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2006年10月15日 (日)

林 櫻園の視座(3)

  渡辺氏は、櫻園の攘夷論すなわち「焼土戦争論」を、戦火に焼かれる民衆の運命を度外視しているなどと批判するのは、どうしようもないことである、として次のドストエフスキーの言葉を連想する。

 「国民精神の根本的道徳的な宝は少なくとも、その基礎的な本質において経済力などには依存しない・・・・われわれは愛と結合の精神力を内蔵し保持することは、現在のわれわれの貧しい経済力でもできる、いな、もっとひどい赤貧状態でもできると断言する」。

 「不正や皮剥ぎ(トルコ兵のブルガリヤ人虐殺をさす)の値によって獲得された幸福などがなんであろう。それはもちろん、一時的に敗北して、しばらくの間貧困化し、市場を失い、生産を減少し、物価高騰を招くこともあろう。しかし、そのかわり国民の機構は精神的に健全でなければならぬ」。(p158)

 このように指摘し、渡辺氏は「ドストエフスキーと櫻園は、政治的課題に反政治的に対応せざるをえない強烈な偏向において奇妙な一致をしている。この偏向はいうまでもなく、危機の認識のしかたが深刻かつ包括的であり、その解決に必要な要因が表層的な政治的な必要よりはるかに底部においてとらえられていることから生じている」(p158~p159)と述べる。

  この渡辺氏の指摘は熟考すべきであろうと思う。

 ところで、昨日は話題の「フラガール」を観てきた。斜陽化する石炭産業を背景に昭和40年代の炭鉱町の人間模様を丁寧に描いた佳作だ。アカショウビンもスクリーンを観ながら泣き笑いした。東北の地方都市にハワイアンセンターを、という奇抜な街興し運動に招かれたハワイアンダンサーを中心に人々の姿が良く描かれていた。

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