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2006年9月12日 (火)

祖先崇拝

 アカショウビンはコラムニスト(とお呼びしてよいのだろうかと迷うが、どこかでそのような肩書きを読んだ記憶もあるので、とりあえずこう書かせていただく)中野 翠さんのファンである。サンデー毎日の「満月雑記帳」は辺見 庸氏も連載を書かれておられた頃に併せて読むのを楽しみにしていた。辺見氏の連載が終わった後は保阪正康氏が引き継ぐ形になっている。これも面白く読んでいる。

 今週号を読み興味深かったのは先ず中野さんのコラム。秋篠宮妃の出産の話題に始まり、夏に読まれた、きだみのるの「気違い部落周游紀行」のエピソードを紹介している。きだみのること社会学者の山田吉彦が疎開先の奥多摩村の人々の生活を観察・分析したのが同書である。

 村人は一本の桜が自慢。その傍には芭蕉の句碑がある。村人の自慢は芭蕉がそこを通って、桜を句に織り込んだというのが自慢のポイントというわけである。しかし目の前にある桜は若木。山田が「だが芭蕉とこの桜じゃ年代が合わないようだな」と言うと、村人曰く「はぁ、実生の五代目でさぁ」。そこで山田は次のように書く。

 「これは祖先崇拝の国でしか見られない物の考えであろう。この桜は世襲制華族を当然とする精神的雰囲気に支持されて、学問的に且つ素質的に何の違いもない同類を見下しているわけである」。

 この指摘の是非はともかく、中野さんが曲者なのは天皇家の話題でもちきりの世相を見ながら、さりげなくきだみのるを持ち出し、「案外私も無意識のうちにこういう『祖先崇拝の国でしか見られない物の考え方』を受け入れているところがあるんじゃないか、ほんとうに無意識のうちにね。」とさらりと書くところである。

 敗戦から2年後に出版されたこの「名著」が「戦後民主主義」の時代思潮のなかで評価されたことは、もう少し深く読み直す必要があるようにも思う。きだみのること山田吉彦氏は今では同書の著者というより林 達夫と共訳した「ファーブル昆虫記」の訳者として知られているにすぎないのではないか。 

 アカショウビンが中野さんの文章を面白く読む理由のひとつは相当な映画フリークというところである。ご推薦の作品を観て外れたことが少ないのはなかなかの見巧者だと一目置いている。

 コラムはその後で深沢七郎を持ち出し、杉浦日向子で締め括っている。そのあたりが中野 翠という人の精神の基盤を彷彿させて興味深いが、それはまた別の機会に追求してみよう。

 保阪氏のコラムについては後日。

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