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2006年7月31日 (月)

淺野 晃 詩集

 三島由紀夫が晩年まで深い関心を持ち続けた淺野 晃の定本詩集をインターネットで山形の古書店から購入した。淺野は日本浪曼派で保田與重郎らとも親交のあった詩人だ。三島は昭和三十九年に読売文学賞を受賞した「寒色」について次のように書いている。野々宮紀子さんの記述による。

 「ここには日本人の民族的悲歌の一つの頂点があつて、敗戦の歴史はどんな詳細な戦史よりも、この一冊の薄い詩集にこもつてゐるといふ感じを私は抱いた。(中略)この詩集の美しさは、憤りにある。潜在した憤りが噴流してゐる詩もあれば、それが深い治癒にみちびかれた詩もあるけれど、根本的な詩心は憤りにある。それはかつて東洋では公的な詩の発想の基であつたが、近代的な抒情がすべてを蝕んだのちに、このやうな稀有な詩が生まれたのは、面白いことだ。しかもここでは、憤りの政治的な性質はすべて浄化され、「それの焔の色とりどりの無言」しか見えないのである。〉(「芸術断想――憤りの詩心」『芸術生活』昭和三十九年四月)」

 「天と海 英霊に捧げる七十二章」を三島はレコードに録音しているという。野々宮氏は次のように書かれておられる。

「三島由紀夫の朗読、山本直純の音楽という組み合わせでレコード化される。甘やかで誠実さを感じさせる三島由紀夫の声であるが、このときの三島の文章も音楽的である」。

 このレコードはともかく、氏の詩集は読まねばならぬ作品と直感する。感想は、この夏が逝くまでに随時書き込むことにしよう。

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2006年7月27日 (木)

音の楽しみ

 先日、仕事で山梨に行き甲府の駅前のホテルで一泊した。初めて入るホテルだった。料金を聞くと高い。アカショウビンのように薄給会社に勤めるいじましいサラリーマンは出張時には安ホテルで少しでも出張費を浮かすさもしい行動が習性になっている。 ところが今回は後輩を同行している。値段を聞いて他をあたるというのは沽券に関わる。まぁ、いいか、と宿泊することにした。

 夜にチェックインするときは気付かなかったが朝食をサロンでとる時に驚いた。凄い音がするのである。それが何と飼っている鈴虫の発する音なのである。いや、その音の凄いのなんのったらないのだ。それは騒音といってもよいくらいだった。それでも音源を目にすると心改めたのが大和男子(おのこ、と読んでいただきたい)である。突如、世界は古今、新古今の、もののあはれの世界にワープしたと思われよ。その騒音の主が、秋に、か弱く鳴き人々のあはれをさそう、あの虫のお姿か、と思うと知らずマジマジと、暫し食事の前に彼らの生態を童心に返り観察したのであった。

 我が大和民族は、虫の音を音楽のように聴く、世界に稀なる精妙な感性を有する民族というのが宣長翁以来、いや万葉、天平、白鳳の往古からの誇りであった筈だ。いやしくも和歌を詠み、國学を学んだ貴顕は言うに及ばず田夫野人までもが秋の夕べに季節の移ろいに感慨を抱き虫の音に目を細めそれを楽しむ。それが畏れ多くも國体を拝する民草の実存ではなかったか?

 しかるにアカショウビンは鈴虫が梅雨時に鳴くという事実を知らなかった。恥ずべきである。これでも小学5年生の頃はファーブルに熱中し昆虫学者を志したこともあったのである。

 話は少し飛ぶ。先日、さる現役の女性ヴァイオリニストのブログで、私は一部の作品を除いて殆どモーツァルトが嫌いなのです、という書き込みを見て暫し呆然となった。それは鈴虫の鳴く音に驚いた時よりも、深く心の奥で哀しみを覚えガッカリしたのである。生誕250年(だった筈だが)の馬鹿騒ぎはさておく。いやしくも現役の演奏家がモーツァルトを嫌いという言葉を吐くところが立派である(なんのこっちゃ)。それは確かに恐ろしく勇気ある発言である。アカショウビンは最初にその書き込みを読んだ時にあっけにとられた。しかし、よくよく考えてみると、それは実に「常識」を覆す天晴れな言説と思えた(それは今だが)のである。

 アカショウビンからすればモーツァルトの音楽を楽しまない人々は、鈴虫の鳴く声に、もののあはれを聴き取る感性を持たぬ異国の蛮族と同じ鈍感さ、と断じるしかない。しかし、時の首相が軽薄に道化の如く、かつての戦の相手の地を訪れ、彼の国の野蛮で軽薄に腰振り歌う破廉恥歌手の電気音楽に媚びる姿が、この皇統燦たる國の現実なのである。アァ、國体の衰滅はここに極まれり。一人の若い女流演奏者がモーツァルトが嫌いと恥じなく発言し、オーケストラの一角に陣取り音を出す。これが、この國で奏される西洋音楽の現実なのである。三島氏が愛想をつかしたのもむべなるかな。今やもって瞑すべしなのか?新時代の馬鹿騒ぎに和して同じるのが「大人」の器量なのか知らぬ。何、どうでもよいことではあろう。

 しかし、アカショウビンは哀しいのである。そこで今宵は、モーツァルトでなく我が邦の一柳 慧氏の作品を聴きながら白河夜船といこう・・・。

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2006年7月22日 (土)

無常迅速

 先日、高校の同窓生が亡くなったと連絡が来た。肝臓ガンで入退院を繰り返していたという。彼とは高校の寮生活を1年間だけ共にしたが殆ど言葉を交わすことがなかった。しかし多感な高校時代に同じ釜の飯を食った縁は他の友人たちを通して深く冥福を祈るしかない。今生の生を共にした縁を卒業写真を紐解き追憶しよう。

 昨年は中学時代の友人をガンで亡くした。共通の友人のI君から電話をもらったときは愕然とした。彼とは何と一昨年、30数年ぶりに東京で恩師を迎え同窓会を開いた時に酔った勢いで故郷にいる彼と携帯電話で話をしたばかりだったからだ。彼は「友人たちと農業をやっている。農業は奥が深いぞ」と島グチの元気な声で話していた。その声が今も脳裏に残る。

 私たち3人は故郷の中学で3年間を過ごした。その後アカショウビンは東京へ、二人は故郷で高校生活を過ごした。私たち3人の共通の話題は一人のマドンナを巡る初恋物語とでも言えるだろうか。

 中学時代に女子の転校生がやってきた。なかなかの美少女で、多くの男子生徒が心穏やかでなかった筈だ。アカショウビンも移り気だが仄かな恋心とでもいった感情を持った。亡くなった友人が先ず告白した。彼は今で言うイケメンだった。彼がそうなら他の二人はアタック権は彼に譲るしかなかった。悪ガキ3人は話し合ってマドンナの住んでいるアパートを偵察することにした。遠くから、あれが彼女の住んでいるところか、と3人で確認し感に堪えない、とでもいうように頷きながら帰った。まぁ、どこにでもある、ほのぼのと甘酸っぱい初恋物語である。

 アカショウビンは高校で上京したので、その後の消息は帰省したときに彼らから少しずつ聞くていどで詳細は露知らなかった。大学を卒業しI君は出版社に就職した。ところが、会社が倒産してしまった。その後、高校教師に職を得て埼玉県の高校へ赴任してきた。東京で暮らしていたアカショウビンとも近くなったので、ある時ふらりとI君が訊ねてきた。校長の世話で結婚するのだと言う。アカショウビンは彼が紹介してくれた婚約者と3人で新宿の喫茶店で会い祝福した。その後に電話でI君の話を聞いて驚いた。彼は高校時代にマドンナと付き合っていたというのである。しかし大学が別々になり彼は京都の大学へ彼女は東京の大学と別れ別れになった。そしてマドンナには別の恋人ができた。I君は彼女から告白され悲しみに突き落とされたのだろう「最後に川崎の駅で会い話をして別れたよ」としみじみと話してくれた。多くの人生は、そういうものだろう。甘酸っぱくも狂おしい青春時代の一齣である。

 その後、マドンナも結婚した。I君もマドンナも子育てが終わりかけた歳になった。それでI君の斡旋により東京で一昨年、30数年ぶりの同窓会が開かれたというわけである。I君もマドンナも今や良い友人だ。昔話に花を咲かせアカショウビンも可愛がってくれた恩師や同級生たちと飲み歌いながら泥酔した。朦朧として楽しく時間は過ぎた。少年老い易く学成りがたし一寸の光陰軽んずべからず、である。

 アカショウビンの残りの人生もあとどれくらいなのか知らぬが人生は無常迅速。世に棲む日々に未練を残さぬよう過ごしたい、と切に思う。

 

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2006年7月20日 (木)

存在しない?

 仏教で説く「一切空」とは何か?禅者たちの「声」の修行過程で、それは言説というのか、無茶というのか、はたまた暴言というのか。ともかく、そこで「何か」が「生じ」た、あるいは「現成し」た、「生成し」た、とでもいう瞬間が「在」るとされる。それと「一切空」の関わり合い方は、どのように説明できるのか?

 また、それと西洋近代哲学の、次のような思索は、どのように呼応しているのか?

 「事物世界の本質には次のことが属している。すなわち、この事物世界の圏域においてはいかに完全な知覚といえども、或る絶対的なものを与えることはないというのが、それである。このことと本質的に連関することであるが、たとえどれほど遠くまで経験が及んだとしても、そうしたどんな経験についてもみな、そこでの所与が、その所与の生身のありありとした自己現在についての不断の意識にもかかわらず、現実存在し「ない」ということの可能性の余地が、残されているのである」。

 現実存在しない、ということは不在なのか非在なのか?これは禅の公案ではない西洋近代哲学の現象学と存在論、認識論の思考である。それと仏教で説く「一切空」とは、どのように異なり、どのように重なるのか?

 先に言明したように、このブログでは、禅の公案のような、その部分だけを見れば理解の難しい文章が多々出てくる。しかし、それは衒学的に引用しているわけではない。アカショウビンの思索に不可欠だから引くのであることをご承知おき頂きたい。我々の日常は水のように流れ過ぎてゆく。そこをたまに蛇行するというのか、酩酊するというのか、決して明晰ではない、むしろ韜晦するのだが、生きるのに必要な状態や瞬間がある。そういう時空間の「現成」とは何か?そこでアカショウビンは暫し立ち止まり愚考するのである。

 存在しない、とは、無なのか?それは「一切空」とどう関わり合うのか?

 察しの良い方は、それは死のことを頭の隅で考えているのではないの?とスルドク指摘されるだろうが、そうでもない。私がこの世を去っても世界は相変わらず存在し続けるだろう、という、それはとても普通な、あきらめ、と言おうか、希望と言おうか、あえていえば論理的推量は果たして正しいのだろうか?「歴史的」に見れば、それは動かぬ真理である。親や親戚、先輩、友人が亡くなっても彼らの周りの私やあなたは、こうして生きていて、世界は存在し続けているではないか。しかし、死んだ側からすれば、死後は全く別の展開に入り、始まりの状態に入っているのかもしれない。

 先日、仕事先の若い社長が突然「輪廻転生が・・・」と語り出し、おっとっとっとと対応に面食らったことがあった。彼の薀蓄はおそらく若い経営者向けのセミナーか何かで吹き込まれた精神論をまことしやかに教示してあげるよ、といった語りだったが。

 「輪廻転生」という仏教用語はアカショウビンのような未熟者には迂闊に使えない。そういった壮大な主題でなく、もっと私という身近で不可思議な存在を通して何か説明できることがあるのではなかろうか。そう更に愚考しよう。

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2006年7月16日 (日)

弘忍から慧能へ

 夕刊紙で、中国に渡っておられる五木寛之氏が中国禅についてレポートされている。アカショウビンも興味深く拝見している。その中で五木氏は弘忍と慧能のエピソードに注目する。弘忍とは中国禅の五祖で、慧能とは六祖のことである。その法の伝達のされ方は日本の禅と異なり中国禅の面白いところが如実に現れていて興味深い。

 仏教では、釈尊が摩訶迦葉に「拈華微笑」という形で法を伝達した例をはじめ、達磨以来の禅でも法が引き継がれていく経緯は独特だ。特に禅は修行も他の宗派とは著しく様相を異にする。それが後世の人々の様々な論評を生んだ。日本の栄西や道元を含め空海や最澄ら中国仏教と関わった禅者、仏教徒の言説が海を渡ったことによって大きく変化したことは史実に明らかだ。

 五木氏は慧能のことを次のように書いておられる。失礼して引用させて頂く。

 「偶然に聞いた金剛教の一節に、火箸で胸をさしつらぬかれたような感動をおぼえ、すべてをなげうって寺へやってきた男」。慧能は風采の上がらぬ無学な小男だったようだ。弘忍の道場で、それはライバルというのでもなく、秀才の神秀とは雲泥の差があったのであろう。世評は弘忍の後継者は神秀というのがもっぱらだったが弘忍は慧能に決める。

 この後のエピソードは実に面白い。アカショウビンも久しぶりに祖師たちの言説を禅語録に探りながら、この世に生きる、とはどういうことか?この世に存在する、ということはどういうことなのか?と改めて問うてみよう。

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2006年7月15日 (土)

岡野弘彦氏の歌集

 毎日新聞の13日夕刊に氏の最新歌集「バクダッド燃ゆ」が紹介されている。「短歌は荒廃への魂への叫び」という見出しにアカショウビンも共感する。この国の古代の傑出する詩人である家持や人麻呂の和歌や挽歌を読めば、それを痛感しない人はないだろうと推察するからだ。

  アカショウビンは、保田與重郎を読み、我が国の歴史と往古の詩人の心に分け入るためにも、このブログを始めた。それは戦前・戦中・戦後の保田の生き様が主張する言説だからだ。それを戦後の言論は、ほぼ黙殺し封殺した。しかし、我が国の古代に渡す視線はアカショウビンなど戦後に生まれた者にとって実に新鮮というしかない。それをもって反動的だなどと言われる筋合いは毛頭ないと言っておこう。保田の文章は戦後の文壇・論壇では意図的に黙殺されたと思われる。しかし、それは黙殺するにはあまりに豊かな果実を含んだ言説を有している文章だ。「戦後民主主義」という、奉られ馬鹿にもされる環境で育ったアカショウビンは保田を読み直さなければ日本という国の歴史と文化は総体で論じることはできない、と確信する。

 アカショウビンも戦後の貧しさから豊かになって行く過程で育った。言ってみれば幸せな国民の一人である。しかし昨今の社会を見ていると岡野氏が言われる「魂の荒廃」をアカショウビンも痛烈に感じる。そして自らの現在を通し、その原因を問わざるをえない。岡野氏の言葉は保田與重郎の言説とも呼応している。

 氏の奥様はイラク戦争の時に脳梗塞で倒れられたという。酒井記者の記事によると氏は奥様に戦争を語るべきか苦悶された。

 「ベトナムで人々の心を悲しませた国が、戦争ばかりする。イスラム原理主義というが、ブッシュもまたキリスト教原理主義のようなもの。そうした中で心までアメリカナイズされた戦後日本の哀しみを歌わずにはいられません」と言う氏の言葉を日本人は魂で聴かねばならないだろう。

 時の宰相のスタンド・プレーに呆れてばかりはいられないのである。

 岡野氏の歌集には師の折口信夫(釈 空)から受けた教えを通じて生きた戦後が凝縮されている筈だと推察するからだ。

 「地名を失うことは母語の喪失につながる」という氏の言葉に心傾けなくてはならないだろう。それは先に読んだ藤原正彦氏の言説とも通底している。「信長や秀吉ばかりでなく、庶民の心の歴史を消してはならない。歴史学や民俗学から見ても今の日本は危機的な状況だ」という岡野氏の警告を全身全霊をもって聴く為政者が何人いるのか。それが、この国が世界に生き残っていける条件のひとつ、だと思う。

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感応道交

 エリー・ナイという女流のドイツのピアニストは我が国であまり知られていない。アカショウビンも昨年、たまたま、まとめて発売された演奏集を買って聴き驚愕したうちの一人だ。その印象を友人や、このブログでも道元の「感応道交」という、それは禅の用語だが、その言葉がもっともぴったりする、と思い昨年CDを聴いたときの衝撃を伝えた。

 先日、評論家の宇野功芳氏の近著を読み、宇野氏がナイのことを手放しで褒めておられるのに同感した。休日の午後に昨年驚愕したベートーヴェンの「月光」を聴き改めて凄いベートーヴェンを聴き直した。

 それは、やはり凄い音楽だ。昨年、アカショウビンは、その演奏を神韻縹渺の思いで聴いた。それは殆ど神がかった演奏と思えた。高校生から大学の頃にフルトヴェングラーのレコードに震撼させられて以来、西洋クラシック音楽とは未だにつきあっているが、50を過ぎて、聴き馴染んだ名曲をまるで新しい作品を聴くように聴いたのはエリー・ナイの「月光」である。こういう音楽家が存在して半世紀を経て、後に生を受けた私たちに驚くべき経験を齎してくれる事に感謝しよう。

 「音楽と政治」という主題はフルトヴェングラーやブルーノ・ワルターの人生を通して戦後も間歇的に話題にのぼっている。フルトヴェングラーについては熱烈なファンだった丸山眞男氏が晩年に新書で、その思いを語ったのをアカショウビンも読んだ。その主題は今も洋の東西で熱く論議されている筈だ。

 エリー・ナイという驚愕する優れたピアニストの録音が、しかも若い頃の録音は一部しかなく、晩年の演奏がやっと音楽好きに届くという経緯は、おそらくドイツという国での事情が絡んでいるのだろう。

 ナイはナチスとヒトラーに同調したと聞く。それで「干され」たのではないか?それでもドイツの人々の間で演奏の機会が持たれ、聴き継がれ、語り継がれたのではないか?それが12枚のCDとして死後に発売され極東に棲む音楽ファンの耳と精神にも届いたのだ。

 かつてナイの実演に接した吉田秀和氏は、聴くに耐えなかったと記されている。氏は技術面の稚拙に辟易し途中で席を立った、と記しておられる。またその時の演奏会を、女神の演奏をありがたく聴く、まるで宗教的な奇妙な場だった、とも記しておられた筈だ。しかしCDで聴くエリー・ナイというピアニストの「音楽」はアカショウビンにとってフルトヴェングラーを聴いた時の驚愕を共通すると言ってもよい、あるいは、それを越えるかもしれない経験だったことは記しておこう。

 さぁ、夏がきた。生命が萌え出ずる季節にアカショウビンも残された時間を生き抜こう。この世に棲む時間を思い残すことなく、暑さにヘロヘロになりながら。

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2006年7月 9日 (日)

ヒトという生き物

 昨今のミサイル騒動やサッカーのワールドカップの狂騒を見聞きしていると、ヒトという生き物の幼児性と偽善、愚劣と面白さを痛感する。それがヒトという種の可能性として展望を開けるか、それが急所の問題とも思う。9・11の歴史的事実を現在、人類はどのように克服できているのか?イラクの次は極東か?と阿呆らしくもなるなかで、それを考察していくのは無駄ではあるまいと思う。

 柄谷行人氏が「世界共和国へ」(岩波新書2006年4月20日)という新書でカントの「永久平和について」を通し現在の「世界」の可能性を考察している。その言説の当否はいずれ論評してみるとして考察の射程はテポドンの確率では済まないだろう。

 アカショウビンはフーコーの言説に触発されながら西洋の「近代」が現在の世界に齎している功罪について考えざるをえない。昨年、ヤスパースの「戦争の罪を問う」を読み、ヤスパースとハイデガーの親交と確執を興味深く知り1年が経過した。その成果はいずれ明らかにしよう。 昨今はドイツで行われるワールドカップの映像を観てナチズムの現在はどうなっているのかと訝しくも思う。その社会には未だにネオ・ナチを通してその棘は日常に通底している筈だ。

 柄谷氏は著書の中でレヴィ・ストロースの「親族の基本構造」も紹介する。女を贈与し、それに対するお返しとして女を得るという交換で親族構造を分析したのがレヴィ・ストロースだ。それが構造主義の発端ということになる。親族構造は世界の各地で多種多様だが単純な代数的構造をもっているというのがレヴィ・ストロースの卓見だ。彼がリサーチした未開の部族間における女性の互酬的交換を見つめながら人類を考察する立脚点をハイデガーやレヴィナス、サルトル、フーコーの言説を読み解き整理して考察するのは面白いと思うのである。

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2006年7月 6日 (木)

偉大な芸人列伝

 「過酷な寓話的禁欲」を強いられた状況を無自覚にヨーロッパの人々は生きている、というのがフーコーの告発である。「理性」が主導する西洋の歴史の、それ以前と、それ以後の「境界-極限」をフーコーは執拗に思考する。ヨーロッパの人々の無意識とは無縁の極東の島国でアカショウビンは彼らが禁欲の苦痛から産み出した芸術作品を面白く鑑賞する。それはフーコーからすれば不可思議な現象ということになるのかもしれない。

 海の向こうからミサイルが飛んで来るという、まさに現代の寓話的状況も加味されて、歴史的現実は倒錯の極点が裏道で密かに細々と行為されるのでなく一瞬にしてメインストリートで繰り広げられる、という事実を我々はアフガニスタンやイラクやニューヨークで目の当たりにしたばかりである。それはさておき。

 アカショウビンが若い頃に観た「ザッツ・エンターテインメント」というMGM社のミュージカル作品を抜粋して編集した映画があった。これには心底から驚かされた。それまでに観たミュージカル映画といえば「サウンド・オブ・ミュージック」、「マイ・フェア・レディ」、「屋根の上のバイオリン弾き」など評判のいわゆる定番名作だけだったからだ。それがあの作品の中には、果たして日本で上映されたことがあったのか、初めて名を聞くけれども実に圧倒的で魅力あふれるダンスが繰り広げられているミュージカルが幾つも紹介されていた。それらを抜粋でなく全部観たい!これから先何本観られるか?それが将来に出会うアカショウビンの切実な幸せのひとつだったのだ。

 一昨年かには「キス・ミー・ケイト」がDVDで安く買って観られた。アン・ミラーのダンスの素晴らしさったらないのである!アメリカ文化の粋がそこにはあると確信する。それからだいぶ時は過ぎたが今夜はもう一作品を観た!

  「イースター・パレード」だ。何と500円でDVDが買えたのだ!何と幸せなアカショウビン君!これで、いつ死んでも、残る未練のうちの一つが消えたわけだ。

 そこにはアン・ミラーも出演して見事なダンスを見せてくれるが主役はフレッド・アステアとジュディ・ガーランドである。偉大な芸人と評するだけでは足りないくらいアステアのダンスは見事だ。融通無碍の境地というのは正にこのダンスを言うのであろう。名人、あるいは悟った名僧とも称してもよい人物がそこで踊っているではないか!悟りの境地を不遜ながら映像化するとすると、ここにそれが現象化しているではないか、とアカショウビンは不埒にも直感するのだ。紳士、淑女の皆々様!おい、おい、それは少しオーバーな、というなかれ。 

 インテリ達がどんなに眉をしかめようと、アステアやアン・ミラーの身体の動きには人間という生き物の、それは才覚に裏付けられているとはいえ、過酷な苦痛も伴ったであろう訓練の末に到達した快楽が表現されている。それはとりあえず倒錯的な寓話的快楽とでも称しておこう。アカショウビンが将来書き連ねるであろう、「偉大な芸人列伝」の中には、フレッド・アステア、ジーン・ケリー、そしてアン・ミラーの3氏が先ず記載されるはずだ。この列伝、果たしていつ日の目を見るか知らぬが、乞うご期待!

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2006年7月 5日 (水)

過酷な寓話的禁欲

 ルネ・シャールの詩に書かれている「過酷な寓話的な禁欲」とは何か?

 それは同性愛者のフーコーからすれば「交差いとこ婚」を許容し「並行いとこ婚」を禁じた「人類」の選択のさらに彼方を見晴るかす視覚を詩人に発見したのではなかったか。フーコーの思考は人類の「起源」に射程を定めて「人間」という存在を問う面白さである。性を通じて「人間」の特異さと理不尽を告発し「存在」として「人間」を無化する、とも言えるだろうか。そのような視点を据えた人物。それがフーコーの真骨頂ではないのか?

 「<生きる>ことは、過酷な寓話的な禁欲の形をとって、異常な諸力の征服となる。われらは、それらの力に横切られていることをひしひしと感じてはいる。だが、われらは、誠実さ、厳しい分別、忍耐を欠くがゆえに、それを不完全にしか表現しない」

 そのルネ・シャールの慨嘆を克服しようとする意志、それがフーコーの思索ではなかったか、とアカショウビンは愚考するのである。

 

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2006年7月 3日 (月)

眼差しと空間

  フーコーの思想の特徴を小林康夫氏は次のように要約している。参考になると思うので引用させて頂く。

 「眼差しと空間-フーコーの思考のもっともオリジナルな特徴こそ、その空間的なアプローチ、人間的な意味の以前にある、そこから意味が生まれてくるような空間へと注がれた眼差しではなかったか。そしてさまざまな不連続線や力線、垂直線、さらには空白のタブロー、奇妙な立体といった殆ど幾何学的な対象空間を見つめる眼差しは、意味以前というその位相に正確に対応して、それ自身、まだ身体を持たないような眼差しではなかったか。

 (中略)

 身体的な実存は、けっして無垢ではなく、すでにその誕生に先立って、「歴史」と「権力」と「知」の共同作業がつくりあげているさまざまな力-しかも否定的で抑圧的な、ときには排除的な、さらには抹殺的な力-によって囲まれ、貫かれている。それはフーコーにとっては理論的な仮説ではなく、かれのすべての思考がそこから要請されるような実存的な根拠ではなかったか。」 」(「フーコー・コレクションⅠ狂気・理性」2006年5月10日 ちくま学芸文庫 p434)

 「『夢と実存』への序論」の冒頭でフーコーはルネ・シャールの詩『断固たる分割』を掲げている。

 「人間の時代に、私は、生と死を隔てる壁の上に、次第に裸形の度を深めるむき出しの一本の梯子が立ち延びていくのを見た。その梯子は、比類ない引き抜きの力を帯びていた。その梯子こそ、夢であったのだ・・・。かくして暗闇は遠ざかり、<生きる>ことは、過酷な寓話的な禁欲の形をとって、異常な諸力の征服となる。われらは、それらの力に横切られていることをひしひしと感じてはいる。だが、われらは、誠実さ、厳しい分別、忍耐を欠くがゆえに、それを不完全にしか表現しない」。(同書p9)

 「<生きる>ことは、過酷な寓話的な禁欲の形をとって、異常な諸力の征服となる」。

 フーコーが暴こうとしたのは、人間が「過酷な寓話的な禁欲の形」をとることによって存在している、ということではなかったか、と思うのだ。

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