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2006年10月29日 (日)

無給仕事と映画寸評

 仕事は、いよいよ溜まり、休みも会社へ出る。サービス残業などと誰が名付けたのか?若者だけでなくアカショウビンたち中高年の消耗も限界を超えている。経営者は世の風潮をいいことに何の見返りもしない。それがアカショウビンの労働の現状だ。ふざけてもらっては困るのである。この国の歪な労働環境は極に達しつつあるのではないか?

 無給仕事から帰り、腹立ちをいなすべくNHK教育テレビのオール・モーツァルトを聴きながらチャンネルを切り換ると「亡国のイージス」を放映している。アカショウビンも途中からだが、最後まで観た。これは昨年に観ている。その時に感想を少し書いたように不満な仕上がりだった。阪本順治という監督の才能はアカショウビンも認めている。しかし不満だった。阪本は日本映画の貴重な才能である。この作品が昨今の政情に絡ませて仕上げた作品であることは明白。俳優もベテランから若手まで錚々たる面子だ。しかし物語の発想はともかく構成は「ダイ・ハード」日本版の安直さが見え透いて薄っぺらだ。各エピソードが作品として収斂されない不満が残る。それは監督の責任である。編集が外国人になっているのはどういうことなのか?アカショウビンは最初に観たときにその不可解さも指摘した。その前後の阪本の他作品もDVDで観たが不満だった。

 夏に観た黒木和雄監督の遺作「紙屋悦子の青春」の境地は果たして日本映画界で誰が継承するのであろうか?

  人の成熟には時間が必要なのはいうまでもない。しかし時間が必ずしも人の成熟を保証するわけでもない。映画監督に限らないが優れた芸術家は時代に生きながら時代を超越する視点を持つ。多くの人々は時代に足をすくわれる。そのことに映画作家は鈍感であってはならないだろう。

 土曜日には評判の「ブラック・ダリア」を観てきたが、これも期待外れだった。かくなるうえはC・イーストウッドの連作に期待するしかない。新聞評やネットでの批評は上々だが。いずれ2作を見たうえで感想を書こう。「ミリオン・ダラー・ベイビー」で監督の力量が成熟の頂点に到達しているのは確認済みだ。この老巨匠は俳優時代からアカショウビンのヒーローである。セルジオ・レオーネと組んだ「夕陽のガンマン」等のマカロニ・ウェスタンに中学時代はすっかりイカれたものだ。その俳優がいつのまにか監督に変貌していた。その映画人生は今や最終局面を迎えているが充実ぶりと成熟は見事というしかない。アカショウビンの判断では、今世紀の映画作家の10本の指に必ず入る才能である。アカショウビンの敬愛するスタンリー・キューブリックと共に。

 それにしても我が邦の監督の誰がそれに対抗できるだろうか?阪本順治ほか若い才能が存在するのは承知している。しかし今村昌平はじめ往年の大家たちは次々と去ってゆく。黒木和雄が逝き、残っている面々でアカショウビンが期待するのは鈴木清順ほか幾人も見当たらない。大島 渚はリハビリの毎日と聞く。市川 昆は自作品をリメイクする元気さだが。アカショウビンは鈴木清順に黒木的な境地は望まない。しかし近作の面白さを超えた生涯の傑作は残してもらいたいと切に願うのである。

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