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2006年9月 5日 (火)

或る境地

 7月31日に88歳で亡くなられた鶴見和子さんのことを朝日新聞の4日夕刊で松井京子氏が書いている。

 6月に大腸がんであることがわかり、やがて食事をのみこむのも不自由になった。それでも「死ぬっておもしろいことだね。長く生きてもまだ知らないことがある」と語り、弟の哲学者、俊輔さん(84)が「人生は驚きの連続だよ」と答えたという。

 確か俊輔氏も病を患っておられるのではなかったか。このさりげない姉弟の会話には、生死や人間、存在といった主題に対する関心を突如として掻き立て、何事かへ向けて思考を全開にしたい衝動に駆り立てるものがある。それは或る境地に分け入った人か、あるいは分け入ろうと意志した人が漏らした言葉ととりあえずは解せるものと思う。その境地は宗教的な領域だろうが逆に徹底した無神論者からも近い場であるのかもしれない。

 こうしたやりとりは妹の内山章子さん(78)が書き留められたもので、鶴見さんは内山さんに「死にゆく人が何を考えて死んでゆくのか、あなたは客観的に記録しなさい」と語ったという。

 

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