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2006年5月29日 (月)

アダン(続き)

 作品の最後で描かれる一村の死は事実と異なると思われるので書き留めておきたい。「田中一村作品集」(昭和60年8月20日 日本放送出版協会)所収の松元邦暉氏の記述によると名瀬警察署の検死調書は次のようになっている。

 「パンツ一枚で4・5畳の北西角に、西側に頭を向けてうつ伏せに倒れ、顔をやや北側に向けて死亡していた。死者の近くには現金八万円、合計二百二十五万円の定期預金通帳」

 映画では家の外の畑で斃れているので、少し気になった。しかし、それで、この映画作品の価値を損なうことがないのはいうまでもない。

 映画を観て改めて想い出したのは、千葉で描いた軍鶏の絵である。映画では一村が闘鶏に魅入られるシーンがあり、図録によると昭和28年に描かれた「花と軍鶏」という作品は、そのような過程を経て出来あがったとされている。

 1996年1月、三越美術館・新宿南館で開催された一村展では米邨と号していた千葉時代の作品も多く展示された。「水辺夕景図」や「黒牛図」という作品はそのときに初めて観て画家の力量と才覚を改めて思い知った。その作品群の中でアカショウビンは色紙に描かれた作品に一村の洒脱な側面を垣間見て興味深かった。巷間、奄美時代の作品に興味が集中しているが千葉時代の作品にも見るべき作品が多い。しかし一村は、そこから更に脱皮を図ろうと四国、九州の旅に出る。その間に南島の空気と香りを嗅ぎ取り、それを運んでくる黒潮の彼方の島を憧憬したのであろう。

 その日本画が奄美に渡って劇的な変化を遂げる。その異相は、画家の眼と視る対象というのは、生活の変化と五感が求めるものによって、こんなにも変化するものか、と驚くのである。

 映画の中で村田雄浩氏演ずる友人の画家、荒木泰雲の、画家としては私の負けだ(取意)という台詞と彼が自殺したというエピソードは一村への最大のオマージュだ。

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2006年5月28日 (日)

アダン

 N君から頂いた招待券で五十嵐 匠監督の「アダン」を観て来た。榎木孝明氏の田中一村役も、キャメラも監督も、脚本を書かれた松山善三氏も渾身の力を振り絞って驚くべき短期間の間に撮りあげた秀作と思う。

 この作品が遺族との確執も生じさせているという話も聞いた。しかし、多少なりとも、その作品に接し、生き様と死に方に関心を持った者として、田中一村という、市井の人々からは変人とも見られかねない画家が、どういう作品を残し、終に異郷の地で息絶えたか、という消息と人となりを描いて余すところのない仕上がりと感得した。

 南画の天才として将来を嘱望された田中 孝という絵描きが、売り絵でない生涯の傑作を描くべく渡った奄美で、彼は極貧とも言える貧窮のなかで作品を描き続けた。それはあたかも魔性にとり憑かれたように、とも言える。隔絶した南の島という異郷の土地で、狂気とも誤解されかねない姿で対象を求め、それを捉えると飽きなく対峙し己の眼を信じ奄美の自然を画布に留めた。その執念と妄執ともとられかねない気迫は恐らく俗を超越し、何か超然とした物を見据えることのできた者にしかわからぬ境地とも思える。

 それは、たまたま一村という画家の近くで或る時に行き交ったかもしれず、同じ時空間を生きた事の縁から生じるものとしても、それはアカショウビンはじめ少なくない人々の共感を得ていることは確かである。

 戦後のドサクサが多少は落ち着いた頃といえども昭和33年、50歳にして単身、奄美へ渡るということは関東の人間からすれば海を越え、波頭千里とも言える場所へ赴く無謀ともいえる不可解な行動であろう。なにゆえ一村は奄美へ渡ったのか?しかも棲み続けた場所は近くに「和光園」という地元の人々、というより当時はどこでも忌まれていたハンセン病の患者が生活している病院のある有屋という集落である。そこに何かつながりはあるのか?

 わからぬ事は多い。しかし、そこで一人の画家が南島の植物や景観や蝶や鳥や魚という自然の対象物と対峙した作品が人の眼と精神と魂を挑発し撃つことは確かなのではないか?

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2006年5月25日 (木)

マラソン

 ぴー、ぴーがちょるちょるねがよ。ぴー!ぴーがちょるちょるねがよ!母親は自閉し言葉を発しようとしない息子に土砂ぶりの雨の中で、天から小止みなく降り注ぐ雨滴を示し、そう声を荒げる。焦れて、怒るように、また哀願するように、目の前で無表情に佇む自分の体内から産み出した分身に激しく迫るのである。

 アカショウビンには異国のこの言葉は強い伝達力を持って感得される。それは精神の奥底でか、あるいは知覚の果てでか?しかし母と子が向き合う中で発されるこの異国語は或る絶対的な意味を持つ「言葉」として私に迫った。ぴー、ぴーがちょるちょるねがよ、は、あめゆじゆとてちてけんじや、という方言とも無意識の中で木霊していたのかもしれない。

 息子がテレビを飽きず視ることで空に覚えた「声」は、この作品の価値を象徴的に伝えて余りない。それは、この世の外部から聞こえてくる声のようだ。そうだ、正に、それは意味をなすようで、その声を発する者には意味として機能はしていないのだ。

 そのアカショウビンにとっても字幕でしか辿ることのできない音・声として、その「言葉」は発っされるのである。しかし異国の者にも、その声の何事かの役割だけは物語の中で理解される。

 作品の導入部の見事さで監督は観るものの視線を自分の世界にムンズとばかりに引きずり込む。それは映画作家としての力量を痛感させるではないか?それは技術的には映像の文法を良く会得している、ということでもある。その映像のあとは物語の展開に身を任すだけだ。何と言っても主人公の「声」の造型が素晴らしい。また母と子の愛情、家族や社会との軋轢と葛藤を物語る映像の間に挿入される象徴的な映像は詩的段階にまで到達しているとアカショウビンは脱帽する。優れた映像作品の或る瞬間は構成要素であるが稀有の直感でもあり、それは超越でもあるのだ。

 自閉症とは病気でなく障害である、という。だが、これは決して「障害者」を描いた作品ではない。「人間」という存在を観る者に問い返す作品だ。

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2006年5月21日 (日)

世に棲む日々(続き)

 NHKの教育テレビでアルフレッド・ブレンデルがクラウディオ・アバド指揮のルツェルン音楽祭管弦楽団とベートーヴェンの3番のコンチェルトを弾いている。

 クラリネットにはザビーネ・マイヤー、オーボエにはたぶん日本人と思しき若い女性もいらっしゃる。ブレンデルも歳をとり往年の技巧は衰えている。アバドも歳をとった。病も癒えたとはいえ、その苦しみが痩せ細った肉体に現れているのは痛々しい。しかし、彼の表情や顔を真っ赤にして演奏する楽員や自分の出番以外のところで見せる表情を見れば、人にとって音楽するという行為の楽しさというものがどういうことなのか、ということは、その表情から十分に読み取れる。

 その後のブルックナーの第7交響曲を振るアバドの姿は祷りと言ってもよい姿である。 

 音楽する行為の楽しさと緊張、厳粛さ、とは、そういうものなのだ。それを見て知ることが出来るのはテレビという文明の利器のおかげということはアカショウビンも認め感謝するのはやぶさかではない。文明と近代技術というものにハイデガーや保田與重郎を読みながら懐疑的であるアカショウビンにとっても、その恩恵は認めるしかない。その逆説のよってきたるところは追求するに値する現象と解するが、それは後の課題だ。 

 この世に棲む間に、それが解けるという保障もない。しかし、それこそが、世に棲む日々の楽しさというものであることはアカショウビンは実感するのである。

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縁は異なもの

 先週は総会シーズンで懇親会の飲み会続き。齢50を過ぎてガクリと体力の衰え始めたアカショウビンにはこたえる。飲み会は嫌いじゃないが程度というものはある。今週も明日は福島へ。仕事は溜まる一方で体力は消耗するばかり。因果な商売ではある。この数年、会社には辞めさせてほしいと言い続けている。しかし、あくまで搾り取るのが会社という組織なのだろう。いつか決着はつけてやる!それは、そんなに遠い日じゃないぞ(笑)! 

 せっかくの休日も社に出て仕事をしなければならないが、最近は歳のせいでそうもいかない。昨日は友人が試写会に誘ってくれて「ポセイドン」という作品を有楽町で観た。何でも34年前の「ポセイドン・アドベンチャー」のリメイクとか。旧作はアカショウビンも観た。記憶には幽かに一部だけは残っているが殆どは忘れた。まぁ、只で観させて頂くのだから愚痴もいえないが、惜しい時間を消費してしまった、というのが正直なところ。友人にはお礼に食事代と飲み代は払わせて頂いた。しかし、最近の(ここが大事である。昔は違ったところもあったのだ)ハリウッド映画には十分食傷している。とはいえ持つべきものは友である。N君は食事の時に「アダン」という映画の只券もくれたのである。

 「アダン」とはアカショウビンのハンドルネームの理由にもなっている田中一村という画家の一生を描いた作品である。一村は栃木に生まれ千葉で貧窮のなか姉や家族の援助を得て画業を続け、最後は奄美大島で亡くなった日本画家である。何故、奄美なのかは知らない。しかし売り絵でない作品を追求し描き続けた一村という画家の真骨頂は確かに奄美で築きあげられ、或る意味で完成された、とアカショウビンは確信する。

 一村にとっての奄美は彼のゴーギャンが移り住んだ南洋のタヒチと思うのだ。西洋文明に辟易したゴーギャンが辿り着いた南洋は、それに比べれば相当に文明に汚染されていた筈だが、一村にとっての奄美ではないかと思うのは、それほど的外れな推測ではなかろうと思う。

 いくつか読んだ一村を主題にした書物でも、その経緯は不明だ。しかし、アカショウビンが小学生から中学まで育った、今は奄美市と名を変えた名瀬という町の近郊の有屋という一村が棲んだ場所はアカショウビンにとって人生でもっとも充実していたといってよいほど蝶採集に夢中になって歩き回った時と場所なのである。その、かつて共有した時間と空間に思いを致すとアカショウビンは己の過去が一村のそれと、知らず交錯した不可思議と、縁と言えば言えなくもない関係に、何事か人という生き物の不可思議さを看取するのである。

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2006年5月14日 (日)

フジコ・ヘミングというピアニスト

 先週と今週の2回に分けてテレビで演奏しているのを見かつ聴いた。特異な経歴をもった人というのは音楽マスコミの報道や一般紙の音楽評で漏れ伺っていた。先週の放送や今放映されている演奏を聴いていると、その音は柔らかく、音の間を慈しむように、丁寧に弾いている。ベートーヴェンの「皇帝」を抜粋して演奏していたが、それはなかなか面白い演奏と思えた。

 実はアカショウビンは何年か前に彼女の演奏を生で聴いている。それは、その年の音楽界で活躍した演奏家が紹介され、さわりを少し演奏する何とか大賞の授賞式のようなものだった。友人が、只券があるので行かないか、というので二つ返事で出かけた。アカショウビンのお目当てはジャズ・ボーカルの鈴木重子。クラッシクからはフジコさんが登場し演奏した。鈴木さんもフジコさんも何の曲を演奏したか今となっては覚えていない。鈴木重子はともかくフジコさんはインタビューの受け答えを聞いていると場違いな場に出てきた戸惑いも感じられた。

 さてテレビを見ていてフジコさんのコメントが良い。ベートーヴェンはリストやショパンほどピアノは上手くなかったが、自分が弾きこなせるように丁寧に作品を書いた。だから私にも弾けるし弾いていて面白くなった。ベートーヴェンはいままでほとんど弾いてこなかったが弾きだすと面白いと言ってくれる方が多いので最近はよく弾く。ベートーヴェンに比べるとリストやショパンには飾りが多すぎるのがよくわかる、と話している。また初期のピアノ・ソナタはあまり好きなわけでもないが後期のソナタでハンマークラーヴィアなどは素晴らしい、という話もなるほど面白かった。

 ピアニストという存在は晩年になって凄みを発揮する例をアカショウビンは何人か耳にしている。女流のピアニストでは昨年のブログに書いたエリー・ナイがそうだ。耳を澄まし聴いてみればテクニックは衰えても作品の襞に深く分け入っている。表面をさらっただけの演奏には及びもつかない境地だ、それは。殆ど奇跡というしかない演奏と演奏者が達する境地というのは確かにある。フジコ・ヘミングというピアニストがその境地に達しているかどうか。聴き取る側にそれだけの用意があるかどうかも問われる。アカショウビンも恐る恐る(笑)CDを聴いて確認してみよう。

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2006年5月13日 (土)

世に棲む日々

 ご存知、司馬遼太郎が吉田松蔭を描いた作品である。松蔭寅次郎という人の生き様と死に様を描いて、このタイトルが良い。それを作者が付けたものか編集者なのか知らない。しかし松蔭という人の一生を、こういうタイトルで象徴させる才覚にアカショウビンは瞠目するのである。 

 私たちの生とはそういうものであろう。現に存在している私たちの経験は恐らく死ぬときに、世に棲んだ日々、というように回想されるのではないか?人は死を恐れる。しかしなぜか?ソクラテスは、私は死を知らないから死を恐れない、と語ったとプラトンは書いている。 

 ソクラテスの境地とは気が遠くなるほど異なるアカショウビンを含め多くの人は死に臨めばそれを恐れるだろう。しかし「それ」とは死んでしまい死後はどうなるのか、という不安なのか、それとも病院のベッドで医療器具に囲まれて治療する過程での苦痛なのか。多分、そうではなく、「それ」は、死ぬことで、世に棲んだ日々が終わることへの失望なのではないか?あるいは世に棲んだ日々に未だ何事か、やり残したという未練。また逆に、先に紹介した「高瀬舟」の喜助の弟のように、この世での苦からやっと解放される、といった悲痛な喜びもあるのが人という生き物の不可思議さである。

 レヴィナスやデリダの思索を辿っていると、そんなこともつらつら考えるのである。ナチスに殺害された同胞をレヴィナスは「身代わり」になった人々として追想し思索する。それは頭の悪いアカショウビンには晦渋な思索に思える。しかし彼が対象に向き合い「顔」としてそれを看取しようとする意志はレヴィナスという人以外の誰も切り開けなかった思索であることは承知する。

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2006年5月 7日 (日)

気ままな日常

 先日、NHKテレビで三島由紀夫の生前の映像が放送されていた。そこでは三島が、リルケが「今の時代にはドラマチックな死がない」と書いていることを引用し、「葉隠」の著者も戦国の乱世から久しい後に生を過ごし戦場での死を得られず畳の上で長寿を生きた、私も癌にでも罹れば死の恐怖に怯えるだろう、そうでなくとも命永らえれば畳の上で死んでいくだろう、しかし日常的な幸せが究極の幸せというものでもあるまい、人は「大義」のために死ぬことこそ幸せではないのか、(取意)と語っている。死の4年前のインタビューだ。

 アカショウビンは昨年10月に復刻された三島の「オリジナル版 英霊の聲」を読んだ。(2005年10月20日発行 河出書房新社)。これは1966年に出版されたものを文庫にしたもので「憂國」他、三島自身の解説も収められている。それによると「憂國」が昭和35年に発表されているという事に少し驚いた。アカショウビンは、もっと後に、おそらく自決の数年前くらいだろう、と思っていたからだ。この苛烈な小説は三島自身があの自刃の行為に至る訓練の如きものである。しかし、そこに至るまで10年が経過している。この10年間が長いのか短いのか。自裁に至る精神の葛藤と意志は他者の思い及びもつかない境地であろう。それは強靭な意志と言うしかない。

  先日は都下、大森の映画館で「憂國」が上映されたようだ。そのDVDも市販されているのを秋葉原の電器店で見た。それを観てみたい好奇心はあるが、30分前後のフィルムだ。それを横目にしながら、同じくらいの価格の黒澤 明の「野良犬」を購入。このところ劇場でこの作品がかかることも少なく大枚をはたいてDVDを購入したしだい。他にも連休中は観たい映画がたくさん。しかし若い頃のように何本も観る気力・体力はない。新聞、週刊誌の映画評を読み、これは観ても損はなさそうなだな、といういじましい心根で、レンタル店を時間をかけて徘徊する。その挙句何本か借りて観る、というのが最近のアカショウビンの日常だ。昨日はティム・バートン監督の「ビッグ・フィッシュ」をレンタル・ビデオで観た。まぁ、悪くない作品ではあった。

 話題の映画や往年の傑作・名作・怪作を楽しみながら、落語会で、クスクス、ワッハハ、ガハハハと大笑いし、昼間から好きなお酒を楽しむ。このような日常は三島がもっとも嫌悪したものだろうが、アカショウビンの日常に不満はない。これも三島からすれば殆ど病のようなもので、これは「不善」というものであろう。

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2006年5月 6日 (土)

映画寸評

 先日は新宿で「寝ずの番」(2006年 マキノ雅彦監督)、その前にはDVDで「フライド・グリーン・トマト」(1991年 ジョン・アブネット監督)、「茶の味」(2003年 石井克人監督)、「LOVERS」(2004年 張 芸謀監督)を観た。いずれも面白かったが、「フライド・グリーン・トマト」がベストというところか。主演のジェシカ・タンディが絶品。老いの智慧と頓知、キャシー・ベイツの好演もそれに応えて絶妙。「茶の味」は、才能というのは、おそらくこういう過程を経て成熟していくものだと面白く観た。「LOVERS」はチャン・ツイィーの追っかけであるアカショウビンとしては必見。遅まきながら拝観したが「HERO」(2002年 張 芸謀監督)よりは面白く観た。男というのは一人の女を得るためにそこまでやらなくてはならないか、と暗澹たる気持ちになったが(笑)。

  「フライド・グリーン・トマト」は「ミシシッピー・バーニング」の時代背景を良くかもし出し、それほど熱くならないところが「寸止め」的効果でよろしかった。

 それにしても痛感するのは、「物語」を上手く語る才覚というのものはあるものだ、ということだ。映像の面白さは「茶の味」にも「LOVERS」にもあるが、それは観るものを瞬間に動かしても主題とはならない。あくまで面白さは映像にある。しかし人間という生き物の面白さと不可思議さは「物語」を上手く構成することで絶妙に浮き彫りにされる。そこは言語で説明可能な領域である。「茶の味」や「LOVERS」は物語を練った作品ではない。少なくとも「フライド・グリーン・トマト」よりは。どちらかといえば特殊効果や瞬間芸に依存した構成だ。観るものの生には瞬間にしか響かない、とでも言えるだろうか。しかし物語はそれぞれに語り伝えられ、それぞれのバリエーションがあっても「筋」は残る。これは如何なる現象か?わかりにくい説明ですまない。後に、もう少し分かり易く書けるかもしれない。昼間のアルコールも影響している(笑)

 

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2006年5月 4日 (木)

エコノミー

 デリダが愛用する「エコノミー」という術語は訳者の廣瀬浩司氏の訳注では次のようになっている。

 語源的にはギリシャ語の、oikos(家)の nomos(法)。(中略)たとえば『時間を与える』(「Donner le temps」)でデリダは、oikosとは「家、所有地、家族、住まい、内部の火(炉)などを意味し、 nomosは 「配分法則」「分かち与えpartageの法則」「分かち与えとしての法」であることを強調し、それが交換や循環や回帰を含意していること、贈与は非エコノミー的であることなどを指摘している。

 またレヴィナスの「全体性と無限」の訳者である熊野純彦氏は次のように訳注している。(同書上巻p393)

 ときに「家政」とも訳されるが(中略)アリストテレスにあっては、「自然にかなった取財術」は「家政学」にぞくし、「交易」によるそれは家政学にはぞくさない。(『政治学』第1巻9章)。レヴィナスの場合、「エコノミー」は第一義的には「享受」「労働」「家」等、本書第二部の主題系を指標する概念。さらに一般に「組成」あるいは「統合的組織」といった意味でも使用され、後者はœcuménismeという語でもあらわされる。

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デリダの「死を与える」

 安楽死と位相は異なるといえども4月9日の「大審問官」で少し書いておいたジャック・デリダの「死を与える」(2004年12月10日 ちくま学芸文庫 廣瀬浩司・林 好雄訳)で展開される創世記のアブラハムとイサクの物語を通した死生観は興味深く示唆的だ。それはユダヤ教・キリスト教という宗教的土壌が厚く人々の精神を懐柔している土地柄でないと生まれない論説である。

 同書には表題の講演記録の他にアブラハムとイサクの物語を更に敷衍した「秘密の文学」という論考も併載されている。そこではユダヤ教・キリスト教的な土壌から産み出された産物としての「文学」の由来と経過、行く末も述べられていて興味深い。デリダの思想的成熟はハイデガーの講義に強く影響されたエマニュエル・レヴィナスの戦後の思想的成熟とも共鳴している。

   レヴィナスの「全体性と無限」((2005年11月16日 岩波文庫 熊野純彦訳)は1961年の著作だ。--外部性をめぐる試論--という副題が付いているこの著作でレヴィナスは、「私たちは道徳によって欺かれてはいないだろうか。それを知ることこそがもっとも重要であることについては、たやすく同意がえられることだろう」 と序文を始めている。この21頁にわたる長い序文で表題を解説しているレヴィナスの言説は興味深い。それは「本来性」というハイデガーの術語とも呼応する「全体性」という術語と「無限」という概念でハイデガーの思索を乗り越えようとするレヴィナス独特の思索を展開しているからだ。ハイデガーに深く影響されながら彼への批判と自らの哲学を提示する強い意志がそこには横溢している。

  デリダがレヴィナスやハイデガーと音叉のように共鳴しながら思索するのもアカショウビンには、そういった言説の呼応の仕方が面白いのである。デリダが「死を与える」で使う「エコノミー」という術語もレヴィナスの著作から受け継いだものと察せられる。「死を与える」でもカント以降の近代西洋哲学の根底を通底する「超越」という、それは問題なのか概念なのか、あるいは「現象」とも見える問題がここでも思索されている、それは果たして西洋近代哲学だけで格闘される問題なのだろうか?仏教では「悟り」がそれに呼応しているのではないか?「自力」と「他力」という大乗仏教哲学にも、それと共通する論説が見られはしまいか。つらつら検討していこう。それにしても、それは広大で巨大で恐ろしく奥深く、漆黒の闇のような世界だ。果たして蟷螂の斧のようなアカショウビンの存在と知力がどれだけそこに通路を見出すことが出来るか実に心もとないが。

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