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2006年3月16日 (木)

時間

 仏教の説く時間観や旧訳聖書に読めるユダヤ教の子孫系図、それは我が国に転ずれば日本書紀・古事記に見られる神々の系図ということにもなるだろうが、それに関わるデリダらの論説、我が邦では保田與重郎らの信仰告白を読むと、わが身を振り返り、ヒトが生きる時間の意味ということに立ち止まらざるをえない。

 昭和天皇が亡くなられたときに「ヒロヒトと呼ばれた天皇の死に」(1989年1月18日 切り抜きには新聞社名が見えないが)という題で論説を書いた加藤典洋氏が、その文章の最後に「今後の事象の表記には、西暦を用いていきたい」と述べている。それは天皇の死の度に変わる元号への違和と自らの天皇制に対する姿勢を闡明したものだが、そこで考えるのは西暦にしろ元号にしろ、それぞれの文化背景のもとでの歴史事象表記と、ヒトが生存している間の時間というものとは何か、という問いの難しさと広大さである。

 加藤氏の言説は、しかしそれで、その主張がキリスト教の時間・歴史観に絡めとられることに氏も無自覚ではないはずだ。アカショウビンのこのブログの時間表記も知らず西暦になっているが、それに今気付いた。いい加減な仏教徒である。しかしまぁ、とりあえずいいか、とアカショウビンは、実にいいかげんではある。しかし、日本人が戦前のように国の始まりを神話時代の或る時に定め、その時空間の中で生きるということもアカショウビンには居心地が悪い。ではどういう年号が?と問われると、うーんと唸りながら、まぁ、つらつら考えてみようではないか、としか言えない。強いて言えば「宇宙史=宇宙的時間」かな、とふと思ったりもするのである。

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