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2006年4月18日 (火)

唯物論の系譜

 「カラマーゾフの兄弟」のイワンをドストエフスキーが「無神論者」と名づけても、それでイワンという人間の複雑さが、その命名で了解できるものではないのは作品を読めばわかる。同様に「唯物論者」についても同じである。林 達夫は著作集の第3巻(1971年 平凡社 全6巻)に「無神論としての唯物論」という表題をつけている。冒頭の「唯物論の歴史-ひとつの序説-」という論考は1950年2月に刊行されたものである。そこで林 達夫は「私の見解では唯物論の歴史は、実は宗教と反宗教闘争との全歴史における重要な一齣として書かれなければ大して意味をなさないのである。これはいいかえると、最もダイナミックな形での人類発達史を書くことにほかならない」(同書p19)と述べている。さらに「エピクロスやルクレティウスが古代、中世を経て現代に至る無神論=唯物論のなかに北極星のようにいつもかわらぬすがたで輝いて、心ある人々の導き手となっている厳たる事実は、流行の中の不易のようにまことに瞠目するに足りる」と続けている。

 解題を書いた久野 収は林 達夫の「唯物論者は必ずしも無神論者だとはかぎらないが、無神論者は必ず唯物論者だ」という文章の重い意味をこれからも考え続けたいと思う、という文章で締め括っている。林 達夫の卓見によればイワンは唯物論者ということになる。ドストエフスキーの生きた時代のロシアの言説空間がヨーロッパとどのように呼応していたかは興味深いテーマだ。

 吉本隆明さんの40年前の論考もまとめた「カール・マルクス」(光文社 2006年3月)が刊行された。所収の「マルクス紀行-幻想性の考察から『詩的』と『非詩的』の逆立へ」を図書新聞に書いたのが1964年7月18日号~8月29日である。氏が60年安保を経てエンゲルス、レーニン、マルクスを読み抜いていった時期にギリシャのデモクリトスとエピクロスまで遡る視線は、林 達夫の文章も読んでいただろう。「唯物論」と「無神論」を考察する時に林 達夫の論考に見られる歴史への視線の射程は凡百のインテリ達を軽々と越えている。エピキュリアン林 達夫も読み直しながら更にこの広大なテーマに少しでも肉薄できればいいな。

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