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2006年8月30日 (水)

誇り高い密輸業者

 5日に64歳で亡くなったダニエル・シュミット監督を追悼し蓮實重彦氏が29日の毎日新聞・夕刊に一文を寄稿されている。蓮實氏によればシュミットは自らを好んで「密輸業者」に喩えたと言う。氏は「友人というよりむしろ同志と呼びたい彼の死を知らされたときふと唇に浮かんだのは、『誇り高い密輸業者を欠いた文化は退屈だ』という言葉だった」と書いている。氏はまた自らをも小津作品など日本映画を通した密輸業者と自認しておられるのかもしれない。アカショウビンが観たシュミット作品は「ヘカテ」(1982年)だけである。奇妙で不思議な面白さを感じた作品だった。

 シュミット作品の「無国籍性」というのはユダヤ人の無国籍とも通じているのか?

 前述の内田氏がレヴィナスを介して読み解くユダヤ教の時間意識の“アナクロニズム(時間錯誤)”は、「罪深い行為をなしたがゆえに有責意識をもつ」、という因果・前後関係を否定するところにある、と書いている。そして「重要なのは、罪深い行為がまず行われたという観念に先行する観念です」、とレヴィナスが説いていると紹介する。確かにレヴィナスの思索の独自性はその辺りにあるのは共感する。しかし皮肉な見方をすればレヴィナスもユダヤ教の「くびき」のなかで思索するしかなかったのか、という疑義も生じる。それはまた疑義などではなく専門家の間では「常識」なのだろうか?

 同じユダヤ教の「くびき」から逃れられなかったのはベルクソンもそうではないのか。ベルクソンも確かカソリックには改宗しなかったと思うが。「ベルクソンとの対話」でジャック・シュヴァリエは、そう記していなかったか?そうであればベルクソンの時間論もユダヤ教の時間意識に深く影響されているということになるのだろうか?そのあたりは後日確かめてみよう。

 ところでダニエル・シュミットである。

 老齢の杉村春子にインタビューし彼女が主演した成瀬巳喜男監督の「晩菊」にオマージュを捧げているという「作品」をアカショウビンは未見だ。その「晩菊」も。レンタルショップにはあるだろうか。

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