社への祀られ方を通して靖国神社を思索する。その言説は現在の政治状況や思想論説とも密接に絡んでくる。情勢論に関わらない原則を立てるアカショウビンも暫くは禁を破って思索を続けてみたいと思う。(以下続稿)

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