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2006年4月 5日 (水)

国家とは(続き)

  辺見 庸氏の「抵抗論」( 2005年11月15日 講談社文庫)でAという死刑囚の逸話が紹介される。彼が収監されている間に拘置所は400億円以上かけて建て替えられA氏も新しい監房に移されたという。そこは以前の監房と異なり外界から完全に遮断され、それによる心身の障害は増える一方で「監獄や拘置所といった公的閉域のありようは国家の貌をなにがしか象徴するものだ」(p123)と辺見氏は述べる。

 A氏の母親が息子に面会するためには施錠された四つの鉄の扉を通らなくてはならないという。その空間に閉じ込められた孤独を私たちはどのように想像できるか?

 また世界の飢餓人口は毎年400万人増えているのだそうだ。2001年以降は特にアフガニスタン、またアフリカ、アジアの各国で飢餓が深刻になっているという。辺見氏はその各国を訪れ事実を眼のあたりにしたうえで飽食・金満体質から生じる国の歪さに眼を差し向け年間の自殺者が3万人を超える異常を指弾する。 

 また日本国憲法について論じ「人間相互の関係を支配する崇高な理想」とは何かと訝る。「国家とは何か」を問う辺見氏の問いに首相以下、政を司る諸兄は全身全霊で応えねばならない。もちろんアカショウビンを含めた国民も。

 この著作で辺見氏はアカショウビンにとっても懐かしい作家を引用する。高橋和巳だ。大学紛争の渦中、京都大学で職を賭して学生の側に立ち辞職した高橋和巳は小説を書き続けたすえ直腸ガンを患い39歳で斃れた。辺見氏も同じく脳出血と大腸ガンの病に襲われ闘病生活をおくっておられる。39歳で亡くなった高橋和巳からすれば辺見氏は長く生きている。しかし臨死体験とガン闘病の二重苦に見舞われても高橋和巳の生き様は作家としての辺見氏にとっては一つのモデルでもあるのだろう。高橋和巳の「誠実」はアカショウビンも高校から大学にかけて著作を読んだ時に実感した。

 辺見氏は高橋和巳と赤軍派幹部たちとの対話を引用するなかで「国家とは監獄を持ち戦争を行使するシステムだ」(取意)と述べる。また高橋和巳が、仲間の逮捕者を奪還するために闘争することは「国家の中枢に刃をたてること、国家の逆鱗に触れることですから」(p57)と述べたことに「多少の違和感をもったが、なにを馬鹿なことを・・・・・・とまでは思わなかった」と続ける。

 国家とは何か。さらに考察すべきだろう

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