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2006年10月29日 (日)

無給仕事と映画寸評

 仕事は、いよいよ溜まり、休みも会社へ出る。サービス残業などと誰が名付けたのか?若者だけでなくアカショウビンたち中高年の消耗も限界を超えている。経営者は世の風潮をいいことに何の見返りもしない。それがアカショウビンの労働の現状だ。ふざけてもらっては困るのである。この国の歪な労働環境は極に達しつつあるのではないか?

 無給仕事から帰り、腹立ちをいなすべくNHK教育テレビのオール・モーツァルトを聴きながらチャンネルを切り換ると「亡国のイージス」を放映している。アカショウビンも途中からだが、最後まで観た。これは昨年に観ている。その時に感想を少し書いたように不満な仕上がりだった。阪本順治という監督の才能はアカショウビンも認めている。しかし不満だった。阪本は日本映画の貴重な才能である。この作品が昨今の政情に絡ませて仕上げた作品であることは明白。俳優もベテランから若手まで錚々たる面子だ。しかし物語の発想はともかく構成は「ダイ・ハード」日本版の安直さが見え透いて薄っぺらだ。各エピソードが作品として収斂されない不満が残る。それは監督の責任である。編集が外国人になっているのはどういうことなのか?アカショウビンは最初に観たときにその不可解さも指摘した。その前後の阪本の他作品もDVDで観たが不満だった。

 夏に観た黒木和雄監督の遺作「紙屋悦子の青春」の境地は果たして日本映画界で誰が継承するのであろうか?

  人の成熟には時間が必要なのはいうまでもない。しかし時間が必ずしも人の成熟を保証するわけでもない。映画監督に限らないが優れた芸術家は時代に生きながら時代を超越する視点を持つ。多くの人々は時代に足をすくわれる。そのことに映画作家は鈍感であってはならないだろう。

 土曜日には評判の「ブラック・ダリア」を観てきたが、これも期待外れだった。かくなるうえはC・イーストウッドの連作に期待するしかない。新聞評やネットでの批評は上々だが。いずれ2作を見たうえで感想を書こう。「ミリオン・ダラー・ベイビー」で監督の力量が成熟の頂点に到達しているのは確認済みだ。この老巨匠は俳優時代からアカショウビンのヒーローである。セルジオ・レオーネと組んだ「夕陽のガンマン」等のマカロニ・ウェスタンに中学時代はすっかりイカれたものだ。その俳優がいつのまにか監督に変貌していた。その映画人生は今や最終局面を迎えているが充実ぶりと成熟は見事というしかない。アカショウビンの判断では、今世紀の映画作家の10本の指に必ず入る才能である。アカショウビンの敬愛するスタンリー・キューブリックと共に。

 それにしても我が邦の監督の誰がそれに対抗できるだろうか?阪本順治ほか若い才能が存在するのは承知している。しかし今村昌平はじめ往年の大家たちは次々と去ってゆく。黒木和雄が逝き、残っている面々でアカショウビンが期待するのは鈴木清順ほか幾人も見当たらない。大島 渚はリハビリの毎日と聞く。市川 昆は自作品をリメイクする元気さだが。アカショウビンは鈴木清順に黒木的な境地は望まない。しかし近作の面白さを超えた生涯の傑作は残してもらいたいと切に願うのである。

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2006年10月26日 (木)

保田與重郎と神風連

 先のブログに書いた江藤 淳の西郷観や川本三郎氏のいう荷風の「滅びの美学」といった視角にアカショウビンは同意しているわけではないことは断っておこう。それは小学生の女児の死に触発されて想起した三島由紀夫の自裁に対してもである。しかし、そういった文化風土の中にアカショウビンも生息していることは現実である。そこで何やら息苦しさを感じる。

 時代の息苦しさが、保田與重郎を読むことで息がしやすくなる、というのもアカショウビンとアカショウビンが生きる時代の逆説なのかもしれない。

  ろくすっぽ保田與重郎を読んでいないと揶揄されたアカショウビンも保田の「文人」としての力量は直観している。渡辺京二氏の著作に触発され林 櫻園に対する関心も湧いてきた。そこで保田の著作を読み返すと昭和15年に書かれた「神道と文学」という文章があった。そこで保田は神風連に言及している。その箇所を抜き書きしておく。

 中世以降の至尊調の詩によつて展かれた國体への自信と、その精神の表現のもつた國民正義は、唯一の批判と云ひヒユマニズムといってもよいが、つひに徳川中期以後に於て民衆化して、その時代の詩人的素質を異常な尊攘志士としての行動家と化したのである。この表現の民衆化の歴史は、これは確然として文明の一つの歴史を示してゐるのである。さういふ時代の詩的表現の運命は、神道家であつた神風連に於て最後的にあらはれたのであつた。私は神風連を理解することは、日本の文の志といのちを解する一つの鍵であると考へる。それは彼らの行為を神道の一つの説から考へるのではなく、さういふ表現に神ながらの詩そのものを見ることを云ふのである。(「近代の終焉」p56)

 神ながらの詩、と言うのが保田與重郎という文人の真骨頂とアカショウビンは読む。それは彼が到達した境地と言ってよいのか?一応は保田與重郎という文人の文学観であり思想なのだと思う。しかしそれは頭がクラクラするような(笑)理解と達観というしかない。それはまた「輪廻転生」という仏教思想に対するアカショウビンの面食らい方とも似ている。その原因は何か?それを探ることが保田や道元を読むアカショウビンの楽しみと言ってもよいだろう。

  この時代の息苦しさを超える何か突破口はないか、と更に模索していこう。

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2006年10月24日 (火)

なかじきり

 鷗外に「なかじきり」(「鷗外論集」 講談社学術文庫所収 1990年)という随筆がある。大正6年の文章だ。有名な「余は石見人(いわみびと)森林太郎として死せんと欲す」という「遺言」が大正11年7月6日の日付になっているから、その5年前である。

 老(おい)はようやく身に迫ってくる、という書き出しで鷗外は自らの生涯を概括する。なかじきり、とは「中為切」で、鷗外によると「歳計をなすもの」ということであるから経済用語である。手元の辞書を引いても、その意味の説明はない。経済用語としても今は死滅しているのかもしれない。

 現在の日本人の平均寿命は大正の頃からすると格段に延びている。50を過ぎたばかりのアカショウビンの人生も、これからだとも言える。しかし、個人差はある。己の姿を見ても老化は人より早いものと思われる。であればアカショウビンも一生の「なかじきり」をしておいてもよい頃ではないのか。このブログは、そういった自覚のもとに始められた。

 

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2006年10月18日 (水)

滅びの美学

 或るブログで「滅びの美学」という文章に出会った。

 東京の下町に育ったブログ氏は、会社のあるビルの十三階から向島と山谷の間を隅田川が流れる景色を見下ろしながら荷風を想起する。そして荷風は、この街の何に惹かれたのだろうか、と自問する。陋巷趣味か、廃滅のロマンチズムか、と。更に川本三郎氏を引用し「それは一種の滅びの美学というものである」と述べる。

 また云う。 「いわんや人の一生においておや」滅びの美学を含まない思想というものは、思想たりえない。ただの理屈であり、希望を語っているに過ぎない。なぜなら、人も街も等しく滅びてゆく宿命を負っていることをどこかで見ないようにしているからである。陋巷を歩くことで、その宿命の深淵に身をゆだねて見る。それは時間というものの深淵である。言葉にすれば野暮である。

 かつて江藤 淳が自裁する前に書き残した「南洲残影」(文藝春秋社 平成10年3月10日)で西郷南州の生き様と死に様を「滅びの美学」と述べていた。先のアカショウビンの林 櫻園への関心に叱責とも受け取れる揶揄があった。それはともかく、櫻園にも「滅びの美学」があったのか、と問うてみよう。一戦交えて戦闘には敗れても戦争に勝てば、こちらの言い分が通る、という櫻園の戦略に「滅びの美学」は看て取れるだろうか?

 渡辺京二氏の次の文章も挙げて再考していきたい。

   明治29年に「血史」を書き神風連をもっとも早く顕彰した紅涙散民こと木村弦雄は櫻園の攘夷論が巷間論われる無謀過激の論ではなく、「唯結局の覚悟を戦に究る」意味のものだという。何気ない言葉であるが、これは重要である。(「神風連とその時代」 洋泉社 p149) 

  渡辺氏は、櫻園の攘夷論を思想的軍事的に見ても幕末一等のものと評価する。櫻園の独自性は、「我が国が神国だから夷狄を近づけると国土が汚れるから攘夷するというのではない。水戸老公のように、我が国は物産豊かで交易は有害無益だから鎖国を守るというのでもない。開国か鎖国か、という問題の立て方は彼には存在しない。何が問題なのか。日本人が独立自尊の民族たりうるかどうかだけが、彼にとって問題なのである。(p150)

  この視点から導出される櫻園の説いた言説は明晰で事の本質を見抜いている。 また氏の次の指摘も共感する。  

  当時全国的に燃えさかっていた攘夷の狂熱を国民遊撃戦争に組織できたとしたならば、そのなかでの消耗に耐えうる西欧列強がどこにあったっだろうか。私たちは必然的にあのヴェトナム生活民の「客兵」に対する徹底抗戦を想起する。(p152)

  揶揄氏も、至らぬアカショウビンの考察に、もう少し詳しくご高察をご教示頂きたい。

 またブログ氏の「陋巷を歩くことで、その宿命の深淵に身をゆだねて見る。それは時間というものの深淵である」という感慨も考察するに値する感慨である。

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2006年10月15日 (日)

モーツァルトの音楽

 アカショウビンの日常に音楽は欠かせない。昨日観た「フラガール」の物語とハワイアン音楽にはホロリとさせられた。今夜はNHKで生誕250周年を記念しザルツブルグで開催されたモーツァルト・ガラ・コンサートを楽しんでいる。近年、売り出し中のの英国の若手指揮者、ダニエル・ハーディングがウィーン・フィルを指揮するガラ・コンサートも居ながらにして楽しめる幸せに感謝しよう。

 モーツァルトが生涯に作曲した22のオペラのうちアカショウビンが愛聴しているのはせいぜい5か6くらいである。初期のオペラは殆ど上演されることもないだろうし、CDやDVDでも有名作品や幾つかの初期の作品しか上演も録音もされていないと思う。それが生誕250周年の大騒ぎのなかで彼の地でほぼ全作が演奏され、それを楽しめる人々は羨ましい限りである。薄給サラリーマンのアカショウビンも金があれば飛んでいきたいのだが(笑)。

 それにしてもモーツァルトとは何者か、という問いは、もっと突っ込んで問いたくなる主題である。

 アカショウビンの場合はポップスからカンツォーネ(当時はイタリアのサン・レモ音楽祭というのが人気だった)、クラシックなどの西洋音楽に目覚めた中学から高校時代に読んだ小林秀雄の「モーツァルト」がその機縁となっている。日本の文壇や音楽界でも、それは通らなければならないマイルストーンの一つだろう。それを読んで以降は、現在もご壮健でおられる音楽評論家、宇野功芳氏はじめ諸氏の推薦演奏を参考に未だにモーツァルトや西洋古典音楽とは付き合い続けている。

 それにしてもモーツァルトの音楽の全容は、こういう機会を通しても計り知れないほどの多様性と深みをもっていることは疑いない。たかが西洋古典音楽という御仁もあろう。しかし、その音楽の真髄に向き合った人は、恐らく生涯、それに囚われてしまうほどの魅力を持つ音楽である。たかが西洋音楽、されど西洋音楽なのである。

 昨今の息苦しい政情の中でモーツァルトの音楽を楽しめる幸せを、今のうちに、存分に味わっておきたい。

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林 櫻園の視座(3)

  渡辺氏は、櫻園の攘夷論すなわち「焼土戦争論」を、戦火に焼かれる民衆の運命を度外視しているなどと批判するのは、どうしようもないことである、として次のドストエフスキーの言葉を連想する。

 「国民精神の根本的道徳的な宝は少なくとも、その基礎的な本質において経済力などには依存しない・・・・われわれは愛と結合の精神力を内蔵し保持することは、現在のわれわれの貧しい経済力でもできる、いな、もっとひどい赤貧状態でもできると断言する」。

 「不正や皮剥ぎ(トルコ兵のブルガリヤ人虐殺をさす)の値によって獲得された幸福などがなんであろう。それはもちろん、一時的に敗北して、しばらくの間貧困化し、市場を失い、生産を減少し、物価高騰を招くこともあろう。しかし、そのかわり国民の機構は精神的に健全でなければならぬ」。(p158)

 このように指摘し、渡辺氏は「ドストエフスキーと櫻園は、政治的課題に反政治的に対応せざるをえない強烈な偏向において奇妙な一致をしている。この偏向はいうまでもなく、危機の認識のしかたが深刻かつ包括的であり、その解決に必要な要因が表層的な政治的な必要よりはるかに底部においてとらえられていることから生じている」(p158~p159)と述べる。

  この渡辺氏の指摘は熟考すべきであろうと思う。

 ところで、昨日は話題の「フラガール」を観てきた。斜陽化する石炭産業を背景に昭和40年代の炭鉱町の人間模様を丁寧に描いた佳作だ。アカショウビンもスクリーンを観ながら泣き笑いした。東北の地方都市にハワイアンセンターを、という奇抜な街興し運動に招かれたハワイアンダンサーを中心に人々の姿が良く描かれていた。

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2006年10月14日 (土)

林 櫻園の視座(2)

  林 櫻園の思想が幕末維新史で際立っていることを渡辺氏は指摘する。それは政治的な行動を超えた「革命的」視角を持っていたと見る。政治運動とは人事であり、 櫻園は、それをいささかも信じることができなかったためだろう、と渡辺氏は考える。人事すなわち政治運動を超える視点が「革命」的ということである。 櫻園の弟子達の政治的な奔走から彼は超然と距離をとり神事に専念する。

 攘夷ということの意味を功利的レヴェルで受け取ろうとする現存の政治運動のすべてを否定するものであり、何のための攘夷かという誰も問うたことのない問を、彼を「迂腐」としてわらう志士たちの胸元に突きつけるものであった。(同書p149)

 それは政治運動に対する激烈な批判が含まれていて、「その意味ではまさにきわめて政治的なのである」と渡辺氏は説く。

 これは現在の我が国を取り巻く政治状況でも現出している状況ではないか?米国や中国、韓国、北朝鮮の国内で形を変えてあるいは同様に生じている現象ではないか?現在の政治的運動に奔走する政治家や周辺の人々が現在も我が国、彼の国々にもいる。

 北朝鮮は臨戦態勢であろう。それを狂気と批判するだけで事は治まらない、ということを幕末から維新、明治を生きた林 櫻園という「思想家」は既に見抜いていた、と読むこともできる。アカショウビンはスタボロ氏が指摘するように自分の「視座を正当化するスタンス」で言うのではない。そうではなく、自分の視座を客体化し、その可能性を諮るために思索するのである。

 それではスタボロ氏の視座は何処にあるのであろうか?日本人それぞれの視座があろう、しかし多くの同胞は座視しているのではないか?そこで行動を起こした幕末の「草莽」は現在のこの国にいるのであろうか?

 ここを考察しなければならない。そこで軽率であっては事を誤る。櫻園の視角を有している人物は、この国にいるのであろうか?そこをアカショウビンは問いたいのである。

  櫻園の攘夷論が「無謀過激の論」ではなく「唯結局の覚悟を戦に究る」意味のものだ、と「血史」を著した紅涙散民こと木村弦義の言葉に渡辺氏は注意する。そして 櫻園は「開国という選択の前に、一度はおのれの原則に立って西欧列強の脅迫を斥けるという精神過程があるべきだというのであって、その過程をふむ、ということは当然戦いを覚悟するということだというのが、彼の攘夷論の論理構造なのである」(p151)と渡辺氏は説く。

 この林 櫻園と言う人物に言説を巡らす渡辺氏の視角はアカショウビンには実に新鮮で興味深い。それは現今の政治状況と照らし合わせても意味深く読める。それは更にスタボロ氏のおっしゃる丸山眞男の著作や先のブログで挙げた保阪正康氏の靖国考察とも連動する。さらには宣長、篤胤らの「神学」とも絡ませながら考察することになるだろう。

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2006年10月10日 (火)

林 櫻園の視座

  明治9年、熊本に起こった「神風連の乱」の思想的支柱となった林 櫻園という人はアカショウビンには実に興味深い人物である。百石どりの細川藩士の家に生れて、家塾原道館を開き、神風連の源流となった人だ。「神風連の乱」については三島由紀夫も最後の大作「豊饒の海」を構想するまでに資料を周到に読み込み他作品や同作中で乱の経緯と精神を三島流に解釈し生かしている。櫻園は乱に関わった人々や同時代の幾らかの識者たちに、それは「常識」からすれば不思議で奇妙というしかない影響を与えた。しかし櫻園という人物は乱自体が歴史上で大きく取り扱われ過ぎて本人の存在が埋もれてしまった感もある。アカショウビンは「神風連とその時代」(洋泉社 渡辺京二著 2006年6月21日)という新書で人となりを知った。そこには異形の神秘家(渡辺氏によれば神秘的見神者)といった姿が髣髴する。

 その人物が依拠したのは本居宣長の次のような言説である。渡辺氏は宣長の言説を「神学」と見なし、下記の『清教徒神風連』で福本日南が「櫻園の独自の思想」と紹介しているのは宣長の思想だ、と指摘する。

 人間現界の事は、皆神明幽界の指定に因るものなり、抑幽界には直神禍神の二流あり、其力互に相消長す、是国家に治乱あるの源なり、然れども現界の人が、亦時に幽界の神力に影響を致すものあり、例えば現界に於て正人直士力を人事に尽し、幽界直神の力と相得て強盛なれば、現界に於て正道伸びて邪道屈し、天下安平なり、若夫之に反して、直神の力邪神に勝つこと能はざれば、即天下に禍乱興る、是幽現二界、表裏相依るの有様なり     (同書p125)

 人が一朝、政治的な事を起こす裏には、損得勘定もさりながら、精神を鼓舞し震撼させる思想の力と強烈な意志、あるいは恨み、憤り、怒りが存するに違いない。それは「止むに止まれぬ」ものであろう。神風連の乱にも、それがあったとされる。しかし、少し異なる様相もある、と指摘したのが1977年に今回の新書の原本を世に出された渡辺氏である。氏は「北一輝論」も書いておられアカショウビンは教えられるところが多かった。「神風連とその時代」は出版当時は評判になった筈だ。遅まきながら読みつつあり触発される箇所が多い。

 北朝鮮の核実験で、きな臭くなっている北東アジアの現世相だが、江戸・幕末・明治・大正・昭和の思想史を読み解きながら、人や国家、政治を動かす根源的なものにも目配りを怠るまい。

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2006年10月 7日 (土)

国の歴史

  以下のスタボロさんのコメントに応答しよう。 

>果たして国学思想や神道思想を通して日本という国家の歴史を遡るということで事足りるのか?それらは先の戦争の大義名分に利用され、三百万人強の犠牲を強いた国家滅亡に加担はしなかったか?☆左翼思想云々という言い方をしているが、それはアカショウビン氏自身の座視を正当化するスタンスではないか?☆たとえば中江藤樹、熊沢蕃山、近代の諭吉、兆民、鑑三、天心などの思想や丸山真男の業績などもきちんと踏まえる必要があるのではないか。また広島、長崎の原爆投下の経緯やその後の日米の政治関係、被爆の様相なども認識する必要があると考える。

 「国学思想や神道思想を通す」というのは、それが戦前から、というより明治政府が成立するまでの日本の歴史を通して象徴的な意味を持っているからです。もちろんそれで事足りるとしているのではない。それらが「大義名分」に利用されたことで、それを総て否定することは果たしてよろしいのであろうか、と問うべきであると言うのです。「国家滅亡の危機」に、それらの思想のみが加担したわけではないのはいうまでもない。それを検証する作業は、おっしゃる丸山眞男はじめ吉本隆明やM尾君が挙げた竹内 好、橋川文三ほかの諸氏が1950年代から1960年代にかけて様々に論議してきたことはご承知の通りである。藤樹、蕃山には頼 山陽も加えなければならないだろう。広島、長崎の原爆投下の経緯や、その後の日米の政治関係他を認識することは、また別の文脈と解する。

 左翼思想云々はアカショウビンが「右翼」として論じているのでないことはご理解頂きたい。国学思想や神道思想,三島由紀夫や保田與重郎を持ち出せば忽ち右翼的言辞を弄すると断じるのは余りに単純ではないか?日本という国の歴史で、それらが中世から近世に至るまで仏教思想と対置しながら地下水のような流れを形成していることには注意すべきだ。であれば、それを再考することは現在の靖国論議を稚拙な政治的結末で収束させないためには必要不可欠な作業だと思う。

 

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2006年10月 6日 (金)

「遊就館」について

 今朝の毎日新聞の1面で靖国神社にある「遊就館」が米国の批判により第二次世界大戦の米国関係の記述を見直すことに決めた、という記事が掲載されている。

 先日のブログでアカショウビンは「サンデー毎日」に連載された保阪正康さんの「『靖国』という悩み」という論説を興味深く読んでいる、と書いた。連載は10月15日号で最終回となったので、スタボロさんのコメントへの返答と絡ませて幾つかの論点を立てられるように述べてみたい。

 先ずは保阪氏の最後の連載を抜粋して氏の論説を遡り考えていこう。

 明治39年5月3日の明治天皇の行幸で「靖国神社誌」には「行幸の節は本社前松樹の傍に設けたるご休憩所にて暫時御休憩あらせられ、陸海軍両大臣、臨時大祭委員長、及び宮司の拝謁仰せ付けらる」とあり、つづいて、「奉送奉迎等祭式次第にあり略す」とある。その参拝の模様については詳細には書きのこさないということだろう。(中略)こうした一連の資料にあたっていくと、靖国神社参拝はきわめて事務的に、そして、一定のルールのもとで儀式として行われたということがわかってくる。

(中略)

 この連載をつづけながら靖国自神社の境内がもつ「空間」は一面でそういう戦死者(日本人の多くの家庭は日清戦争から太平洋戦争までの間で戦死者をもっているだろう)と出会う場所との感も受ける。だが人の数も少ない境内にぼんやりとたたずみながら、そういう心理が逆手にとられて、現在の靖国神社が「存在」しているという現実にも気づく。いや「存在」しているだけではなく、それが政治運動や思想運動といった「運動」にも変化する危険性を常に秘めているとも思う。

 保阪氏は日露戦争で戦死された大叔父の靖国神社への祀られ方を通して靖国神社を思索する。その言説は現在の政治状況や思想論説とも密接に絡んでくる。情勢論に関わらない原則を立てるアカショウビンも暫くは禁を破って思索を続けてみたいと思う。(以下続稿)

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2006年10月 5日 (木)

私は決心しました(続)

  この文脈に非常な違和感を感じる。憂国の情と己の美学に殉じた三島の観念的自殺と、一人の少女のまことに現実感ある無名の自殺とを同じ自死という捉らえ方で括ることにそもそものムリがある。
三島は著名人であったからには、自らの言説の影響力を十分に意識して自らの死を準備したといいうる。先の戦争の大義名分の下に、何等の悔恨も庶民的痛覚もなき著名人の自殺がマスコミに大きく取り上げられだけでも、影響力は大きい。お門違いの国家主義者をしゃしゃり出させるいいキッカケにはなっただろう。☆だが『英霊の声』などを僅かも受容する悪しき精神主義の亡霊が巣くう日本人の心底には、真の平和への希求や戦争根絶のまったき平衡感覚は生まれえぬと感じる。☆他にも多言を費やさねば論じられぬこともあるので、この場では事足りぬ。悪しからず。

 スタボロさんから上記のコメントが寄せられたのでご返答しながら考察してみたい。

 女児の自死と乃木大将(!)や三島由紀夫(そこには朝日新聞に乗り込みピストル自殺した野村何某や文芸評論家 江藤 淳他の著名人の自裁者たちや、アカショウビンが学生の頃に話題になった高野悦子さんという女子大生の自死を連ねてもよい)という高名な小説家の自裁を自死として括ることの牽強付会は承知でアカショウビンは女児の自死に驚愕し先の書き込みをした。三島の割腹自殺は武士の死に様を再現したというのが一般的な解釈だが、吉本隆明(その名は一般流通していると思われるので、ご存命にも関わらず敬称を省かせていただく)の、「三島さんの死は、中国の封建社会の武人の自死を武士の死と錯覚したのもの(といった論旨だったはずだが)」といった論説を読んだときに、実に意外な視角から見ている人もあるのだな、と眼の覚める思いがした。

 高校生のアカショウビンは、あの日本人を驚愕させた、昭和45年11月25日の「事件」の思想的・歴史的・文化史的・人間的理解を求めて、あるいは、その不可解さの原因をその後の人生で問い続けてきたと言うこともできる。それは政治的な左右両翼の言説とは絡み合いながらも、それを超克する言説を試行錯誤してきたと言ってもよい。それは先のブログの「チョムスキーと天皇」でM尾君の言説に対抗する言説としても表明されている。そこで「天皇」や「天皇制」を論じることは必然性を帯びるものとアカショウビンは考える。その考察を封じる言説にはマナジリを決して対抗するしかない(笑)。

 かように昨年の5月から開設した当ブログではアカショウビンの独断と偏見の考察・論説・思索が続けられている。それは極力情勢的な発言とは距離をとりながらも時に敢えてその禁を犯すものでもあった。

 しかし「英霊の聲」を「僅かも受容する悪しき精神主義が巣食う日本人の心底には真の平和の希求や戦争根絶のまったき平衡感覚は生まれえぬ」と切って捨ててよいのだろうか?あの作品で小説という形式を借りて自分の思想を表出した三島の「声」は再考する価値を有するのではないか?左翼的思想が切って捨てる思考停止とでもいった言説は現在のアカショウビンからすれば余りに独断的と見える。そういう視角から三島由紀夫という存在を新たに思索し直すことは戦後の思想空間を、もう一度深く捉え直すうえで不可欠と考える。それは三島を神格化しがちな思考とは異なる位相で展開されなければならないのはいうまでもない。また、それは保田與重郎という文人・思想家の言説を併せて再考していくのがアカショウビンのスタンスであることは強調しておきたい。それはまた、本居宣長の国学思想や平田篤胤の神道思想を介し日本という国家の歴史を遡る思索でもある。先日は富岡多恵子さんの「釋 迢空ノート」や渡辺京二さんの「神風連とその時代」の復刻本にも眼を通し刺激的な思索に出会ったので併せて感想を書き込んでいきたい。スタボロさんには、その点で是非とも多言を費やして頂きたいと思う。

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2006年10月 4日 (水)

私は決心しました

 小学校六年生の女児が自殺する前に残した七通の遺書のうちのひとつをテレビで見た。そのなかの「私は決心しました」の文字に目が留まった。その幼いけれども文字に移された女児の心と成長の途上にある精神がぷっつりと命を絶った瞬間の意識の不可解さと哀れさに愕然とする。

 ヒトという生き物は自分の命をある時突然断つ行為をとる生き物なのだ、ということに改めて思い知らされた。それが小学校六年生という学齢であることは、それほど意外だろうか?それは考察してみるに値する問いではなかろうか。

 長じて、人は死んだほうがよかろうと意志をはたらかせる場合があるだろう。借金や病気などで現在の日本は多くの中高年が自死している。しかし何故いちばん生き生きと生を謳歌しなければならない子供が死なねばならないのか。また死ぬことができるのか。

 そこには果たして「あの世」に対する憧憬があったのだろうか?

 それも信じられない。ただ「いじめ」から逃れたいという一心なのだろう。それは過酷で不憫で哀れというしかない。その死をテレビの出演者たちがアレコレ論うのは不遜としかいえない。少女がこれからどんどん成熟していく過程を楽しみ苦しむ幸せと苦労を断たれた親の悲しみを他者が察することは果たして可能だろうか?

 アカショウビンは、かつてある作家のホームページの掲示板に寄せられた「引きこもり」の子供たちの書き込みを読みながら、人が生きていく苦しみは10代でも40代、50代でも変わらないと感じたことがある。

  かつて武士や軍人は戦いに敗れ責任のために腹を切った。それは元服すれば10代の子供でもだ。乃木大将や三島由紀夫は主君に殉じ、あるいは国家と同胞に対する違和から憤りという言説を残し自裁した。自死に至る過程は各自様々である。それぞれの過程がある。乃木の軍人としての死に際や三島の作家としてか文人としてか「武士」としてか「切腹」という行為にも。三島の戦後の作品の特に30代から死に至る作品の幾つかは死ぬための準備というか助走のようなものといえる。その内容の本質は、幼いけれども恐らく死に至るまでに女児の生の過程が凝縮されている筈の七通の遺書と本質において等量ではないだろうか?

 少女の場合は「引きこもる」ことなく自死した。まだ引きこもっても生きたほうが良かったと思う。それからすると多かれ少なかれ、人には「引きこもる」ことで何事かの八方塞がりを切り抜ける時間が得られることは大切なことのように思う。

 家族にとって苦楽を共にする喜びこそが、この世に棲むことの、それは価値とか意味と言う言葉が妥当するか知らないけれども、人という生き物に与えられた「時間」のうちのひとつとはいえないか?

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