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2006年8月12日 (土)

輪廻転生

 かつてアカショウビンは道元の「正法眼蔵」や日蓮、親鸞、空海、最澄の著作、あるいはそれらに関する論考を渉猟した時に現在における筋金入りの仏教徒とは何ぞや、という問いを発してみる衝動に駆られたことがある。それはキリスト教についても、新約に書かれる、あるいは絵画、映画作品で描かれるイエスを通して、イエスとは何者か、救世主とは何者か、あるいは宗教とは何か、という連動した問いにも繋がっている。

 この夏に日本人はアカショウビンのように敗戦の意味と悲哀と有責(それはハイデガーの講義を聴いたユダヤ人哲学者エマニュエル・レヴィナスの用語だが)について考える人も少なからずいることだろう。しかし広島、長崎の記憶も敗戦の記憶も、経験者たちの逝去によって忘れ去られていく。それは彼らの「語り」を心に留める遺族や文書で、あるいは、あの歴史的事実を再構成する知的作業によって語り継がれてはいくだろうが、いつか消滅する。それは五百年後、千年後の世界に古文書として巨大コンピューターの中か、未来人類の幽かな脳細胞の中にかろうじて蓄積されるだけになるだろう。人類が滅亡して後も、その事実が宇宙史の一頁として残される可能性はあるのか?それは、あまりに突飛な飛躍だろうか?

 アーサー・C・クラークの「都市と星」というSF小説で、巨大コンピュータの中に人類の個々人のデータが膨大なDNAデータのように記憶というか蓄積されているという設定で物語が展開する(だったと思う)ところが面白かった。クラークの原作を映像作品として拵えたスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」という作品に震撼させられたアカショウビンはクラークの実に刺激的な発想のひとつとして面白く読んだ作品のひとつであった。未来に、地球を去り人類が銀河系外に脱出したという空想はかなりの可能性で空想ではない時代が来るのかもしれない。あるいは人類が何かの原因で自滅、消滅した時に、人類が生息し個々の存在が確かに実在したという記録は、その後に、それは宇宙史とでも言うしかない歴史に果たして残るのかどうか?人類の記憶を満載したコンピューターが宇宙を彷徨い、あるいは全く姿・形の変貌した人類が、別の銀河系の惑星で他のエイリアンと出会い記憶を甦らせ話をする。そのようなサイエンス・フィクションを読み想像を逞しくする元気は今のアカショウビンにはなくなっている。しかし異なる思考はかえって逞しくなっている、と強がりも言っておきたい。

 「輪廻転生」という仏教思想はキリスト教にはないらしい。それは果たして仏教に特有なものなのか?また、それはゴータマ・シッダルタという男の主要な思索なのか?お盆という、それは仏教的な習慣とされているが、この日本という国で、それはどれほど人々の思考の中に生きた意味を持ちえているのだろうか。

 保田與重郎という文人が面白いのは、彼は日本という國が天皇という神を中心にして歴史を刻んできた國である、という言説を本気で信じている、と思われる節がある、というところにある。文章を綴ったり、創作をする源泉、動機は神を想定しなくてはありえない、と彼は本気で考えている。

 保田が信じた神は、未だにこの國の記憶や人の思考に中に厳然と実在しているのだろうか?「信じる」という、行為というのか、ヒトという生き物の観念から生じる行動や姿に見て取れる現象、が存在する。それが外国から見れば特異とされ、いや、それは他の民族にもあることだ、と学者が指摘したりもする。「日本という国は神の國でしょ」と森というかつての首相が「失言した」とマスコミ報道されたことがある。アカショウビンは、森氏は靖国を語ることで、それは当然の前提と考えていた、と思う。それは内輪の会合で思わず吐露する当然の物言いとアカショウビンには映像から読み取れた。森氏のコメントは、天皇を神と信ずる人々にとっては当たり前の事で、それに票のためか、あるいは思想信条のうえでか、当然のように同調する昨今の能弁な政治家達にはよくある「失言」ではないかと推測する。

 先の大戦では、南方の過酷な戦場で戦闘もせずに虫けらのように死んでいった兵士たちや、あるいはごく日常的な生活が広島や長崎のように一瞬にして消滅した人々が確かに実存した。戦場で死んでいった兵士は英霊と奉られる。幾多の人々が天皇のために死に、それを三島由紀夫や保田與重郎らが命をかけてあるいは思想信条を賭けて「信じ」ていたことは果たして、どのように解釈されるのか?それは、この国で生きる者にとって思索するに値する問いであると確信する。神道という、この國ならでは、で今も生き続ける思想と仏教やキリスト教、イスラーム教ら諸宗教との異同は明確にしておくべきである。そして現在の諸宗教思想と哲学・思想、科学思想の先端と水位の高さと低さも。

 そこで輪廻転生という「仏教思想」は、この夏だけでも考えてみたい「思想」とアカショウビンは思うのである。

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