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2006年10月24日 (火)

なかじきり

 鷗外に「なかじきり」(「鷗外論集」 講談社学術文庫所収 1990年)という随筆がある。大正6年の文章だ。有名な「余は石見人(いわみびと)森林太郎として死せんと欲す」という「遺言」が大正11年7月6日の日付になっているから、その5年前である。

 老(おい)はようやく身に迫ってくる、という書き出しで鷗外は自らの生涯を概括する。なかじきり、とは「中為切」で、鷗外によると「歳計をなすもの」ということであるから経済用語である。手元の辞書を引いても、その意味の説明はない。経済用語としても今は死滅しているのかもしれない。

 現在の日本人の平均寿命は大正の頃からすると格段に延びている。50を過ぎたばかりのアカショウビンの人生も、これからだとも言える。しかし、個人差はある。己の姿を見ても老化は人より早いものと思われる。であればアカショウビンも一生の「なかじきり」をしておいてもよい頃ではないのか。このブログは、そういった自覚のもとに始められた。

 

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