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2006年4月29日 (土)

高瀬舟

 先日、中国で日本文学を勉強しているという大学3年生の女性からメールを頂いた。その女性は、昨年、アカショウビンもたまに拝見しているあるホームページの、本の話題を交わすコーナーで、私は中国で日本文学を勉強していて今は源氏物語を読んでいるが、「もののあはれ」ということがわからない、誰か教えてくれませんか、という質問をしていた人だった。そのときアカショウビンも自分なりの考えをメールで送った。その経緯の一端は昨年6月23日のブログに「もののあはれ」という題で書いた。しかし、その返事はなく、1年近くたって、先日、返事が来たというわけだ。

 それから2度、メールのやりとりをした。最初は萩原朔太郎の「竹」という詩の解釈について彼女が尋ねてきた。次は鷗外の「高瀬舟」についてだった。「竹」についてはさておく。「高瀬舟」はアカショウビンも高校か大学の頃に読んで以来で内容も忘れていた。彼女のメールに回答するために、きょうの午後、本棚から鷗外選集全21巻(全部揃えているわけではない)のうちの第5巻に収載されている同作品を読み直した。

 読み終えた時に、この作品が何年か前に新聞等で取り上げられていた事を思い出した。それは安楽死についての意見のやりとりの中であった筈だ。医療問題や司法裁判の中で安楽死が論じられる過程で文学作品として安楽死問題を取り上げているこの作品が引き合いに出されていたのだと思う。

 そこでどういう論戦が交わされたのか覚えてはいない。しかし改めて作品を読み直すと久しぶりに鷗外の文章に接し背筋が伸びる思いをした。アカショウビンは鷗外が好きなのである。漱石より好きなのである。一般流通している写真のあの武骨な顔つきが「闘う家長」という風情でよい。ムムッ何やらこいつ出来るナという殺気があってよい。というより鷗外をアカショウビンは尊敬するのである。というわけで未読の鷗外作品を読もうと何年か前に思い立ったことがあった。通勤の合間に読むには新書版か文庫が都合好い。そこで古本屋で買い集めだしたのがその選集だった。

 鷗外は周知のように軍医だった。日露戦争にも参加したはずだ。そこでは平時の病院の中での死とは異なる戦場の死に多く出会ったであろう。そういった経験を踏まえて世に出したのが「高瀬舟」という作品である。

 安楽死という問題に果たして正解はあるのだろうか?末期癌などで苦しむ患者や彼らを治療する医師や介護する近親者達が楽に死なせてやりたいという思いにかられる状況は多く存在する。そこで起こる様々な論議は、それぞれに切実だ。

 作品の中で鷗外は、弟を「殺した」罪で遠島される喜助という罪人と、彼を高瀬舟で護送する羽田庄兵衛という下級役人を登場させる。喜助は子供の頃に「時疫」(コレラか何かだろう)で二親を亡くしたが、近所の人たちが「軒下に生れた狗の子にふびんを掛けるやうに町内の人達がお恵をくださいますので、近所中の走使などをいたして、飢ゑ凍えもせずに、育ちました」と庄兵衛の問いかけに答える。そのうち弟が病気で働けなくなってしまう。そして或る日、喜助が仕事から帰ってくると、弟が自殺を図り剃刀で喉を切り死にかけているところに出くわす。医者を呼ぶ、という喜助に、そんなことをして何になる、早く剃刀を抜いて自分を死なせてくれ、と哀願する。弟の傍らで、喜助はその通りにしてやる。そこへ近所の婆さんが入ってきて、あっと言ったきり婆さんは駆け出してしまう。

 喜助の話は条理が通っていて、これは人殺しというものではないのではないか、と庄兵衛は考え、それが果たして罪になるのかと訝るのである。

 作品の元になった原資料を鷗外は「附高瀬舟縁起」として作品の後に書き添えた後で次のように記す。

 「縦令(たとひ)教のある人でも、どうせ死ななくてはならぬものなら、あの苦みを長くさせて置かずに、早く死なせて遣りたいと云ふ情は必ず起こる。こに麻酔薬を与へて好いか悪いかと云ふ疑が生ずるのである。(中略)従来の道徳は苦ませて置けと命じてゐる。しかし医学社会には、これを非とする論がある。即ち死に瀕して苦むものがあったら、楽(らく)に死なせて、其苦を救つて遣るが好いと云ふのである。これをユウタナジイといふ。楽に死なせると云ふ意味である。高瀬舟の罪人は、丁度それと同じ場合にゐたやうに思はれる。私にはそれがひどく面白い。」

 先刻、たまたまNHKのテレビ番組「マチベン」という番組を観た。奇遇だが、そこでも安楽死を題材に興味深い内容が展開されていた。これは何かの縁である。いずれアカショウビンも自分自身や家族、親類、友人たちの間でこの問題に遭遇することがあるかもしれない。そのときに、どのように対処したらよろしいか。その切実な場面で参考となるべく、ここに記しておくのである。

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2006年4月23日 (日)

将棋名人戦

 名人戦の主催紙移行問題で日本将棋連盟の米長会長がホームページに経緯を書いている。しかし不明な点が多い。大崎善夫氏というかつて日本将棋連盟で働き5年前に円満退社、その後、村山 聖という夭折した天才棋士を題材にした「聖の青春」という本がヒットし、今や「小説家」を生業としている人の言動に将棋連盟が振り回されたのが今回の騒動の原因と米長会長は説明している。しかし大崎氏がどのように動いたのか説明不十分だ。日本将棋連盟、毎日新聞、朝日新聞が彼一人に振り回されたということなのか?

 米長会長は、大山康晴氏が亡くなる直前に大山氏の意向を汲み中原 誠氏、西村一義理事と共に3人で毎日新聞に残るべきと主張し、米長氏が名人位を獲得した後に、そのお返しに「毎日新聞の購読を10万部伸ばす運動」に一年間働いたと書いておられる。

 そして「どうかこのまま新聞社が移動しないことを念じております」と書いておられるのだが、それは毎日に留まることを念じているのか、朝日に移ることを念じておられるのか明瞭でない。

 ホームページには、そのあとで冒頭に書いた大崎氏をなじる文章が出てくる。今回の騒動では大崎氏の「一人芝居」と米長会長は説明するのだが一人芝居の内容が書かれていない。米長会長以下執行部の意向は毎日に残ることを決めているのか、それとも朝日に移行するのはやむなしとしているのか不明だ。いずれにしろ26日の総会で決着はつくわけだが、裏事情が茫漠としていて釈然としない。

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2006年4月19日 (水)

語り

  山本曜司というファッションデザイナーが、テレビでこちらに語りかけている。それはいつもの登場人たちとは明らかに異なる語りだ。そんなのでいいのでしたら出演してもいいですよ、といった交渉が透けて見えるような映像と語りだ、それは。一言でいえば変わっている。書いたものをただ読んでいる、むしろ陳述といったほうがよいかもしれない。しかし内容は面白い。アカショウビンには山本曜司という人物の「個性」が現象として現れているように思えた。その語りというより陳述と表情は、明らかに彼の意志の表れと解される。

 その番組の前には女優・岸恵子が女性アナウンサーのインタビューで女優・岡田嘉子の事を話している。それはまた異なる語りだ。かつて若い頃、その美貌の絶頂にあった頃は世の賞賛と追従を受け、怖いものしらずで世の中を睥睨したこともあっただろう。その女の今の語りは真摯で誠実そのもの。彼女が尊敬するという先輩女優の足跡をたどる語りはとても好もしく慎ましい語りと思えた。

 その二つの語りは鮮やかに異なり対照的だ。

 この時間のお二人の語りを見聞きするということはアカショウビンにとってどういう巡り合わせなのだろう?その前にはガリレオ・ガリレイの一生を紹介する番組も見た。のべつチャンネルを変えながら落ち着きのないテレビ好きであるアカショウビンにとっても、アルコールが入っていたとはいえ、こんなに興味深い三つの番組を次々と見させられるということはあまりない体験だ。しかし、それは偶然ではないようにも思われる。

 かつてユングとフロイトが書斎で会って話していたとき、ユングがある予知的なことを語り、その通りになったというエピソードがあった筈だ。ユングが何と言っていたか。それは実にユングらしい言い方というのか説明だった。「ユング自伝」のなかに書かれていたのか?それとも他でか定かでないが、それはユングとフロイトという人格の違いを鮮やかに示すエピソードだった。

 ガリレオの番組をつい最後まで見てしまったのはガリレオが人生の後半から晩年に異端審問にかけられた様子を面白く構成していたからだ。それはドストエフスキーの大審問官を映像として想像ができるような構成で面白かった。またそこでは天文「学」というのは憚られるが親にねだり東京の天体望遠鏡メーカーまで親子で出かけ買ってもらった口径6センチの望遠鏡で月や木星のガリレオ衛星を眺める天体観望大好き少年だったアカショウビンが「天文」の文字に飛びつき中学のころ読み出しにも関わらず途中で投げ出したガリレオの「天文対話」の話も紹介されていたからだ。「天文対話」を読もうとする中学生とは「ませた」というよりいやなガキだろう。しかしガリレオという人はたいした人物だ、と中学の時には理解できなかったのが、そのテレビ番組を見てよくわかったのだった。

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2006年4月18日 (火)

唯物論の系譜

 「カラマーゾフの兄弟」のイワンをドストエフスキーが「無神論者」と名づけても、それでイワンという人間の複雑さが、その命名で了解できるものではないのは作品を読めばわかる。同様に「唯物論者」についても同じである。林 達夫は著作集の第3巻(1971年 平凡社 全6巻)に「無神論としての唯物論」という表題をつけている。冒頭の「唯物論の歴史-ひとつの序説-」という論考は1950年2月に刊行されたものである。そこで林 達夫は「私の見解では唯物論の歴史は、実は宗教と反宗教闘争との全歴史における重要な一齣として書かれなければ大して意味をなさないのである。これはいいかえると、最もダイナミックな形での人類発達史を書くことにほかならない」(同書p19)と述べている。さらに「エピクロスやルクレティウスが古代、中世を経て現代に至る無神論=唯物論のなかに北極星のようにいつもかわらぬすがたで輝いて、心ある人々の導き手となっている厳たる事実は、流行の中の不易のようにまことに瞠目するに足りる」と続けている。

 解題を書いた久野 収は林 達夫の「唯物論者は必ずしも無神論者だとはかぎらないが、無神論者は必ず唯物論者だ」という文章の重い意味をこれからも考え続けたいと思う、という文章で締め括っている。林 達夫の卓見によればイワンは唯物論者ということになる。ドストエフスキーの生きた時代のロシアの言説空間がヨーロッパとどのように呼応していたかは興味深いテーマだ。

 吉本隆明さんの40年前の論考もまとめた「カール・マルクス」(光文社 2006年3月)が刊行された。所収の「マルクス紀行-幻想性の考察から『詩的』と『非詩的』の逆立へ」を図書新聞に書いたのが1964年7月18日号~8月29日である。氏が60年安保を経てエンゲルス、レーニン、マルクスを読み抜いていった時期にギリシャのデモクリトスとエピクロスまで遡る視線は、林 達夫の文章も読んでいただろう。「唯物論」と「無神論」を考察する時に林 達夫の論考に見られる歴史への視線の射程は凡百のインテリ達を軽々と越えている。エピキュリアン林 達夫も読み直しながら更にこの広大なテーマに少しでも肉薄できればいいな。

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2006年4月13日 (木)

追悼と名人戦

 今朝の朝刊を見て書いておかねばならないことをいくつか。

 その一。黒木和雄氏が亡くなられた。アカショウビンにとっては何より学生時代に観た「祭りの準備」(1975)の監督であった。それからずいぶんたって「TOMORROW/明日」(1988)を観た。作風は変化していたが新境地を開いたと強く感銘した。それに続く戦争レクイエム3部作と銘打った「美しい夏キリシマ」は見逃した。しかし一昨年は「父と暮らせば」を観た。幽玄と言ってもよいほど深みのある映像だった。氏のこの作品へのこだわりが感得できた。「祭りの準備」「竜馬暗殺」(1974)の黒木作品では凄絶な演技を見せた原田芳雄の役どころには不満もあったが娘役の宮沢りえは可憐で哀れな役どころを慎ましく好演した。また全編に染み渡る静謐と仕上がりには襟を正した。今年は8月に公開される遺作になってしまわれた「紙屋悦子の青春」を観てアカショウビンはご冥福を祈りたい。

 その二。名人戦が始まったその日に日本将棋連盟が主催者の毎日新聞との契約を白紙にしたのニュース。一将棋ファンにとっては寝耳に水だ。今朝の毎日の朝刊を読むと米長会長の写真入りの説明記事。隣に「毎日の名人戦守ります」の見出しで東京本社編集局長の観堂義憲氏が毎日側のコメント。しかし現実は既に連盟と朝日が結託して毎日は虚仮にされている!しかも理由が契約金という金がらみだという。いかに連盟の台所が厳しいとはいえこれはいかなる方針か。

 毎日に説明もなく水面下で卑しく(あえてこう言ってもよいと思う)策動した米長邦雄と中原 誠という偉大な二人の名人とはいったい何者なのか?永年のお二人の名勝負を楽しませて頂いた者には不可解というしかない。卑近に言えば日本将棋連盟は金で朝日に身売りしたわけであろう?それは。朝日は連盟と結託し金で名人戦を毎日から奪い取ろうとしている、そういうことであろう?それは。語るに落ちたのではないか、それは?

 各社の報道記事を併せ読むと、事態は米長会長以下執行部の独断専行のようである。昭和52年(1977年)、朝日から創設者の毎日に名人戦の主催者が移行した時の経緯を振り返れば裏事情が読めなくはない。升田幸三、朝日と大山康晴、毎日という確執が未だに現米長体制まで尾を引いているのではないか?それは深読みだろうか?米長が升田のために大山に意趣返しをしたという読みも出来る。

 最終的には5月26日に行われる総会に於いて表決で決議するという。現在は水面下で票集めが行われているであろう。アカショウビンは総会の多数決なら仕方がないと思う。しかし独断専行の執行部の動きは米長会長の意向に他氏が追随したものだろうが米長流の「無理筋」とアカショウビンは見る。個人責任の対局では許せても連盟所属のプロ各氏と将棋ファン、それと何より主催者への礼節を欠いた裏切りと言ってもよいだろう、それは。両名人のファンとしても、その連盟会長という職責の権力を断行した米長会長の動きは小泉政権のパフォーマンス性が垣間見えるだけに不快である。小泉の知力とは雲泥の差がある筈の米長氏の決断だけに残念だ。日本将棋連盟が毎日新聞をさしおき朝日新聞と結託してコケにした事実は泥沼流だろうが決してさわやか流ではない。

 その三。名人戦第一局は谷川挑戦者が負けた。それも残念。しかし7番勝負は未だこれからだ。今回の連盟の動向には谷川氏のような「礼節」の鏡みたいな将棋指しのご意見がもっとも知りたい。果たして米長会長は谷川氏を説得できるか?谷川氏の言葉、これが将棋界にこの30年間関心を持ち続けてきた者のもっとも知りたい声である。

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2006年4月12日 (水)

無神論者

 「カラマーゾフの兄弟」で無神論者のイワンが「大審問官」という表題で創作した叙事詩の舞台は16世紀のスペインのセヴィリア。イワンは「時はあたかも、神の栄光のために国じゅうで毎日のように焚火が燃えさかり、

 壮麗な火刑場で

 心あしき異教の徒を焼きつくす

 という異端審問のもっとも恐ろしい時代だ。」(原卓也訳)

とアリョーシャに語る。

 その前の章の「反逆」でイワンは信仰心厚い弟のアリョーシャとの会話のなかで次のように話している。

 「(前半割愛)俺が苦しんできたのは決して、自分自身や、自己の悪行や苦しみを、だれかの未来の調和にとっての肥料にするためじゃないんだ。俺は、やがて鹿がライオンのわきに寝そべるようになる日や、斬り殺された人間が起き上がって、自分を殺したやつと抱擁するところを、この目で見たいんだよ。何のためにすべてがこんなふうになっていたかを、突然みんながさとるとき、俺はその場に居合わせたい。地上のあらゆる宗教はこの願望の上に想像されているんだし、俺もそれを信じている。(以下略)」(同)

 無神論者のイワン、と改めて強調しておこう。そうでないと作者の語る、ある家族の「物語」がドストエフスキー特有の、巨大な渦が中央に雪崩落ちる前に、周りをゆっくりと回転するが如く、いくつものエピソードを飽きることなく語るのに付き合ううちに、作者の関心の的である神と人間の問題の所在を時に見失ってしまいそうになるからだ。ともあれ、この作品で作者が登場人物に割り振った性格でカラマーゾフ家の次男イワンと三男アリョーシャは作者の狙いをあざといほどに示している。ここで無神論者とは、空想的社会主義者ともいえるのだろうか。あるいは唯物論者とも。ともかく、信仰心厚い無垢なアリョーシャと対照的なイワンは俗にまみれているが、無宗教で通俗的な科学観に毒された私たち平均的な昨今の日本人にとってもアリョーシャよりは近い存在だ。

 引用の略した箇所でイワンは、悪行の限りを尽くす愚かで馬鹿な父親のために八歳で犬に食い殺された子供の話を引き合いにして、善良で信仰心厚い弟にあたかも教えを乞うように、また一転して激しく詰め寄る。「俺は神を認めないわけじゃないんだ、アリョーシャ」と言いながら。

 辺見氏が「カラマーゾフの兄弟」で、野村氏の指摘するように、この小説のひとつのクライマックスともいえる「大審問官」の章を意識して先の著作の第5章を書いたとするなら、アカショウビンは、この小説のなかに登場する人物では無神論者のイワンが辺見氏のように見えてくるのである。それは心優しい弟に切なく語りかけるイワンではなく、「叙事詩」を創作し、神は果たして存在するのか、とマナジリを決して切り返す「無神論者」イワンなのだが。野村氏が推察する理由の裏にも作家辺見 庸が叙事詩「大審問官」の作者イワンと重なって見えているのかもしれない。

 いずれにしても脳出血で臨死体験をしながらも生還したのもつかぬま、進行性大腸ガンで手術の艱難に会い続ける辺見氏のここ数年は、風貌さえもどこか「ダイ・ハード」のブルース・ウィルスを想い起こさせる。かのヒーローのように氏が辛苦を切り抜けられんことを。

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2006年4月 9日 (日)

大審問官

 今朝の朝日新聞に辺見氏の近著「自分自身への審問」(2006年3月10日 毎日新聞)の書評が出ていた。評者は野村 進氏という拓殖大学の教授でジャーナリストという肩書きだ。そこで氏は、辺見氏がドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」に登場する大審問官を意識しているのでしょう、と指摘しておられる。確かに書名のタイトルにもなった同書の5章で辺見氏に問いかける者は大審問官になぞらえることができなくもない。しかし小説のなかで無神論者の次男イワンが弟のアリョーシャに語る「叙事詩」で登場させる大審問官の口を借りて問いただす相手は復活したキリストである。まさか辺見氏が自分をキリストになぞらえるはずもない。

 あの問答はむしろ埴谷雄高の「死霊」の語りを借りたものと推察する。もちろん、その「死霊」もドストエフスキーの強烈な影響のもとに書き継がれた作品だから間接的に辺見氏がドストエフスキーを意識していると言えなくはない。野村氏は辺見氏の「もの食う人びと」の刊行後に「のべ十時間ものインタビュー」をした人らしく、その書評は書評というより私信の態をなす文章だ。

 恐らく、そのインタビューの折に埴谷雄高やドストエフスキーの話もされたのだろう。辺見氏が闘病の渦中、不自由な体でパソコンのキーを叩くうちに脳裏に「死霊」や「カラマーゾフの兄弟」の大審問官とキリストのやりとりの光景が浮かび、病に襲われた生死の際で己の「現存」を問いただすのに知らず問答という構成になったのかもしれない。

 その第5章の問答では「夜と霧」の著者V・E・フランクルも引用される。「生はいまや、与えられたものではなく、課せられたものであるようにも思われます。生きることはいつでも、課せられた仕事なのです。このことだけからも、生きることは、困難になればなるほど、意味あるものになる可能性があるということが明らかです」(『それでも人生にイエスという』山田邦男・松田美佳訳」、という箇所だ(p147~ p148)。それは娘を自殺で亡くしたクリスチャンの友人とのやりとりのなかで辺見氏が確認した文言である。

 「夜と霧」!辺見氏も、アラン・レネ監督のあの映画を見ているのだろう。アカショウビンも、あの作品を見たときの衝撃は忘れられない。虫けらのように殺されたユダヤ人の死体の山と、かろうじて生き残ったユダヤ人たちの姿・・・。

 私たちは今のところ戦争に狩り出され「国家」から死に赴くよう強制されることはない。しかし、その綻びが生じかけている。米国の圧力と現政府の権力中枢による改憲への動きである。「国家」は国民の生殺与奪の権力を握るシステムであることは、世界に存在してきた「国家」と、この国の過去の戦争を振り返れば自明だ。その誘惑に権力中枢は、さしたる熟考もなく米国という国の意向に尻尾を振り振り誘われ従う犬となっている。9・11以降の辺見氏の言説と警告は、そうした認識と危機感のもとに織り成されたものである。

 その章で辺見氏は友人との対話と自らの病状を通して、何事かを探り続ける。しかし、それは決して宗教的な救いを求める癒しとか憐れみというものではない。宗教とは自覚的に距離をとっておられる。むしろ、それは唯物論者の姿であり、虚勢ではなく辺見氏の生き様と鍛え抜かれた精神のようにも受け取られる。

 辺見氏を審問する者は皮肉と嘲笑に満ちて氏に迫る。しかし肉体は病んでいても、というより、それだからなおというべきか、氏の精神の張りはかえって研ぎ澄まされていくようにもみえる。肉体の疲弊を逆手にとって思考することを楽しんでいるようにも思われる。

 フランクルの文言から連想されるのはジャック・デリダが「死を与える」(2004年12月10日 ちくま学芸文庫 筑摩書房)の中で論じる言説である。デリダは旧約聖書の創世記を引用して、アブラハムと息子のイサクのエピソードを介し神と人の関係から派生する概念を思索する。そのうちのひとつはアブラハムに息子イサクを殺すことを要求する神とアブラハムのやりとりから生じる「許し」という行為である。創世記の異訳も参照しながら展開するデリダの言説は難解だがスリリングでもある。

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2006年4月 5日 (水)

国家とは(続き)

  辺見 庸氏の「抵抗論」( 2005年11月15日 講談社文庫)でAという死刑囚の逸話が紹介される。彼が収監されている間に拘置所は400億円以上かけて建て替えられA氏も新しい監房に移されたという。そこは以前の監房と異なり外界から完全に遮断され、それによる心身の障害は増える一方で「監獄や拘置所といった公的閉域のありようは国家の貌をなにがしか象徴するものだ」(p123)と辺見氏は述べる。

 A氏の母親が息子に面会するためには施錠された四つの鉄の扉を通らなくてはならないという。その空間に閉じ込められた孤独を私たちはどのように想像できるか?

 また世界の飢餓人口は毎年400万人増えているのだそうだ。2001年以降は特にアフガニスタン、またアフリカ、アジアの各国で飢餓が深刻になっているという。辺見氏はその各国を訪れ事実を眼のあたりにしたうえで飽食・金満体質から生じる国の歪さに眼を差し向け年間の自殺者が3万人を超える異常を指弾する。 

 また日本国憲法について論じ「人間相互の関係を支配する崇高な理想」とは何かと訝る。「国家とは何か」を問う辺見氏の問いに首相以下、政を司る諸兄は全身全霊で応えねばならない。もちろんアカショウビンを含めた国民も。

 この著作で辺見氏はアカショウビンにとっても懐かしい作家を引用する。高橋和巳だ。大学紛争の渦中、京都大学で職を賭して学生の側に立ち辞職した高橋和巳は小説を書き続けたすえ直腸ガンを患い39歳で斃れた。辺見氏も同じく脳出血と大腸ガンの病に襲われ闘病生活をおくっておられる。39歳で亡くなった高橋和巳からすれば辺見氏は長く生きている。しかし臨死体験とガン闘病の二重苦に見舞われても高橋和巳の生き様は作家としての辺見氏にとっては一つのモデルでもあるのだろう。高橋和巳の「誠実」はアカショウビンも高校から大学にかけて著作を読んだ時に実感した。

 辺見氏は高橋和巳と赤軍派幹部たちとの対話を引用するなかで「国家とは監獄を持ち戦争を行使するシステムだ」(取意)と述べる。また高橋和巳が、仲間の逮捕者を奪還するために闘争することは「国家の中枢に刃をたてること、国家の逆鱗に触れることですから」(p57)と述べたことに「多少の違和感をもったが、なにを馬鹿なことを・・・・・・とまでは思わなかった」と続ける。

 国家とは何か。さらに考察すべきだろう

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2006年4月 2日 (日)

声と音楽

 午前中、大嫌いとはいえカラヤンの格安のDVDで1984年の「ばらの騎士」を楽しんだアカショウビンは深夜にウィーン国立歌劇場再開50周年記念のガラ・コンサートを楽しんでいる。我が小澤征爾氏もベートーヴェンのフィデリオを振り喝采を浴びた。ズビン・メータの指揮でトマス・ハンプソン、エディタ・グルベローヴァといった錚々たる歌手が歌う「ドン・ジョヴァンニ」も楽しめた。この至福に感謝しよう。音楽と絵画に触発されながら今を生きるのもアカショウビンの「現在」なのである。

 彼の国のオペラ歌手達の美声に浸りながらアカショウビンは、声とは何か?現存在にとって音楽とは何か?といった問いにも誘われる。しかし、そんな事は、どうでもよいではないか、とも思うのだ。音楽に浸ることが「至福」ということではないか?アルコールの酔いに浸りながら、音楽にも酔う、これこそが至福だ、と。病を患ったという知らせを聞いた小澤氏は昨年11月のこのコンサートのあと入院したと思われる。早く氏の元気な姿を見たいと切に願う。

 その映像を観ながら、西洋音楽の現在の姿を通して、昼間に視たスペイン絵画傑作群に見る西洋文化の粋を納得するのも錯覚ではあるまい。成熟し生涯の爛熟にある歌い手たちの声とウィーン・フィルの演奏者たちの表情と演奏も楽しみながらアカショウビンは「西洋とは何か」という問いを改めて発する衝動に駆られるのであるが、それはまた後日の話だ。

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プラド美術館展

 閑話休題。雨の予報を聞き、空いているだろうから、これ幸いとばかりに上野の東京都美術館へ向かった。前回観たのはは2002年3月5日から6月16日まで開催された時だ。きょうは会場に辿り着くまでに上野の桜も楽しんだ。雨が降りだす前で幸いだった。

 4年ぶり(だと思うが)のプラド展では前回圧倒されたスルバランも陳列されていたが「磔刑のキリストを描く聖ルカ」のような大作はなかった。それにしても、あの作品の背景の空間の深みとルカの表情の対照には底知れぬ凄みがあった。今、そのカタログを見直しながら、その時の事を想い起こすのである。

 きょうの会場は一階にグレコが陳列され、2階にバッサーノの「ノアの箱舟に乗り込む動物達」など。そこに共通するのは、これらスペイン名画の基層にある「聖書」の或る光景の視覚化への強烈な意志の力である。画家達の精神に共通する「キリスト教」は根深く彼らの精神を抉っている。ニーチェが指摘した「民衆のプラトン主義」としてのキリスト教をここにも見出すことができる。

 会場に向かう前に見終えたスパイク・リーの「マルコムX」で、米国が偽善の国だと弾劾したマルコムXの叫びは、その本質にあるのは「キリスト教」という宗教思想なのだとも読み換えることが出来る。プラトンの説くイデアに反発したハイデガーは、プラトン以来2000年の時をかけて、新たな神学を構築し続けた西洋の歴史を、ここにも見出すだろうと思われる。グレコや巨匠達の描くイエス像を見ると、彼等の精神をいかにイエスという人物が深く挑発し、刺激し続けてきたか、ということが見てとれる。そんな事を、あれこれ考えながら会場を逍遥したのであった。

 お目当てのゴヤは「カルロス4世」と「アブランテス公爵夫人」が見事。ゴヤの肖像画の素晴らしさを改めて感得した。

 アカショウビンにとって今回の展覧会の白眉はゴヤとルーベンスだった。ルーベンスの「ヒッポダメイアの略奪」はオウィディウスの「転身物語」のエピソードを視覚化したもの。この衝迫感というか凄みはどうだろう。ルーベンスという画家の天才を彷彿させる作品だ。「転身物語」はかつて読んだ記憶を辿ったが殆ど思い出すことはできなかった。「ニンフとサテュロス」の不気味さは、このフランドルの画家がゴヤというスペイン絵画の奇跡を生みだす歴史に存在した西洋絵画の巨魁であることを納得する。会場に2点展示されていたクロード・ロランとプッサンの平明な風景画と対極にあるのがルーベンスやゴヤという天才の真骨頂なのだということがよくわかった。

 それにしても深い宗教感情が生み出す人間の姿は神話と呼応してゴヤに極まったという物語は、かつて堀田善衛が語っていたのではなかったか?氏は確かキリスト教の異端派も研究していてゴヤを通したヨーロッパの精神史への造詣は傑出していた。アカショウビンの西洋絵画への関心のある部分は高校から大学の頃に読んだ氏の「ゴヤ」によって励起されたことを思い出す。先日から読み直している「小林秀雄対話集」で小林が河上徹太郎との対談(昭和30年「藝術新潮」4月号) でプラド美術館を訪れた感想を述べている。そこで氏はゴヤに「一番動かされた」と語る。今回ゴヤの作品に正面しアカショウビンも小林の感想に同感したのである。

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2006年4月 1日 (土)

怒りとは?

 辺見氏の近刊を読んで改めて思うことは「怒り」とは人間にとって何か?という問いである。辺見氏の文言を通底する「怒り」を私たちはどのように受容するのか?辺見氏に言わせれば、そんな悠長な問いこそが今の日本人に蔓延する愚劣さ、ということになるだろう。しかしアカショウビンにとっては、そこが思考をスタートさせる契機なのである。その問いは果たしてこの世で生きる間に解決できるものかどうか。それでも、そこから始めるしかない。

 近刊の帯には「突き上げる衝迫のなか、死に身で書き抜いた生と死、現世(うつしよ)への異議、そして自分への「有罪宣告」!!というコピーが添えられている。

 9・11の後に参加した反戦のデモは主催者の考えで「パレード」と称されたそうである。そして、そこに見た参加者達の幾多の表情の中に多く見られた「笑い」を「この国独特のどこか安手のシニシズムのような空気でした」と感じ取る。それを「鵺のようなファシズム」とも指摘する。ハイデガーが言った「神性の輝き」を放っているのは「いまやキャピタル(資本)と市場だけではないですか」とも判ずる。「風景の耐えられない軽さ」という章の「風景」を「存在」に置き換えれば、それは彼の国の書物と映画作品のタイトルである。人間という現存在の軽さが「存在」の重さに変わることの希少をそれは伝えているようにも読める。

 確かに今の日本人に欠けているのは心底からの「怒り」だという辺見氏の怒りは聴き取るべき「声」だと思われる。現実の我々は、時に飲み屋で、この国の政治の現実に呆れ、怒り、放言し喚く。しかし、それが公の場にまで広がることはない。9・11の後の世界で、その「声」は弱々しく、カの泣くようなものでしかなかった。それは金持ち喧嘩せず、といった金満体質に侵されている人々の姿勢をいみじくも顕す現象でしかなかったとも言える。

 先日、友人と飲み屋で歓談しながらアカショウビンも、酔いに任せて辺見氏の近刊の感想を友人に吐露した。友人は学生時代に左翼の言動に辟易し今や神主の資格を取った、敢えて言えば「民間右翼」である。アカショウビンや彼が学生の頃に読みふけった吉本隆明氏の著作の話をすると「お前は未だに吉本教信者だ」と罵倒する失礼な輩だが、これには応戦しなけばならぬ。アカショウビンは、かつて新左翼と呼ばれた人々の書物も読んだが、その対蹠に位置づけられる福田恆存や小林秀雄、保田與重郎も読み続ける者だ。このブログ上では右翼的言説を弄するブログ右翼とも見なされかねない論説者である。しかし、それは誤解というものだ。一個の「実存」として今を生きるアカショウビンにとって、青年時代の左翼的風潮の中での言説は未熟な学生にとって彼等とのやりとりは平均的なものだ、と振り返ることもできる。若い頃の左翼かぶれは大人になれば麻疹のようになくなる、といった訳知り顔の言説に彼も与している気配がある。しかし辺見氏の言説の痛烈さに果たして彼はどのように対抗出来るのか?彼の訳知り顔と、豹変する表情に、彼の言説の正当性を紋切り型と見るのもあながち錯視ではないだろう。

 人は生涯に様々な生き方の正念場に直面する。アカショウビンも齢50を越えて体に不調をきたし、来し方行く末を思案し、これまでの人生の総括を始めなければならぬと覚悟している。己の生き様を、思考を通し収斂させ、考えを定着させようとするのが、このブログという場であることも改めて断っておこう。

 「マルコムX」という映画作品を観ながら、「怒り」は改めて、この身から吹き上げる焔(ほむら)として実感もする。しかし、それを実存論的に、存在論的に、思考する可能性も当然「存在する」のである。

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