« 追悼と将棋名人戦 | トップページ | 8月の映画寸評 »

2006年8月 6日 (日)

映画と寄席

 朝、広島の原爆忌のテレビ映像を観ながら外へ出た。あの夏の日も暑かったという。アカショウビンの侘び住まいの天からも陽光が燦々と降り注いでいる。この日と9日、15日は、やはり夏らしく暑くないと、何か、しっくりこない。

 アカショウビンが朝のそんな早い時から出かけるというのは珍しい。それは観たい映画と落語のためなのであった。東中野駅前にある「ポレポレ東中野」という小さな劇場で上映されている「島ノ唄」という映像作品と池袋演芸場の柳家小三治を聴きに。

 「島ノ唄」とは詩人の吉増剛造さんがこの20年間訪れ続けてきたという奄美・沖永良部・沖縄の、島尾敏雄がヤポネシアと名付けた南西に台湾までつながる島々の自然と人々との出会いを映像化した作品だ。監督は伊藤 憲氏。撮影は夏海光造氏、録音は米山 靖氏。いずれも知らないスタッフだが、アカショウビンは島尾敏雄の奥様であるミホさんが出ておられるというので興味があったのだ。ミホさんも80歳を越えられた。吉増さんには申しわけないが、アカショウビンはミホさんという人の姿が見たかっただけといってもよい。

 吉増さんの詩集を読んだのは学生時代だった。田村隆一、宮沢賢治、西脇順三郎、吉本隆明さんの詩と共に読んだ。その後の消息には、まるで疎かった。それが先日、新聞の記事で「島ノ唄」の評判を読み、これは観ておかねばならぬ、と出かけたわけである。

 作品は商業ベースにはのりそうもない内容だが佳作だ。ミホさんと吉増氏とは旧知のようでもあるがアカショウビンは、お付き合いの過去は知らない。島尾敏雄の話は以前に少し書いたが、ミホさんの作品は未読で島尾夫人としての関心が殆どだった。島尾氏が亡くなって以来ミホさんは黒い喪服といった衣裳で生活されているという。その姿も映像で目の当たりにした。

 この作品については近く詳しく書くことにしよう。

 映画を観てから池袋に回り池袋演芸場へ。地下に移ってからは初めて。まぁ、座れるだろうとタカを括って行ったら立ち見だという。小三治師目当ての客が殆どと見えて師の登場への拍手と掛け声は格別。

 まくらが面白かった。「男はつらいよ」第48作を衛星放送で見て泣いた、という話から、談志がこのシリーズを嫌いだという話が面白かった。何でも談志は、このシリーズが落語のネタを殆ど流用していて気に入らないのだという。あれはドロボーだ、とのたまったらしい。まぁ、談志らしい話ではある。小三治師は、このシリーズを観たことがなかった。それが談志の話を思い出しながら、あるときから観だしたら面白かった。それから浅丘ルリ子評。浅丘ルリ子はデビュー当時から見ていて大した役者と思わないが、この作品を演じるために生まれてきたといっていいほどハマッていた、というのも的確な批評だと思う。

 また以前に志ん朝、談志と浅草の飯屋で出くわした話。これが面白かった。

 小三治師が店に入ったときに志ん朝は一杯やっているところだった。そこへたまたま談志が入ってきた。談志の悪いのは志ん朝がいるのを知りながら「美濃部を、どう思う」と、わざと訊ねてくるところだ、と。ちなみに美濃部とはかつての都知事ではなく、志ん朝の本名である。言うまでもなく志ん朝は、あの破天荒で不世出の噺家、志ん生の次男。談志は志ん朝をからかっていたのだ、その芸を。しかし小三治師は、談志ほど好き嫌いがはっきりしないから曖昧に返事した、と逃げてはいたが。

 アカショウビンは談志が大嫌いなのである。だから小三治師の話に出てくる談志の訳知りぶった姿が髣髴として面白かったのだ。

 本当に久しぶりに身銭を払って寄席へ行って良かった。仕事がらみの付き合いの方から招待券を戴き寄席に行くことはたまにあるのだが。ところが池袋演芸場に行ったのは学生時代と、その後は一、二度くらい。建て替わってからは初めてだった。だいぶ狭くなり畳から椅子に替わっている。時の流れは仕方のないところだ。しかし柳家小三治というアカショウビンが大好きな噺家の高座がかくも盛況であるのを目の当たりにしたのは楽しい経験だった。

|

« 追悼と将棋名人戦 | トップページ | 8月の映画寸評 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/111335/11309623

この記事へのトラックバック一覧です: 映画と寄席:

« 追悼と将棋名人戦 | トップページ | 8月の映画寸評 »