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2006年4月29日 (土)

高瀬舟

 先日、中国で日本文学を勉強しているという大学3年生の女性からメールを頂いた。その女性は、昨年、アカショウビンもたまに拝見しているあるホームページの、本の話題を交わすコーナーで、私は中国で日本文学を勉強していて今は源氏物語を読んでいるが、「もののあはれ」ということがわからない、誰か教えてくれませんか、という質問をしていた人だった。そのときアカショウビンも自分なりの考えをメールで送った。その経緯の一端は昨年6月23日のブログに「もののあはれ」という題で書いた。しかし、その返事はなく、1年近くたって、先日、返事が来たというわけだ。

 それから2度、メールのやりとりをした。最初は萩原朔太郎の「竹」という詩の解釈について彼女が尋ねてきた。次は鷗外の「高瀬舟」についてだった。「竹」についてはさておく。「高瀬舟」はアカショウビンも高校か大学の頃に読んで以来で内容も忘れていた。彼女のメールに回答するために、きょうの午後、本棚から鷗外選集全21巻(全部揃えているわけではない)のうちの第5巻に収載されている同作品を読み直した。

 読み終えた時に、この作品が何年か前に新聞等で取り上げられていた事を思い出した。それは安楽死についての意見のやりとりの中であった筈だ。医療問題や司法裁判の中で安楽死が論じられる過程で文学作品として安楽死問題を取り上げているこの作品が引き合いに出されていたのだと思う。

 そこでどういう論戦が交わされたのか覚えてはいない。しかし改めて作品を読み直すと久しぶりに鷗外の文章に接し背筋が伸びる思いをした。アカショウビンは鷗外が好きなのである。漱石より好きなのである。一般流通している写真のあの武骨な顔つきが「闘う家長」という風情でよい。ムムッ何やらこいつ出来るナという殺気があってよい。というより鷗外をアカショウビンは尊敬するのである。というわけで未読の鷗外作品を読もうと何年か前に思い立ったことがあった。通勤の合間に読むには新書版か文庫が都合好い。そこで古本屋で買い集めだしたのがその選集だった。

 鷗外は周知のように軍医だった。日露戦争にも参加したはずだ。そこでは平時の病院の中での死とは異なる戦場の死に多く出会ったであろう。そういった経験を踏まえて世に出したのが「高瀬舟」という作品である。

 安楽死という問題に果たして正解はあるのだろうか?末期癌などで苦しむ患者や彼らを治療する医師や介護する近親者達が楽に死なせてやりたいという思いにかられる状況は多く存在する。そこで起こる様々な論議は、それぞれに切実だ。

 作品の中で鷗外は、弟を「殺した」罪で遠島される喜助という罪人と、彼を高瀬舟で護送する羽田庄兵衛という下級役人を登場させる。喜助は子供の頃に「時疫」(コレラか何かだろう)で二親を亡くしたが、近所の人たちが「軒下に生れた狗の子にふびんを掛けるやうに町内の人達がお恵をくださいますので、近所中の走使などをいたして、飢ゑ凍えもせずに、育ちました」と庄兵衛の問いかけに答える。そのうち弟が病気で働けなくなってしまう。そして或る日、喜助が仕事から帰ってくると、弟が自殺を図り剃刀で喉を切り死にかけているところに出くわす。医者を呼ぶ、という喜助に、そんなことをして何になる、早く剃刀を抜いて自分を死なせてくれ、と哀願する。弟の傍らで、喜助はその通りにしてやる。そこへ近所の婆さんが入ってきて、あっと言ったきり婆さんは駆け出してしまう。

 喜助の話は条理が通っていて、これは人殺しというものではないのではないか、と庄兵衛は考え、それが果たして罪になるのかと訝るのである。

 作品の元になった原資料を鷗外は「附高瀬舟縁起」として作品の後に書き添えた後で次のように記す。

 「縦令(たとひ)教のある人でも、どうせ死ななくてはならぬものなら、あの苦みを長くさせて置かずに、早く死なせて遣りたいと云ふ情は必ず起こる。こに麻酔薬を与へて好いか悪いかと云ふ疑が生ずるのである。(中略)従来の道徳は苦ませて置けと命じてゐる。しかし医学社会には、これを非とする論がある。即ち死に瀕して苦むものがあったら、楽(らく)に死なせて、其苦を救つて遣るが好いと云ふのである。これをユウタナジイといふ。楽に死なせると云ふ意味である。高瀬舟の罪人は、丁度それと同じ場合にゐたやうに思はれる。私にはそれがひどく面白い。」

 先刻、たまたまNHKのテレビ番組「マチベン」という番組を観た。奇遇だが、そこでも安楽死を題材に興味深い内容が展開されていた。これは何かの縁である。いずれアカショウビンも自分自身や家族、親類、友人たちの間でこの問題に遭遇することがあるかもしれない。そのときに、どのように対処したらよろしいか。その切実な場面で参考となるべく、ここに記しておくのである。

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