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2006年4月19日 (水)

語り

  山本曜司というファッションデザイナーが、テレビでこちらに語りかけている。それはいつもの登場人たちとは明らかに異なる語りだ。そんなのでいいのでしたら出演してもいいですよ、といった交渉が透けて見えるような映像と語りだ、それは。一言でいえば変わっている。書いたものをただ読んでいる、むしろ陳述といったほうがよいかもしれない。しかし内容は面白い。アカショウビンには山本曜司という人物の「個性」が現象として現れているように思えた。その語りというより陳述と表情は、明らかに彼の意志の表れと解される。

 その番組の前には女優・岸恵子が女性アナウンサーのインタビューで女優・岡田嘉子の事を話している。それはまた異なる語りだ。かつて若い頃、その美貌の絶頂にあった頃は世の賞賛と追従を受け、怖いものしらずで世の中を睥睨したこともあっただろう。その女の今の語りは真摯で誠実そのもの。彼女が尊敬するという先輩女優の足跡をたどる語りはとても好もしく慎ましい語りと思えた。

 その二つの語りは鮮やかに異なり対照的だ。

 この時間のお二人の語りを見聞きするということはアカショウビンにとってどういう巡り合わせなのだろう?その前にはガリレオ・ガリレイの一生を紹介する番組も見た。のべつチャンネルを変えながら落ち着きのないテレビ好きであるアカショウビンにとっても、アルコールが入っていたとはいえ、こんなに興味深い三つの番組を次々と見させられるということはあまりない体験だ。しかし、それは偶然ではないようにも思われる。

 かつてユングとフロイトが書斎で会って話していたとき、ユングがある予知的なことを語り、その通りになったというエピソードがあった筈だ。ユングが何と言っていたか。それは実にユングらしい言い方というのか説明だった。「ユング自伝」のなかに書かれていたのか?それとも他でか定かでないが、それはユングとフロイトという人格の違いを鮮やかに示すエピソードだった。

 ガリレオの番組をつい最後まで見てしまったのはガリレオが人生の後半から晩年に異端審問にかけられた様子を面白く構成していたからだ。それはドストエフスキーの大審問官を映像として想像ができるような構成で面白かった。またそこでは天文「学」というのは憚られるが親にねだり東京の天体望遠鏡メーカーまで親子で出かけ買ってもらった口径6センチの望遠鏡で月や木星のガリレオ衛星を眺める天体観望大好き少年だったアカショウビンが「天文」の文字に飛びつき中学のころ読み出しにも関わらず途中で投げ出したガリレオの「天文対話」の話も紹介されていたからだ。「天文対話」を読もうとする中学生とは「ませた」というよりいやなガキだろう。しかしガリレオという人はたいした人物だ、と中学の時には理解できなかったのが、そのテレビ番組を見てよくわかったのだった。

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