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2006年5月 7日 (日)

気ままな日常

 先日、NHKテレビで三島由紀夫の生前の映像が放送されていた。そこでは三島が、リルケが「今の時代にはドラマチックな死がない」と書いていることを引用し、「葉隠」の著者も戦国の乱世から久しい後に生を過ごし戦場での死を得られず畳の上で長寿を生きた、私も癌にでも罹れば死の恐怖に怯えるだろう、そうでなくとも命永らえれば畳の上で死んでいくだろう、しかし日常的な幸せが究極の幸せというものでもあるまい、人は「大義」のために死ぬことこそ幸せではないのか、(取意)と語っている。死の4年前のインタビューだ。

 アカショウビンは昨年10月に復刻された三島の「オリジナル版 英霊の聲」を読んだ。(2005年10月20日発行 河出書房新社)。これは1966年に出版されたものを文庫にしたもので「憂國」他、三島自身の解説も収められている。それによると「憂國」が昭和35年に発表されているという事に少し驚いた。アカショウビンは、もっと後に、おそらく自決の数年前くらいだろう、と思っていたからだ。この苛烈な小説は三島自身があの自刃の行為に至る訓練の如きものである。しかし、そこに至るまで10年が経過している。この10年間が長いのか短いのか。自裁に至る精神の葛藤と意志は他者の思い及びもつかない境地であろう。それは強靭な意志と言うしかない。

  先日は都下、大森の映画館で「憂國」が上映されたようだ。そのDVDも市販されているのを秋葉原の電器店で見た。それを観てみたい好奇心はあるが、30分前後のフィルムだ。それを横目にしながら、同じくらいの価格の黒澤 明の「野良犬」を購入。このところ劇場でこの作品がかかることも少なく大枚をはたいてDVDを購入したしだい。他にも連休中は観たい映画がたくさん。しかし若い頃のように何本も観る気力・体力はない。新聞、週刊誌の映画評を読み、これは観ても損はなさそうなだな、といういじましい心根で、レンタル店を時間をかけて徘徊する。その挙句何本か借りて観る、というのが最近のアカショウビンの日常だ。昨日はティム・バートン監督の「ビッグ・フィッシュ」をレンタル・ビデオで観た。まぁ、悪くない作品ではあった。

 話題の映画や往年の傑作・名作・怪作を楽しみながら、落語会で、クスクス、ワッハハ、ガハハハと大笑いし、昼間から好きなお酒を楽しむ。このような日常は三島がもっとも嫌悪したものだろうが、アカショウビンの日常に不満はない。これも三島からすれば殆ど病のようなもので、これは「不善」というものであろう。

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