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2006年7月15日 (土)

岡野弘彦氏の歌集

 毎日新聞の13日夕刊に氏の最新歌集「バクダッド燃ゆ」が紹介されている。「短歌は荒廃への魂への叫び」という見出しにアカショウビンも共感する。この国の古代の傑出する詩人である家持や人麻呂の和歌や挽歌を読めば、それを痛感しない人はないだろうと推察するからだ。

  アカショウビンは、保田與重郎を読み、我が国の歴史と往古の詩人の心に分け入るためにも、このブログを始めた。それは戦前・戦中・戦後の保田の生き様が主張する言説だからだ。それを戦後の言論は、ほぼ黙殺し封殺した。しかし、我が国の古代に渡す視線はアカショウビンなど戦後に生まれた者にとって実に新鮮というしかない。それをもって反動的だなどと言われる筋合いは毛頭ないと言っておこう。保田の文章は戦後の文壇・論壇では意図的に黙殺されたと思われる。しかし、それは黙殺するにはあまりに豊かな果実を含んだ言説を有している文章だ。「戦後民主主義」という、奉られ馬鹿にもされる環境で育ったアカショウビンは保田を読み直さなければ日本という国の歴史と文化は総体で論じることはできない、と確信する。

 アカショウビンも戦後の貧しさから豊かになって行く過程で育った。言ってみれば幸せな国民の一人である。しかし昨今の社会を見ていると岡野氏が言われる「魂の荒廃」をアカショウビンも痛烈に感じる。そして自らの現在を通し、その原因を問わざるをえない。岡野氏の言葉は保田與重郎の言説とも呼応している。

 氏の奥様はイラク戦争の時に脳梗塞で倒れられたという。酒井記者の記事によると氏は奥様に戦争を語るべきか苦悶された。

 「ベトナムで人々の心を悲しませた国が、戦争ばかりする。イスラム原理主義というが、ブッシュもまたキリスト教原理主義のようなもの。そうした中で心までアメリカナイズされた戦後日本の哀しみを歌わずにはいられません」と言う氏の言葉を日本人は魂で聴かねばならないだろう。

 時の宰相のスタンド・プレーに呆れてばかりはいられないのである。

 岡野氏の歌集には師の折口信夫(釈 空)から受けた教えを通じて生きた戦後が凝縮されている筈だと推察するからだ。

 「地名を失うことは母語の喪失につながる」という氏の言葉に心傾けなくてはならないだろう。それは先に読んだ藤原正彦氏の言説とも通底している。「信長や秀吉ばかりでなく、庶民の心の歴史を消してはならない。歴史学や民俗学から見ても今の日本は危機的な状況だ」という岡野氏の警告を全身全霊をもって聴く為政者が何人いるのか。それが、この国が世界に生き残っていける条件のひとつ、だと思う。

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