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2006年5月14日 (日)

フジコ・ヘミングというピアニスト

 先週と今週の2回に分けてテレビで演奏しているのを見かつ聴いた。特異な経歴をもった人というのは音楽マスコミの報道や一般紙の音楽評で漏れ伺っていた。先週の放送や今放映されている演奏を聴いていると、その音は柔らかく、音の間を慈しむように、丁寧に弾いている。ベートーヴェンの「皇帝」を抜粋して演奏していたが、それはなかなか面白い演奏と思えた。

 実はアカショウビンは何年か前に彼女の演奏を生で聴いている。それは、その年の音楽界で活躍した演奏家が紹介され、さわりを少し演奏する何とか大賞の授賞式のようなものだった。友人が、只券があるので行かないか、というので二つ返事で出かけた。アカショウビンのお目当てはジャズ・ボーカルの鈴木重子。クラッシクからはフジコさんが登場し演奏した。鈴木さんもフジコさんも何の曲を演奏したか今となっては覚えていない。鈴木重子はともかくフジコさんはインタビューの受け答えを聞いていると場違いな場に出てきた戸惑いも感じられた。

 さてテレビを見ていてフジコさんのコメントが良い。ベートーヴェンはリストやショパンほどピアノは上手くなかったが、自分が弾きこなせるように丁寧に作品を書いた。だから私にも弾けるし弾いていて面白くなった。ベートーヴェンはいままでほとんど弾いてこなかったが弾きだすと面白いと言ってくれる方が多いので最近はよく弾く。ベートーヴェンに比べるとリストやショパンには飾りが多すぎるのがよくわかる、と話している。また初期のピアノ・ソナタはあまり好きなわけでもないが後期のソナタでハンマークラーヴィアなどは素晴らしい、という話もなるほど面白かった。

 ピアニストという存在は晩年になって凄みを発揮する例をアカショウビンは何人か耳にしている。女流のピアニストでは昨年のブログに書いたエリー・ナイがそうだ。耳を澄まし聴いてみればテクニックは衰えても作品の襞に深く分け入っている。表面をさらっただけの演奏には及びもつかない境地だ、それは。殆ど奇跡というしかない演奏と演奏者が達する境地というのは確かにある。フジコ・ヘミングというピアニストがその境地に達しているかどうか。聴き取る側にそれだけの用意があるかどうかも問われる。アカショウビンも恐る恐る(笑)CDを聴いて確認してみよう。

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