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2006年8月31日 (木)

ベルクソンとユダヤ教

 先のブログのベルクソンの改宗については誤りがあるので修正する。

 「ベルクソンとの対話」の注でジャック・シュヴァリエは次のように説明している。ベルクソンは1937年2月8日の遺言で自身の表現で「省察によってますますカトリック教に近づき、カトリック教においてユダヤ教の完成成就を見ながらも、あす迫害されるかもしれぬ人々と共にありたいと欲したが、「もしパリの大司教の許可があれば、」カトリックの司祭が葬儀の際祈祷をあげに来てくれるようにという願望を表明していた。(同書p335)

 ジャック・シュヴァリエはスアール枢機卿の死の直前に会ったとき、教会の不変の教理にしたがって、枢機卿は、ベルクソンが、「願望の洗礼」を受けたものと考えると宣言されたので、ベルクソンの願望は叶えられた、と記している。

 ベルクソンが亡くなったのは、それから4年後の1941年1月3日(4日という記述もあるがシュヴァリエの著書ではそうなっている)。風邪をこじらせた肺炎による。

 

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2006年8月30日 (水)

誇り高い密輸業者

 5日に64歳で亡くなったダニエル・シュミット監督を追悼し蓮實重彦氏が29日の毎日新聞・夕刊に一文を寄稿されている。蓮實氏によればシュミットは自らを好んで「密輸業者」に喩えたと言う。氏は「友人というよりむしろ同志と呼びたい彼の死を知らされたときふと唇に浮かんだのは、『誇り高い密輸業者を欠いた文化は退屈だ』という言葉だった」と書いている。氏はまた自らをも小津作品など日本映画を通した密輸業者と自認しておられるのかもしれない。アカショウビンが観たシュミット作品は「ヘカテ」(1982年)だけである。奇妙で不思議な面白さを感じた作品だった。

 シュミット作品の「無国籍性」というのはユダヤ人の無国籍とも通じているのか?

 前述の内田氏がレヴィナスを介して読み解くユダヤ教の時間意識の“アナクロニズム(時間錯誤)”は、「罪深い行為をなしたがゆえに有責意識をもつ」、という因果・前後関係を否定するところにある、と書いている。そして「重要なのは、罪深い行為がまず行われたという観念に先行する観念です」、とレヴィナスが説いていると紹介する。確かにレヴィナスの思索の独自性はその辺りにあるのは共感する。しかし皮肉な見方をすればレヴィナスもユダヤ教の「くびき」のなかで思索するしかなかったのか、という疑義も生じる。それはまた疑義などではなく専門家の間では「常識」なのだろうか?

 同じユダヤ教の「くびき」から逃れられなかったのはベルクソンもそうではないのか。ベルクソンも確かカソリックには改宗しなかったと思うが。「ベルクソンとの対話」でジャック・シュヴァリエは、そう記していなかったか?そうであればベルクソンの時間論もユダヤ教の時間意識に深く影響されているということになるのだろうか?そのあたりは後日確かめてみよう。

 ところでダニエル・シュミットである。

 老齢の杉村春子にインタビューし彼女が主演した成瀬巳喜男監督の「晩菊」にオマージュを捧げているという「作品」をアカショウビンは未見だ。その「晩菊」も。レンタルショップにはあるだろうか。

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2006年8月26日 (土)

夏はゆく

 昨日は山形へ日帰り出張。6月以来で、山形駅でレンタカーを借りそこから高畠、引き返して山形市郊外まで、と駈けずり回ってきた。東京は雨模様だったが「つばさ」が福島で切り離されて米沢へ向かう頃には晴れ間も広がった。携帯した本は「私家版・ユダヤ文化論」(文春新書 2006年7月20日 内田 樹著)。著者はアカショウビンも断続的に読み続けているフランスの哲学者エマニュエル・レヴィナスの弟子を自認されている今売り出しの神戸女学院大学教授。アカショウビンは友人の高校教師N村君から薦められて昨年あたりからホームページの日録や著作にも目を通し始めている。

 同書は、ユダヤ人である師のレヴィナス研究を通して「ユダヤ人」という概念を19世紀のフランス政治状況を元に20世紀にまたがる文化史・思想史も辿り自在に論じて面白い。「バカの壁」の著者らとも親交があるようで諸氏達との交流は平成文化サークルの感もする。まさに今が旬の論客と思われる。

 30年前頃から始められたというユダヤ文化研究の造詣はなかなかのもの。サルトルらの論考も踏まえた内田版ユダヤ人論は自ずと日本文化論にもなっている。フランス思想仕込みの明晰さと読者を飽きさせないサービス精神も旺盛だ。日比谷高校から東大仏文、おまけに武道の熟練者と聞けば女子学生が群がり慕う姿も浮かび羨ましい(笑)。

 ともあれ今年は梅雨が明けるのが遅く短い夏の年として記憶されるだろう。盆休みには未読の本や買い溜めて聴いていないCDを少しでも読み聴きしたいと思ったがいくらもできなかった。宿題は秋に引き継いでいこう。戦争について、また黒木作品の更なる感想、読み継いでいる本の感想も書き継いでいきたい。今月のはじめには昭和18年~19年に発刊された古本で齋藤茂吉の「柿本人麿」評釈篇・雑纂篇等も格安で手に入れた。保田與重郎の論考とも併せて読み継いでいくつもりだ。昨日は上山の茂吉記念館も訪問したかったが仕事に追われ、それどころではなかったのが残念。

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2006年8月20日 (日)

戦争の罪(続き)

 「私が他人の殺害を阻止するために命を投げ出さないで手をこまねいていたとすれば、私は自分に罪があるように感ずるが、この罪は法律的、政治的、道徳的には適切に理解ができない」。

  ヤスパースが説明する「形而上の罪」である。

 昨夜、黒木和雄監督追悼の特集をしている池袋の新文芸座で「美しい夏 キリシマ」(2002年)を観てきた。併映は「父と暮らせば」(2004年)である。前者をアカショウビンは見逃していたので目的は同作品だった。8月12日に、遺作となった「紙屋悦子の青春」を観た後の余韻が残っているなかで、これは釈然としない仕上がりだと不満だった。何故か。もちろん、凡百の作品と比べて決して作品の質が低いわけではない。「紙屋悦子の青春」には余計なものを削ぎ落とした力の抜け方があった。しかし本作は、あちらこちらに力瘤が入っているのではないか?戦死した夫の妻の浮気のことなど、あれこれ話を詰め込み過ぎているのではないか。あの時代を再現し当時の風景や人々の姿を映像であれこれ描くことは一つの手法だ。観客は面白くそれを観る。作品を作る者にとってそれは「サービス」と考えるのかもしれない。しかし、それで喜ぶ観客と白ける観客がいることに黒木という映画作家は鈍感ではないはずだ。主人公に監督は少年時代の自身を託しているのであろう。少年の繊細な感性と周辺の人々の描き方は劇映画の手法である。しかし「父と暮らせば」は異なる。

 それを観たら目的は達せられたわけだから帰ろうと思ったのだが、2004年に観た「父と暮らせば」に感銘したアカショウビンは「美しい夏 キリシマ」と比べてみようと「父と暮らせば」を改めて観て何事かが腑に落ちた。

 この落差は何だろう?

 「父と暮らせば」という作品は原爆で死んだ(殺された)父が幽霊となって、生き残り3年たち年頃になった娘の前に生きているように現れて娘のことをかまう、という話である。原作の作品は2年前に映画を観た後も読んでいない。だから、これは映画を観た感想である。それにしても、14万人が一瞬にして、その後も原爆症で死んでいったという事実を、このように伝える手法に脱帽する。この作品の見事さは、あの非道な殺戮を、声高にではなく、死者の声を借りて、生き残った者が、生き残って良かった、でなく、生き残って、死んだ人たちに申しわけない、と思う心根を、死んだはずの父親が、実に饒舌な、まるで日本的な幽霊・亡霊の類と異なる姿で娘を叱咤、励まし気遣う二人劇にある。それは芝居として演じられるのが自然なのかもしれないが黒木監督とスタッフは見事に映像に留めたと感嘆する。

 特に宮沢りえの秀演が光る。あわれな娘役を演じて立派というしかない。また父親役の原田芳雄の助演の功績も大きい。仕事先では寡黙でおくての娘を饒舌に励ます。二人の会話に現れる哀しみと後悔とユーモア、これがこの作品の命と痛感する。饒舌な死者と、慎み深すぎる生者の娘。この設定を映画作品として撮りあげた監督の力量と、それにこたえた出演者の演技に頭がさがるしかない。

 ヒロインが最後に発する「おとうたん ありがとう ありました」。この不思議な広島弁の響きと奥行きは映像に向き合わなければ伝えられない。

  「美しい夏 キリシマ」から2年、この変化にアカショウビンは驚愕し瞠目する。それは、まるで悟りのような変化のようにも思える。

 蛇足だが付け加えておきたい。「美しい夏 キリシマ」では登場人物の殆どが深刻な憂い顔である。女たちは静かに、男たちは声高に怒鳴り、わめく。しかし「父と暮らせば」という作品を貫くトーンにはそれがない。代わりに広島弁のユーモラスな会話から生まれるおかしみとあはれがある。時に慎み深く、背景の歴史事実が映像で出現する。そこで笑いの裏に潜む非道に対する憤りと怒りと諦念が生じるのだ。

 黒木作品の最後の2作は平凡な日常を描きつつ鎮魂の祷りが深く込められている。それはスクリーンを観る者の心に静かに問いかけてくる秀作とアカショウビンは感嘆する。

 そこで「他人の殺害を阻止するために命を投げ出さないで手をこまねいていたとすれば、私は自分に罪があるように感ずるが、この罪は法律的、政治的、道徳的には適切に理解ができない」、というヤスパースの所論は、どういうことになるのだろうか?

 戦争とはいえ、その威力を知りながら広島市民と長崎市民の恐るべき殺戮を敢行した米国政府と、そこに至らしめ無辜の民の残酷な死を阻止できなかった大日本帝国の軍人や天皇、日本国民は「形而上の罪」を自覚したであろうか?時代は移り、日本国がイラク戦争に加担したことを阻止できなかったことをアカショウビンは形而上的に適切に理解できたであろうか?

 事は当時の日本とドイツの地理的、歴史的相違として片付けてよいわけではあるまい。

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2006年8月15日 (火)

戦争の罪

 昨年読んだヤスパースの「戦争の罪を問う」という著作を、この敗戦の日、もう一度取り上げてみることは無駄ではないと思う。

 ヤスパースは戦後の講義の中でドイツにおける戦争の罪を4つに区別して思索している。①刑法上の罪②政治上の罪③道徳上の罪④形而上の罪、である。このうち④が私達も再考すべきヤスパースの問題提起である。

 この講義は書物として出版され友人のハイデガーにも献呈されたがハイデガーはヤスパースへのお礼の手紙の中で、別の作品に言及するのみで、この論文(講義)を論評しなかった。というよりまったく無視した。それから二人の間には溝ができた。その経緯を知ると、二人の間で、この論文の行間に潜む意味はアカショウビンには別の文脈で興味深い。ここでは④の意味するところを、我が国の鎮魂の日にあたりアカショウビンも一人の国民として思考していきたい。ヤスパースは④を次のように説明している。

 「私が他人の殺害を阻止するために命を投げ出さないで手をこまねいていたとすれば、私は自分に罪があるように感ずるが、この罪は法律的、政治的、道徳的には適切に理解ができない」。

 このヤスパースの思索を一人の日本人として、あるいは個人として、どのように考えるか?

 アカショウビンは先の戦争での日本軍の「部分的な」行為は道徳的にも責任があると思うのだが、それと形而上的なものとは、それなりの懸隔があると考える。先の大戦については合祀云々ではなく、日本人が国民として負わなければならない責任と考える。対戦国には政治的、道徳的にも責任があると考える。それは逆もまた真である。原爆投下という非道を日本人は米国と米国国民はじめ世界に問わなければならぬ。

 あの戦争に反対した個々人はいるであろう。しかし、彼らが、それを一部の軍人に帰することには無理があるだろう。東條英機は責任を自覚し敵国の違法な裁判を受ける辱めを拒否すべく自決しようとしたのである。

 問題は天皇である。先のブログでも引いたチョムスキー氏は、責任は天皇裕仁にある、と明白に辺見氏に述べている。辺見氏を前にし、あなたたち日本人は何もしてこなかったではないか、と言うのである。それは歴史的事実として世界史に記載されるはずだ。国家、国民の取るべき態度として、それは「世界」から容認されていない、というのがチョムスキー氏の発言の根拠である。

 国家と言い、国民と言うならば、それは日本国民という限り、それは共に背負わなければならない「くびき」であるとアカショウビンは思うのである。「くびき」とはキリスト教文化圏の用語である。それは、そういう用語を使えば、ある程度理解できるかもしれないが、厳密に考えてみるべき急所だと思う。それは昨年暮れのブログにも書き込んだ「赦し」という用語とも呼応している。それは大晦日のブログをご参照いただきたい。

 日本国民が「世界史」に参加して発言の場を得るとすれば、とりあえず国民国家として発言しなければならない。しかし、それまでには個々人や集団の思い、考えが存在する。そこでは私たち日本人が日本国を考えるときに国籍や伝統文化、国語を基に定義し、それを自明とする考えは「民族誌的奇習」である(@内田樹氏)として「ユダヤ人」への理解は、そのような奇習に幽閉されている限り理解はできない、という指摘も忘れてはならないが。

  しかし、日本国の首相であれば国家の歴史の来し方を大国に諂うことなく正確に現在の立場を認識し背負い国際社会の中で発言するべきである。それを時の首相はじめ日本という国は果たして遂行しているのか、というのが、我々の「現在」に問われている問いであろう。チョムスキー氏を、あるいは米国民を含め中国、韓国の近隣諸国、ひいては世界の人々をどのように説得できるか?その回答が辺見 庸氏や私たちに課せられている世界史的な回答ではないかと思う。これは簡単な問題ではない。この夏が過ぎるまでに集中し熟慮し思考していきたい。

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2006年8月13日 (日)

神々の黄昏

 辺見 庸氏の「今ここに在ることの恥」(2006年7月30日 毎日新聞社)という著書で氏は自身の病気や9・11以来のご自身の考えを赤裸々に痛烈に吐露されている。それは恐らく遺書の如きものである。アカショウビンは戦後の我が国の作家のなかで戦後民主主義という言説空間の中で良くも悪くも時代と相対峙した人の書き物として、その人物に失礼ながら深甚の関心をもつ者である。

 「良くも」というのは、戦後の文学あるいは思想あるいは政治空間の中に身を置き、身体を張って思考した人間がそこにいることを痛烈に感じるからだ。「悪くも」というのは、日本という国の「現在」に対して、もう少し柔らかい眼差しで幻視しながら面白い小説を書かれたら日本文学という世界にも新たな視界が開けることになるのだろうにな、といった、まぁ、ないものねだりのような感慨にも行間を読みながら襲われるからだ。

 しかしこの国の現実に、また病に見舞われ死とも直面しておられる氏が悠長なことを言える余裕はないだろう。9・11以降の氏の論説にできるだけ眼を通したアカショウビンには氏の切迫した物言いがいちいち腑に落ち、あるいは、いやまて、果たしてそうか?と再考、再々考する。

 たとえばノーム・チョムスキーに氏が取材した時の記事はプレイボーイ誌でアカショウビンも読んだ。それを氏は最新作のなかで改めて紹介し再考しておられる。

 その記事は近く再読し氏の言説と併せてアカショウビンも再考してみるつもりだ。

 辺見氏の言説と保田與重郎の言説は恐らく噛み合うことがないだろう。辺見氏も保田與重郎の名前を聞いただけで反吐が出る人ではないかと邪推する。しかしアカショウビンの構想は、この両者をひとつの例として比較し、その中間に活路を見出すというものである。政治的立場で、それはありえない戯言であろう。しかし文人として、そこに共通の話題もありえるだろう。しかし、である。江藤 淳の死に方と最後のメモ(世間では遺言と称されているが辺見氏はそれをメモと見る)への違和感は辺見氏の立ち位置を明確に現わしている。それは三島由紀夫の死に対して左翼・右翼の人々が示した狼狽と拒絶と共感と違和の表し方に良く似ている、と思われるからだ。

 それよりも、辺見氏の論説が痛烈なのは次のところである。

  さきほど、「公共空間と不敬神と憲法」というタイトルを口にしました。不敬神。神を汚す。これを私はネガティヴにいっているわけではないのです。不敬神は、思想や芸術表現のひとつの作法として、必要であるといっているのです。たちの悪いなにかが増殖拡大し、いわゆる聖域は温存され、あるいは新たにつくられ、その一方で公共空間が権力ないし権力化した住民や群集に囲いこまれ狭められていく。(同書p128~131)

 「公共空間」とはユルゲン・ ハーバーマスやハンナ・アーレントが唱えた「身分や性別・貧富の差などを超えて、異質な人々が自由に出会い、政治的・社会問題に関して対話を行えるような場を指す」(p123の注)である。アーレントは、個人の自由が表現される場として、ハーバーマスは世論の合意が形成される場として、とらえている、と注釈は記している。そして「両者には強制収容所の歴史を二度と繰り返してはならないという問題意識が共通する」とも。この最後の文は辺見氏が書かれたものか他の人なのかは不明だが辺見氏の視線の届いている場が良くわかる。この論議は、戦後ドイツの思想空間のなかで、そこまでパースペクティヴを開き持たなければ不毛とアカショウビンも同意するからだ。

 辺見氏の言や良し。さりながら、その後を私たち日本人は、どのように展開させていくのか?ここで天皇を神と信じて疑わなかった、と見える保田與重郎の言説と辺見 庸の言説が対立する。それは保田だけでなくキリスト教徒、イスラーム教徒の一神教や多神教のヒンズー教徒、仏教徒の信じる神仏とも対立するのではないか?

 辺見氏の生きた時空間はアカショウビンも同時代を生きる者として共感するところが多いのである。しかし辺見氏の見聞きした「世界」は恐らく他の誰とも異なる。保田與重郎流のイロニー(反語)で言えば辺見氏が「糞バエ」と罵倒する同業のジャーナリスト達と、それは鮮烈に。それを含めて辺見氏は「恥」と広言するわけである。その発言が実に痛烈で面白くアカショウビンは辺見氏の言説に触発されるのである。それはニーチェの言う「神は死んだ」という西洋近代哲学の過程での痛烈さを踏まえた発言であろう。果たして西洋でも東洋でも神や神々は死に果てたのか?現実には洋の東西で実に元気闊達なのではないか。そのかつて居た場所に我々も生きていることに無自覚ではならないだろう。

  昨夜、「紙屋悦子の青春」という黒木和雄監督の遺作を観て来た。雷雨だったから、たぶん初日であっても空いているだろう、と考えたのが浅はかだった。きょうが初日で初回には出演者たちの舞台挨拶もあるとかで満席。3回目を見ようと行ったのだが、これも満席で前の方しか座れないというのでアカショウビンは最終回を観ることにして神田の書店や古本屋を覗いて時間を過ごした。

 幸いに最終回は半分以下くらいの観客で席も気に入った席で観ることができた。作品は実に力の抜けた見事な映像と内容だった。作品に通底する静謐が黒木監督の狙いと祷りを伝えて過不足ない。薩摩弁、長崎弁の軽妙を出演者たちが実に自然に演じていてアカショウビンは何度か心地良い笑いもすることが出来た。会場からも、この重いテーマが夫婦兄妹の会話のやりとりで屈託のない笑いを生んだのは作品が成功したものとアカショウビンは感得した。故人も、どこかで、この客の反応を悦んでおられる筈と拝察する。アカショウビンも笑い、そして泣いた。その物語の背景に思いを凝らせば嗚咽するしかないのである。

 黒木和雄という映画作家が、この遺作を残して亡くなって逝かれたということは、とても幸せなことだとアカショウビンは思う。若い頃のエネルギーは老いた者には懐かしい思い出でしかない。それは映画監督だろうが誰であろうがそうだろう。しかし人は若い頃には視えなかったものが見えてくることがある。それを幻視というのか錯視というのか妄視というのか。前作の「父と暮らせば」(2004年)は父の亡霊との共存が織り成す父と娘の、生きていればありえただろう物語を描いた滋味深くも静謐な作品だった。黒木作品には常連の原田芳雄と宮沢りえが監督の要求に良く応えただろう仕上がりに頭が下がった。

 戦後61年が過ぎ、この国の空気も少しずつか急激にか変わりつつある。世界はもっと激しく変貌している。アカショウビンも夏という季節には国の歴史と自身の現在の立ち位置を静かに再考したい衝動が高まるのを抑えられない。それは日本人を通して諸外国の人々、あるいは大げさかもしれないがヒトという生き物、人類、ひいては民族、宗教、思想といった領域まで思考は広がっていく。

 話が錯綜して申しわけない。いずれにしろ夏に読む本や映画の感想を通して8月を通過していける貴重さを無駄にはすまい。

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2006年8月12日 (土)

輪廻転生

 かつてアカショウビンは道元の「正法眼蔵」や日蓮、親鸞、空海、最澄の著作、あるいはそれらに関する論考を渉猟した時に現在における筋金入りの仏教徒とは何ぞや、という問いを発してみる衝動に駆られたことがある。それはキリスト教についても、新約に書かれる、あるいは絵画、映画作品で描かれるイエスを通して、イエスとは何者か、救世主とは何者か、あるいは宗教とは何か、という連動した問いにも繋がっている。

 この夏に日本人はアカショウビンのように敗戦の意味と悲哀と有責(それはハイデガーの講義を聴いたユダヤ人哲学者エマニュエル・レヴィナスの用語だが)について考える人も少なからずいることだろう。しかし広島、長崎の記憶も敗戦の記憶も、経験者たちの逝去によって忘れ去られていく。それは彼らの「語り」を心に留める遺族や文書で、あるいは、あの歴史的事実を再構成する知的作業によって語り継がれてはいくだろうが、いつか消滅する。それは五百年後、千年後の世界に古文書として巨大コンピューターの中か、未来人類の幽かな脳細胞の中にかろうじて蓄積されるだけになるだろう。人類が滅亡して後も、その事実が宇宙史の一頁として残される可能性はあるのか?それは、あまりに突飛な飛躍だろうか?

 アーサー・C・クラークの「都市と星」というSF小説で、巨大コンピュータの中に人類の個々人のデータが膨大なDNAデータのように記憶というか蓄積されているという設定で物語が展開する(だったと思う)ところが面白かった。クラークの原作を映像作品として拵えたスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」という作品に震撼させられたアカショウビンはクラークの実に刺激的な発想のひとつとして面白く読んだ作品のひとつであった。未来に、地球を去り人類が銀河系外に脱出したという空想はかなりの可能性で空想ではない時代が来るのかもしれない。あるいは人類が何かの原因で自滅、消滅した時に、人類が生息し個々の存在が確かに実在したという記録は、その後に、それは宇宙史とでも言うしかない歴史に果たして残るのかどうか?人類の記憶を満載したコンピューターが宇宙を彷徨い、あるいは全く姿・形の変貌した人類が、別の銀河系の惑星で他のエイリアンと出会い記憶を甦らせ話をする。そのようなサイエンス・フィクションを読み想像を逞しくする元気は今のアカショウビンにはなくなっている。しかし異なる思考はかえって逞しくなっている、と強がりも言っておきたい。

 「輪廻転生」という仏教思想はキリスト教にはないらしい。それは果たして仏教に特有なものなのか?また、それはゴータマ・シッダルタという男の主要な思索なのか?お盆という、それは仏教的な習慣とされているが、この日本という国で、それはどれほど人々の思考の中に生きた意味を持ちえているのだろうか。

 保田與重郎という文人が面白いのは、彼は日本という國が天皇という神を中心にして歴史を刻んできた國である、という言説を本気で信じている、と思われる節がある、というところにある。文章を綴ったり、創作をする源泉、動機は神を想定しなくてはありえない、と彼は本気で考えている。

 保田が信じた神は、未だにこの國の記憶や人の思考に中に厳然と実在しているのだろうか?「信じる」という、行為というのか、ヒトという生き物の観念から生じる行動や姿に見て取れる現象、が存在する。それが外国から見れば特異とされ、いや、それは他の民族にもあることだ、と学者が指摘したりもする。「日本という国は神の國でしょ」と森というかつての首相が「失言した」とマスコミ報道されたことがある。アカショウビンは、森氏は靖国を語ることで、それは当然の前提と考えていた、と思う。それは内輪の会合で思わず吐露する当然の物言いとアカショウビンには映像から読み取れた。森氏のコメントは、天皇を神と信ずる人々にとっては当たり前の事で、それに票のためか、あるいは思想信条のうえでか、当然のように同調する昨今の能弁な政治家達にはよくある「失言」ではないかと推測する。

 先の大戦では、南方の過酷な戦場で戦闘もせずに虫けらのように死んでいった兵士たちや、あるいはごく日常的な生活が広島や長崎のように一瞬にして消滅した人々が確かに実存した。戦場で死んでいった兵士は英霊と奉られる。幾多の人々が天皇のために死に、それを三島由紀夫や保田與重郎らが命をかけてあるいは思想信条を賭けて「信じ」ていたことは果たして、どのように解釈されるのか?それは、この国で生きる者にとって思索するに値する問いであると確信する。神道という、この國ならでは、で今も生き続ける思想と仏教やキリスト教、イスラーム教ら諸宗教との異同は明確にしておくべきである。そして現在の諸宗教思想と哲学・思想、科学思想の先端と水位の高さと低さも。

 そこで輪廻転生という「仏教思想」は、この夏だけでも考えてみたい「思想」とアカショウビンは思うのである。

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2006年8月 9日 (水)

8月の映画寸評

 ① 評判のアレクサンドル・ソクーロフ監督の「太陽」を観て来た。秀作だと思う。劇映画でありながら「天皇の時間感覚」とでもいうのか、外国人ならではの視線で表出された独特の雰囲気が興味深い。「まったり」としたキャメラの長回しによる効果が「天皇の時間」を表現して成功していると思う。音楽もワーグナー、バッハを巧みに使い分けて厳粛さを表現していた。

 あの時代を切り取る上でたとえば、今村監督のパワーとは異なる調子(トーン)で実に静謐な映像を実現したと感服する。「天皇」という別格な「存在」への畏敬と好奇心が深い関心と敬意をもって描かれている。現在の日本国民の多くが、昭和天皇をチャップリンと似ていると戯画化した監督に「不敬」を感じることもないだろう。それを良しとするのか、慨嘆するのか。視角の差はあるだろうが、誠実に外国人という視点から描いた作品の質の高さは一目瞭然だ。

 昭和天皇を演じたイッセー尾形は好演だ。それはコメディアンのビートたけしが映画作家として見事な才能を発揮しているのと同様に俳優として見事に演じたと思う。しかし皇后を演じた桃井かおりとの掛け合いは桃井が間違えていると思う。監督は日本人スタッフの意見をもっと突っ込んで聴きとり桃井を演出すべきだった。米国映画の「サユリ」では見事な演技を見せたのが、このロシア映画では残念ながら駄演としかいえない。「アドリブ」的な演技は恐らくイッセー尾形の発案で、監督も了承したのではないか、と邪推される。しかし皇后を演じてそれは失敗している、とアカショウビンは残念だった。

 ② 「島ノ唄」で島尾ミホさんが蝶のことを奄美では聖なる存在と見なして、ミホさんは蝶に出会うと、お辞儀をします、といった話が興味深かった。蝶を「はべら」あるいは「あやはべら」ともミホさんが生まれ育った加計呂麻では呼んでいたと言う。それは三角の徴で着物や住まいの中に折り込まれ表現されている、とも語る。吉増さんの願いに応じてミホさんの母親が唄ってくれたという「子守唄」を唄う。歌詞の大意と部分的な単語はアカショウビンにも聴き取れたが内地の人には全く異国語としか聴こえないだろう。しかし折口信夫の明察では琉球語と日本語は同族語で奄美の言葉もそれは同様であるのだから、内地の人も聴き取る意志があれば、そこに新たな発見がある筈だ。

 また撮影当時、92歳であられた里 英吉さんの蛇皮線で奏でられる民謡とそれに瞑目して耳傾ける吉増さんの姿も良かった。浜辺で黒糖焼酎を飲みながら唄い興ずる映像には、この作品の真摯な雰囲気の中で唯一の瑕をアカショウビンは看取した。つまり「ヤラセ」だと思ったのだ。しかし里さんのかき鳴らす蛇皮の音と、合いの手を入れる里さんのお嬢さんの声はアカショウビンも血の沸き立つのを禁じえなかった。

 この作品は空の風景を見事に撮りきっている。台風銀座と呼ばれる奄美の千変万化する空の美しさと面白さを映像で切り取っている。それは、おそらく田中一村も魅了された奄美の空と思われる。キャメラも一村の作品を明らかに意識していると推察した。

 島尾敏雄と出会った当時の昔を、ミホさんは想い起こしながら吉増さんと話を続ける。その姿を見ているとアカショウビンも、この夏からでも久しぶりに島尾敏雄の作品を読み直そう、という衝動に駆られた。

 8月17日から黒木和雄監督の追悼特集も池袋の新文芸座で上映される。また岩波ホールでは遺作となった「紙屋悦子の青春」も近く上映されるので楽しみだ。きょうの長崎、15日の敗戦の日を通し政情も賑やかになってくる。アカショウビンも先に紹介した淺野 晃の詩集や夏に読み返すのが習慣となっている吉田 満の戦後の随筆と共に島尾敏雄の諸作品も読み直しながら、この夏を通過していきたい。

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2006年8月 6日 (日)

映画と寄席

 朝、広島の原爆忌のテレビ映像を観ながら外へ出た。あの夏の日も暑かったという。アカショウビンの侘び住まいの天からも陽光が燦々と降り注いでいる。この日と9日、15日は、やはり夏らしく暑くないと、何か、しっくりこない。

 アカショウビンが朝のそんな早い時から出かけるというのは珍しい。それは観たい映画と落語のためなのであった。東中野駅前にある「ポレポレ東中野」という小さな劇場で上映されている「島ノ唄」という映像作品と池袋演芸場の柳家小三治を聴きに。

 「島ノ唄」とは詩人の吉増剛造さんがこの20年間訪れ続けてきたという奄美・沖永良部・沖縄の、島尾敏雄がヤポネシアと名付けた南西に台湾までつながる島々の自然と人々との出会いを映像化した作品だ。監督は伊藤 憲氏。撮影は夏海光造氏、録音は米山 靖氏。いずれも知らないスタッフだが、アカショウビンは島尾敏雄の奥様であるミホさんが出ておられるというので興味があったのだ。ミホさんも80歳を越えられた。吉増さんには申しわけないが、アカショウビンはミホさんという人の姿が見たかっただけといってもよい。

 吉増さんの詩集を読んだのは学生時代だった。田村隆一、宮沢賢治、西脇順三郎、吉本隆明さんの詩と共に読んだ。その後の消息には、まるで疎かった。それが先日、新聞の記事で「島ノ唄」の評判を読み、これは観ておかねばならぬ、と出かけたわけである。

 作品は商業ベースにはのりそうもない内容だが佳作だ。ミホさんと吉増氏とは旧知のようでもあるがアカショウビンは、お付き合いの過去は知らない。島尾敏雄の話は以前に少し書いたが、ミホさんの作品は未読で島尾夫人としての関心が殆どだった。島尾氏が亡くなって以来ミホさんは黒い喪服といった衣裳で生活されているという。その姿も映像で目の当たりにした。

 この作品については近く詳しく書くことにしよう。

 映画を観てから池袋に回り池袋演芸場へ。地下に移ってからは初めて。まぁ、座れるだろうとタカを括って行ったら立ち見だという。小三治師目当ての客が殆どと見えて師の登場への拍手と掛け声は格別。

 まくらが面白かった。「男はつらいよ」第48作を衛星放送で見て泣いた、という話から、談志がこのシリーズを嫌いだという話が面白かった。何でも談志は、このシリーズが落語のネタを殆ど流用していて気に入らないのだという。あれはドロボーだ、とのたまったらしい。まぁ、談志らしい話ではある。小三治師は、このシリーズを観たことがなかった。それが談志の話を思い出しながら、あるときから観だしたら面白かった。それから浅丘ルリ子評。浅丘ルリ子はデビュー当時から見ていて大した役者と思わないが、この作品を演じるために生まれてきたといっていいほどハマッていた、というのも的確な批評だと思う。

 また以前に志ん朝、談志と浅草の飯屋で出くわした話。これが面白かった。

 小三治師が店に入ったときに志ん朝は一杯やっているところだった。そこへたまたま談志が入ってきた。談志の悪いのは志ん朝がいるのを知りながら「美濃部を、どう思う」と、わざと訊ねてくるところだ、と。ちなみに美濃部とはかつての都知事ではなく、志ん朝の本名である。言うまでもなく志ん朝は、あの破天荒で不世出の噺家、志ん生の次男。談志は志ん朝をからかっていたのだ、その芸を。しかし小三治師は、談志ほど好き嫌いがはっきりしないから曖昧に返事した、と逃げてはいたが。

 アカショウビンは談志が大嫌いなのである。だから小三治師の話に出てくる談志の訳知りぶった姿が髣髴として面白かったのだ。

 本当に久しぶりに身銭を払って寄席へ行って良かった。仕事がらみの付き合いの方から招待券を戴き寄席に行くことはたまにあるのだが。ところが池袋演芸場に行ったのは学生時代と、その後は一、二度くらい。建て替わってからは初めてだった。だいぶ狭くなり畳から椅子に替わっている。時の流れは仕方のないところだ。しかし柳家小三治というアカショウビンが大好きな噺家の高座がかくも盛況であるのを目の当たりにしたのは楽しい経験だった。

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2006年8月 2日 (水)

追悼と将棋名人戦

 7月31日、吉村 昭氏と鶴見和子氏が相次いで亡くなられた。お二人の著作を楽しみながら学んだ者として心から哀悼の意を表したい。

  昨日から新潟へ一泊出張。赤塚から新発田までレンタカーで駆けずり回った。きょうは仕事先の担当者さんが、「きょうから長岡の花火大会が始まるよ。もう一泊して帰ったら」と親切なアドバイスも。しかし哀しきものは俸給生活者。そういうわけにもいかずビールを買い込み新幹線に飛び乗った。

 ところが神か仏は何を思われたか粋な計らいを。電車が長岡に滑りこもうとするころ、何と宵闇に光の玉が面白くも美しく空を彩っているではないか。その偶然を天の采配と承り何十年ぶりかで句を詠んだ。

  おもしろく光玉散る宵の空

  花火は地上から人魂のようにひょろひょろと上昇する。

  人魂が光となりぬ遅き夏  

   空には月も見える。

   上弦の月はかかりて魂も見る

 一昨日、将棋名人戦が棋士総会で毎日新聞から朝日新聞に移行することになった。その結果は意外だった。これまでの経緯を注視していたアカショウビンとしては毎日新聞に収まって事なきを得る、というのがヨミ筋だったからだ。一日の棋士総会で191人の投票の結果11票の僅差というからファンとしても仕方がないか、と思う。さりながら経緯に注目しマスコミ報道を読みアレコレ考えた者としては何か釈然としない感じも残る。しかし米長会長の言う如く「将棋界が一致団結し」て将棋文化の普及に励むことは一人のファンとして歓迎する。

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