« 偉大な芸人列伝 | トップページ | 感応道交 »

2006年7月 9日 (日)

ヒトという生き物

 昨今のミサイル騒動やサッカーのワールドカップの狂騒を見聞きしていると、ヒトという生き物の幼児性と偽善、愚劣と面白さを痛感する。それがヒトという種の可能性として展望を開けるか、それが急所の問題とも思う。9・11の歴史的事実を現在、人類はどのように克服できているのか?イラクの次は極東か?と阿呆らしくもなるなかで、それを考察していくのは無駄ではあるまいと思う。

 柄谷行人氏が「世界共和国へ」(岩波新書2006年4月20日)という新書でカントの「永久平和について」を通し現在の「世界」の可能性を考察している。その言説の当否はいずれ論評してみるとして考察の射程はテポドンの確率では済まないだろう。

 アカショウビンはフーコーの言説に触発されながら西洋の「近代」が現在の世界に齎している功罪について考えざるをえない。昨年、ヤスパースの「戦争の罪を問う」を読み、ヤスパースとハイデガーの親交と確執を興味深く知り1年が経過した。その成果はいずれ明らかにしよう。 昨今はドイツで行われるワールドカップの映像を観てナチズムの現在はどうなっているのかと訝しくも思う。その社会には未だにネオ・ナチを通してその棘は日常に通底している筈だ。

 柄谷氏は著書の中でレヴィ・ストロースの「親族の基本構造」も紹介する。女を贈与し、それに対するお返しとして女を得るという交換で親族構造を分析したのがレヴィ・ストロースだ。それが構造主義の発端ということになる。親族構造は世界の各地で多種多様だが単純な代数的構造をもっているというのがレヴィ・ストロースの卓見だ。彼がリサーチした未開の部族間における女性の互酬的交換を見つめながら人類を考察する立脚点をハイデガーやレヴィナス、サルトル、フーコーの言説を読み解き整理して考察するのは面白いと思うのである。

|

« 偉大な芸人列伝 | トップページ | 感応道交 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/111335/10852751

この記事へのトラックバック一覧です: ヒトという生き物:

« 偉大な芸人列伝 | トップページ | 感応道交 »