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2006年3月27日 (月)

民主主義でなく偽善

 先日、スパイク・リー監督の「マルコムX」がDVDで発売されたのを発見しアカショウビンは思案のすえ購入した。1993年に公開されたこの作品を、その後ビデオで見直して以来、何年ぶりかで見直すのも何かの縁というものだ。9・11の後、電波空間の中ではマルコムXの名前も飛び交い、アカショウビンもかつて読んだ彼に関する書籍を読み直しながら自説を開陳した。

 マルコムXは、「米国という国はデモクラシーではなくヒポクラシーだ」と饒舌に告発する。「アメリカン・ドリーム?それはわれわれ(黒人)にとって悪夢だ」。マルコムX流のレトリックだが、それは米国という国の本質を言い当ててもいるのではないか?スパイク・リーがマルコムXを映画化した理由はともかく、そこには米国の戦後の黒人の扱われ方と彼等の抵抗が映画作品としても高い水準でくっきりと描かれている。それはアカショウビンにとって「ミシシッピー・バーニング」に次ぐ佳作として何度も見直したい作品である。辺見氏が敵とする「米国」の姿はマルコムXの時代から半世紀近くが過ぎようとしている現在も、この作品を見れば本質は9・11以降も変わっていないと確認できる。それは黒人社会に対する姿としてマルコムXが告発した「米国は最大の殺人暴力国家だ」という姿だ。

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2006年3月26日 (日)

辺見氏のこと(続き)

  「自分自身への審問」という辺見氏の近刊(2006年2月25日 毎日新聞)でハイデガーとボリス・ヴィアンが引用されているのが興味深い。

 ハイデガーは第二次世界大戦の終結後、1945年12月、リルケ没後20周年の講演で「神性の輝きが世界史から消えてしまった」と語り「世界にとっては基礎付けるものとしての根底が見出されなくなっている」 「もはや神の欠如を欠如として認めることができないほどになっている(「乏しき時代の詩人」、『ハイデッガー選集』Ⅴ、手塚富雄・高橋英夫共訳)という箇所(同書 p80)である。

 辺見氏は、この慨嘆はただごとではない、として次のように続ける。

 「基礎付けるものとしての根底」なき世界という言葉は、ハイデガーの意図するところとは別に、ぼくにとって衝撃的でした。二十一世紀こそがもっともそうではないかと思うからです。

 これはアカショウビンが辺見氏に共感する論説のうちで意外性をもって読んだ箇所の一つでもある。辺見氏はハイデガーをナチス思想へ加担した責任はともかく、前世紀で無視できない哲学者という視点からその言説を引用している。その「衝撃」とは左翼的な言説が主導する戦後日本の言説の中でハイデガーを読んだ辺見氏の率直な感想として読める。ボードリヤールやドゥルーズ、あるいは9・11直後のチョムスキーの言説に触発された辺見氏の思索をそれは裏付けている。西洋の重要な言説を読み連ねるなかでハイデガーの戦後直後の発言として引用する辺見氏の論説は熟慮するに値する。それはハイデガーの言う「視界(ペルスペクティーヴェ=パースペクティブ)」の幅、あるいは「射程」の確かさを読み込んだうえでの発言として考察する必要があると思うからだ。

 ハイデガーの「存在と時間」が当時の哲学界、思想界にとって衝撃的な著作となったことは、その後のハイデガー評価を辿れば見やすい事実である。しかし、それがナチズムへの加担(それは一時的なものではないというのがヴィクトル・ファリアスの告発だが)を通したものである、と戦後に読み解かれるハイデガー哲学は西洋哲学への広大な視線、視界のもとで論じられる。ハイデガーが言う「西洋の運命」として論じる言説はキリスト教を含めた「西洋哲学」の根底を問う問いでもあったからである。

 ハイデガーは「ヒューマニズムについて」(1997年 ちくま学芸文庫 渡邊二郎 訳)で次のように述べる。

 「エッセンティア(本質とエクシステンティア(現実存在)との区別は、その本質の由来においては隠されているが、この区別は、西洋の歴史の運命およびヨーロッパ的に規定された歴史全体の運命とを、隅々に至るまで支配している。(p52)

 更に次のように続ける。(途中省略)

 「『存在と時間』のうちでは、エッセンティア(本質)とエクシステンティア(現実存在)との関係に関しては、なんらの命題もまだまったく言明されうる状態にはなっていないということ、これである。というのも、そこでは、ある先-駆的な事柄を準備することが、肝要だからである。この準備作業は、そこで言い述べられた事柄にしたがって見れば、甚だ不器用な仕方でしか果たされていない。いまもなお初めて言われるべきその事柄は、多分、人間の本質を次の地点に至るように大切に見守りながら導くための推進力になりうるであろう。思索することを通じて、人間の本質を隅々になるまで支配しているところの、存在の真理という次元へと、注意を向けるようになるという地点が、それである。けれども、このことといえどもやはり、そのつどただ、存在の尊厳を顕すためにのみ行われ、また、人間が、存在へと身を開きそこへと出で立つありかたにおいて耐え抜くところの現-存在のためにのみ行われるのであって、反対に、人間のことを思い煩い、人間の創造活動によって文明や文化が効力を発揮するようにと目論んで行われるのではけっしてないのである」。(同p53)

 この箇所は戦後のハイデガーがパリのジャン・ボーフレに宛てた書簡ののなかで開陳されているハイデガーのサルトル批判である。(18サルトル批判-形而上学と存在忘却)

 戦後フランスあるいは日本の思想界を牽引していたサルトルの哲学思想にハイデガーが「存在と時間」以後の「西洋の運命」を思索するなかでの発言として、これはとても興味深いではないか。辺見氏は若い頃、サルトルやチョムスキーら欧米の言説に刺激されたあと通信社の仕事で中国や海外での仕事を続けながら9・11以降は米国やアフガニスタンも訪れ思索を続行しているのは明らかだ。その「現在」での辺見氏の思索がアカショウビンにも実に興味深いのである。

 また引用されているボリス・ヴィアンはアカショウビンも熱心な読者ではなかったが学生の頃に読んだ著作である。実に久しぶりに「ボリス・ヴィアン」という文字に接し触発された。辺見氏は次のように引用している。(同書p77)

 ボリス・ヴィアンだって言っているじゃないか。この世には二つのものだけがあればいいって。恋とデューク・エリントンだけ。「ほかのものは消え失せたっていい、醜いんだから」(『日々の泡』の「まえがき」)。

 この箇所で辺見氏は反語的にボリス・ヴィアンを引用しているのだが氏の言説の背景にアカショウビンが共鳴する部分でもある。春の兆しが空気に感じられる日曜日にモーツァルトのコンチェルトやピアノ・ソナタを聴きながらこのような文章を綴ることができるアカショウビンの「今」は何と幸せな時ではないか。あるいはヴィアンの愛する「デューク・エリントン」は戦後フランスの中での「米国」という国家のひとつの意味を象徴させているとも言えるだろう。辺見氏の言説を読み共感、挑発されるのもアカショウビンの「現在」なのである。

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2006年3月21日 (火)

「国家」とは

 保田與重郎がいう「情勢論」にアカショウビンは、このブログという場で極力、距離をとっている。しかしながら「私」という「自己」の言説が表出、あるいは少しずつ漏れ出るのを止めることはできない。それを時に諦め、時に修整し、泡のような自説・妄説・戯言・論評を書き連ねているのだ。

 言い換えれば、それは「床屋政談」的な論説を吐露することは極力避けると言うことである。しかし時に、書きたい、書くべきだ、いや書かねばならぬ、と思い書き起こすことがある。そしてかつて書いた内容を書き直し、敷衍し、くどい表現を修整する。その悪戦苦闘の末、まぁ、これでいいか、と諦め公開に任せる。

 このブログという道具、あるいは「場」というのは匿名にしようが実名にしようが、それは「半公開的」な言説空間である。匿名で出したとしても、それがある人にとっては本音である場合もあるだろう。逆に実名だとしても、それは何かを隠蔽しているはずだ。人は裸体では社会へ出れない。同様に言説は修辞という衣裳を纏う。

 このような場でアカショウビンの言説も電波空間のなかの泡である。それが「先進国」「発展途上国」の内での人間という生き物の最先端の現在でもあるのだろう。しかし、それは未開状態で生きている人々には別世界の出来事と時空間に違いない。その具体例をアカショウビンは経験しているわけではないが、中国やベトナム、タイなど東南アジアの貧しい田舎を仕事で訪れた時に、それを想像させる体験はした。その日本と仕事で訪れた幾つかの外国の経験からしても、問題はその先にある。

 唐突であるのを承知で言えば、それは道元の言う、百尺竿頭一歩を進めなければ実存の新境地はない、という言説にも通じるだろう。現実の共同体や国家に置き換えれば、革命でも起こさなければ新たな「歴史」は開けないということにもなると思われる。

 先の「罌粟と記憶」で書いた、ドイツの「歴史」のナチズムの記憶は、少なくともインテリの間で、少し広く言えば「市民」の中で、更にはドイツという現在の「国家」の中で、抜きがたい棘のように、現在まで彼の国民やユダヤ人、ドイツという「国家」の歴史の中に様々な形で継承されている出来事であり記憶である。

 アカショウビンはかつて読んだ山本夏彦氏の文章に「祖国とは国語である」という文を読み共感した。それは山本氏の認識の表出である。そして、それに呼応すべく先に書いたある小説家のホームページに書き込み自説を開陳し、歴史的仮名遣いをもっと学校で教えるべきだ、と主張した。それには賛否両論の反応があった。

 「国家の品格」という著作の著者には「祖国とは国語」という著作もある。おそらく山本夏彦氏が述べた言説に呼応した著作と思われる。内田 樹氏の痛烈な批評をホームページで読んだが面白かった。それは、この国の現在のフラフラした言説空間への根本的な批判の一つと思えた。内田氏の他の著書も、いずれ読む機会をつくりたい。とりあえずアカショウビンは辺見氏の新作と、デリダや保田與重郎の著書を読み継ぎながら思考を継続させよう。感想は近く書き込むつもりだ。

 保田の「右翼的な」言辞と、辺見氏の「左翼的な」言辞に刺激される言説空間で吐くのがアカショウビンの言説であることは断っておきたい。それは保田の言う情勢論に陥らないところで自説を述べようとする意志と諒解されたい。

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2006年3月17日 (金)

辺見氏のこと

 辺見 庸氏が9・11以来書き連ねた文章にアカショウビンは殆ど同意し、たまたま縁のあった別の作家のホームページの掲示板でも多少過激に自説を主張した。その掲示板は引きこもりで苦しんでいる若い人たちの書き込みもあり大人たちとの交流が興味深かった。しかし9・11以降の過激な大人たちの応酬に若い人たちが呆れたのか萎縮したのか、掲示板は大人たちの罵りあいの様相を呈し荒れてしまい突然閉鎖した。そこは今も閉鎖されたままである。かように、ブログの登場でいったい幾つあるのか知れぬホームページで喧しく人々の呟き、怒り、呼びかけが電波空間を飛び交うなかで辺見氏は米国に対して自分は敵である、と自説を出版し、返す刀で自国のていたらくを告発した。その辺見氏の言説にアカショウビンは激しく同意したのである。

 その氏が2004年春、新潟で脳出血で倒れたという報を読み、2005年には大腸ガンも発見され手術されたとの報を読んだ。その後の経過を知りたかったが、ここへきて氏の現状をネットで知った。脳出血で右半身に麻痺が残っているにも関わらず意気軒昂である様子を読み、アカショウビンは心から氏の回復を祷り、臨死からこの世に立ち戻った氏の熱い文章に接したいと願う。

 辺見氏の姿勢は、あえていえば保田與重郎が大東亜の理想に賛同し近代の否定という一点で一歩も退かなかった潔さに通ずる。まぁ、辺見氏には迷惑なたとえかもしれないが。しかしながら還暦を過ぎ、ますます筆法の痛烈さを持続されんことをアカショウビンは心より祈る。

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2006年3月16日 (木)

時間

 仏教の説く時間観や旧訳聖書に読めるユダヤ教の子孫系図、それは我が国に転ずれば日本書紀・古事記に見られる神々の系図ということにもなるだろうが、それに関わるデリダらの論説、我が邦では保田與重郎らの信仰告白を読むと、わが身を振り返り、ヒトが生きる時間の意味ということに立ち止まらざるをえない。

 昭和天皇が亡くなられたときに「ヒロヒトと呼ばれた天皇の死に」(1989年1月18日 切り抜きには新聞社名が見えないが)という題で論説を書いた加藤典洋氏が、その文章の最後に「今後の事象の表記には、西暦を用いていきたい」と述べている。それは天皇の死の度に変わる元号への違和と自らの天皇制に対する姿勢を闡明したものだが、そこで考えるのは西暦にしろ元号にしろ、それぞれの文化背景のもとでの歴史事象表記と、ヒトが生存している間の時間というものとは何か、という問いの難しさと広大さである。

 加藤氏の言説は、しかしそれで、その主張がキリスト教の時間・歴史観に絡めとられることに氏も無自覚ではないはずだ。アカショウビンのこのブログの時間表記も知らず西暦になっているが、それに今気付いた。いい加減な仏教徒である。しかしまぁ、とりあえずいいか、とアカショウビンは、実にいいかげんではある。しかし、日本人が戦前のように国の始まりを神話時代の或る時に定め、その時空間の中で生きるということもアカショウビンには居心地が悪い。ではどういう年号が?と問われると、うーんと唸りながら、まぁ、つらつら考えてみようではないか、としか言えない。強いて言えば「宇宙史=宇宙的時間」かな、とふと思ったりもするのである。

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2006年3月14日 (火)

すでにさきあり

 先のブログで引用した道元の「生死」で紹介した「すでにさきあり」の水野さんの注釈は「現成公案」の一節からのものである。その前の文は次の通りだ。

 たき木はいとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。しるべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり。前後あるといえども、前後裁断せり。

  この後、道元は次のように続ける。

 灰は灰の法位にありて、のちありさきあり。かのたき木、はひとなりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、人のしぬのち、さらに生(しょう)とならず。しかるを、生(しょう)の死になるといはざるは、仏法のさだまれるならひなり。このゆゑに不生といふ。死の生(しょう)にならざる、法輪のさだまれる仏転なり。このゆゑに不滅といふ。生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり。たとえば、冬と春とのごとし。冬の春となるとおもはず、春の夏となるといはぬなり。

 ここには道元の、仏法を通した「時間」と人間の「生」に対する明確な姿勢が読み取れる。生きているということは、どういう出来事なのかという問いに道元は仏法の立場から自分の考えを述べている。ここは道元の思想と仏教の思想の急所、中核といってもよいところだ。

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2006年3月12日 (日)

罌粟と記憶

 パウル・ツェランの詩集「罌粟と記憶」(1952年)の「骨壷たちからの砂」の詩を読んでいるとレヴィナスやデリダと同様にツェランにも旧訳聖書の物語が詩想の背景に広く深く広がっているのを感じる。「荒野の歌」と名付けられた最初の一連は次の通りである(パウル・ツェラン全詩集 第1巻 青土社 1992年 中村朝子訳)

 花輪がひとつアクラの地で 黒ずんだ木の葉で編まれた―

 そこで ぼくは黒馬の首を廻らし そして死をめがけて剣を突き出した。

 そして又ぼくは 木でできた皿からアクラの泉の灰を飲み 

 そして兜庇をおろして 天の残骸に向かって進んだ。

 中村さんの訳では、この最初の一連のアクラについてギリシャ語のAkura(最も外れ、先端、前山あるいは頂上)と結びつける解釈もあると注釈されている。そして、このアクラは十字軍の際の拠点の一つであり、第三次十字軍において激しく争われ、1191年、リチャード獅子心王とフランスのフィリップ尊厳王のもとでキリスト教の手に落ちた地中海沿岸の町アッコンを想起させるとPaul Celanという人が1974年に指摘していると説明している。このアッコンという町の北方で1198年に設立されたOrden des Spitals S. Mariens vom Deutschen Hauseとはドイツ騎士団の前身であり、これは後に東ヨーロッパの異教徒の改宗に尽くし、その結果14世紀にはツェランの故郷のブコヴィーナも征服され、ドイツ人の入植が行われたことを挙げ、「アクラ」という語にパレスチナにおける十字軍の終焉のみならず、ツェラン自身のドイツ語の源泉への暗示も見出そうとしている、ということだ。

 ナチズムという西欧の歴史に深い傷となった出来事は彼の地で生きる人々には忘れられるべきでない事実として重く背負わされる十字架である。しかし、それは「人類」という進化した猿、あるいは類人猿と生物学的には分類されるのだろうが、その「存在者」の、現今の生物学でいえばDNAに組み込まれた抜き難い不良品の如きものだろうか。実存的に言えば身体で「悪性新生物」としてに異常に増殖し時に死に至らしめるガン細胞のようなものだろうか。その生き物の進化の過程で、それは果たしてどのように乗り越えられるだろうか、というのが現在に生きる私たち「現存在」の「自己」に課せられた課題とアカショウビンは思考する。

  同時にそれは、倫理とは何か、という問いとしても脳髄の奥で明滅するのだ。

 欧米の歴史過程ではキリスト教、ユダヤ教という宗教の影響下で暮らす人々が背負う「負債」あるいは、それを裏返せば「試練」とも「恵み」とも解釈されるだろう。それはまたイエスという男が、歴史の或る時、あるいは或る瞬間に十字架を背負い、民衆から石を投げられ、「国家」によって、あるいは彼を憎んだ対立者達によって殺された、という「歴史」を読み自らの生の血肉としながら生きている人々が住む時空間でもある。そこで問われるのは、その地で生み出された「倫理」が果たして私達が住む国やその周辺の国、あるいはこの惑星の反対側の地域でも通用するのか、という疑念である。

 イエスという男の、おそらく当時の人々にとっては賛否真っ二つに分かれただろう評価の渦中で、一人の男の死は、ヒトあるいは人類の「歴史」として文字に残されることで「出来事」はまるで次元の異なる位相に置き換えられた。この変換に鈍感であってはならないだろう。

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2006年3月11日 (土)

生死

 道元は正法眼蔵の「生死」のなかで次のように書いている。

 生より死にうつると心うるは、これあやまりなり。生はひとときのくらゐにて、すでにさきあり、のちあり。かるがゆゑに、仏法の中には、生すなわち不生といふ。滅もひとときのくらゐにて、又さきあり、のちあり。これによりて滅すなわち不滅といふ。生といふときには、生よりほかにものなく、滅といふとき、滅のほかにものなし。かるがゆゑに、生(しょう)きたらばたこれ生、滅きたらばこれ滅にむかひてつかふ(仕ふ)べし。いとふことなかれ、ねがふことなかれ。(底本秘蜜正法眼蔵) 

 「すでにさきあり」という箇所には岩波文庫版(1993年)では「薪は薪の法位に住して、さきありのちあり。前後ありといへども、前後裁断せり」と注釈が付けられている。それは道元の時間観(今風に言えば時間論だろう)を説明する必要があるからだと思われる。秘蜜正法眼蔵は校注をされている水野弥穂子さんによると道元の高弟である懐奘が所持していた六十巻のための巻から除かれたものということだ。正法眼蔵には後の時代に様々な異本が現れているので水野さんはじめ寺田 透氏らの詳細な研究が助けになる。

 アカショウビンは学生時代、寺田 透氏の「道元の言語宇宙」(1974年 岩波書店)にいたく啓発され正法眼蔵は時に引っ張りだし未だに繰り返し読み続けている書物である。難解だが深遠、闊達で襟を正す自在な名文に眼を凝らすと怠惰で呆けたアカショウビンの日常に痛棒をくらわす効果は覿面だからだ。

 ハイデガーやレヴィナス、デリダらのキリスト教、ユダヤ教を背景にした欧米の生死観を読みながら我が国の生死観を振り返るとアカショウビンは常に道元に戻るのである。

 先に書いた44歳の若い社長の死を、生より死に移ると我ら衆生は考えがちだが、道元はそれを厳しく戒める。「滅きたらばこれ滅にむかひてつかふ(仕ふ)べし。いとふことなかれ、ねがふことなかれ」の言説は繰り返し再考し、血肉とすべき境地と心得るのである。

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2006年3月 9日 (木)

春の夜の夢

 枕だに知らねば云はじ見しまに君語るなよ春の夜の夢

 これは保田與重郎が「和泉式部私抄」で挙げている(p60)式部の傑作という新古今にも撰ばれた歌である。「女歌のほまれはこの一首に極つたのである」と保田は激賞している。その前には

  變らねば文こそ見るにあはれなれ人の心はあとはかもなし

の歌がおかれている。 「その作品には時代人間を超越した崇高さが感じられる」とする保田は

  願わくは暗きこの世の闇を出でて紅き蓮の身ともならばや

という歌も引く。紅き蓮は当時蓮華往生と解釈されていたのを、川田順氏が地獄の紅蓮の焔だと解釈した。なるほど、そう取れば式部の激情がそこに躍如しているようにも読める。

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2006年3月 8日 (水)

崇高と神秘 序論

   死とは何かを考えるということは、ハイデガーいうところの「現存在」、分かり易くは「私」にとって、生きるとはどういうことか、という問いでもある。そこで、この日常を生きて凌ぐということは、怠惰で呆けたアカショウビンの日常に光射す経験をもたらす崇高と神秘という概念を考察することにもなる。実存論的に、存在論的に、現象学的に、それはどのように分析され、かつ綜合できるだろうか

 崇高とは実存論的な人間行為の中にも生じるだろう。ある種の人間は崇高な存在として尊崇される。そして多くの場合、そこには神秘という概念も一体となるのではないか?しかし実存としての人間は果たして崇高たりうるだろうか?人間という存在はおそらく「歴史」の中でしか崇高たりえない。それは宗教者といわれる人々であっても。むしろ、彼らこそが崇高とは限りなく隔たる反面教師でしかないのは誰もが見抜いているのではないか。いや、そうでもない?それが充分通用している場面はあちらこちらに見られるか!

 さて、経験的には、例を音楽にとると、たとえばマーラーの幾つかの作品に、その典型が聴きとれる。交響曲第3番の4楽章は正に神韻縹渺。崇高というより、それは神秘的というほうが正しい。アルトがニーチェの詩を、深い海の底から、あるいは星々の煌く天空の彼方へ呼びかけるように詠う。

O Mensch! Gib Acht! おお、人間よ!こころして聴くがいい!

Was spricht die tiefe Mitternacht?  深き真夜半が語っているのは何か?

"Ich schlief,ich schlif -, 》私は眠っていた、眠っていたのだ--

Aus tiefem Traum bin ich erwacht;- いまこそ深い夢から目覚めたところ--

Die Welt ist tief, 世界は深い。しかも

Und tiefer als der Tag gedacht.  昼間が想い描いていたよりも深い。

Tief ist ihr weh-,  世界の嘆く悲痛は深い--

Lust-tiefer noch als Herzeleid. 歓喜は-心の苦悩よりなおさら深いもの。

Wer spricht;Vergeh!  悲痛が告げるのは、うつろい滅びよ、ということ、

Doch alle Lust will Ewigkeit-, それなのに、快楽が永遠なる不死を欲する-

Will tiefe, tiefe Ewigkeit ! "  深い、深い永遠を欲するのだ!《  (深田 甫 訳) 

 ヴェルディの「レクイエム」にもそれは聴ける。モーツァルトの「レクイエム」のラクリモサは崇高と神秘というよりも、人間の本源的な哀しみといったものを表出している。また映像ではヴェルディを作品冒頭で巧みに使ったタルコフスキーの「ノスタルジア」もすぐに思い起こされる。

 では、崇高と神秘という概念は存在論的には、ハイデガーがいう世界‐内‐存在の何処に、どのように位置づけられるのだろう?あるいは世界-外‐存在というものを想定する必要があるのか?そのいずれでもなく、あたかも、それは、その中間にか? 世界-外‐存在という概念は果たして意味をなすのか?

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2006年3月 5日 (日)

至高の存在者

 前回のブログで死とは何か、と考え込み、アカショウビンなりに回答を出そうとしているが、たまたま読み止しにしていたジャック・デリダの著作を読み継ぎだしているので参考にしよう。それは必ずしもこの著作の意図にそうものではないが、そこで引き合いに出されるハイデガーの思想とデリダの思索は挑発的で刺激的であるのであえて引用する。

  デリダは「死を与える」という著作でチェコの現象学者、ヤン・パトチュカの論考を介してハイデガーに強い影響を受けたパトチュカが、どのようにハイデガーを越えようとしたのかの足跡を確認しようとする。

 したがってパトチュカは、こうしたハイデガー的な運動を意図的に逆行しているのである。彼はおそらく、責任というものが誰から来るものでもないとしたら、私の身をすくませ、私をつかみ、手や視線で捉えるような絶対的な存在者としての人格(ペルソナ)から来るのでないとしたら、真の責任も義務も維持されないであろうと確信しているのであろう。(こうした非対称性において、私はこの至高の存在者を見ることはない。私はそれを見てはならないのだ)。至高の存在者、無限の他者はまず私の上にやってきて、上から落ちかかってくる(たしかにハイデガーも、源泉が規定不可能なものである呼び声は、私からやってくるものでありながら、私の上に落ちかかること、私から発していながら私の上にやってくると述べている。Der Ruf kommt aus mir und doch über mich[呼び声は、私の中からやってくるのだが、しかもそれでいて私の上へと襲いかかってくるのである。]至高の存在者に私の責任の起源を帰着させることによってハイデガーと矛盾したことを言っているように思われる。というのも彼は別の意味で「キリスト教の神は超越を自明なこととする神学的な観念を取り上げ直している」のだから、ニーチェがキリスト教を民衆のプラトン主義と形容したのは正しいが、キリスト教と存在‐神学とのあいだには「深い原理的な差異がある」とも述べているからである。この矛盾から逃れるためには、至高の存在者についての思考を、あらゆる存在-神学から、ハイデガーが作り上げ、正当化しようとした概念としての存在-神学から、完全に解放しなければならないだろう(そしてそれはおそらくパトチュカの論説の暗黙の企てとしてとどまっている)。(「死を与える」 ちくま学芸文庫 2004年11月10日 廣瀬浩司訳 p71~72)

 ここでデリダが言う「至高の存在者」とは、先に仏教の「自力と他力」というタイトルで紹介した五木寛之氏が言う「阿弥陀仏」に対応している。五木氏は浄土教の他力の思想を説明して次のように述べていた。(2005年9月21日の「他力と自力」参照)

 「仏」(アカショウビン注:阿弥陀仏)は自分から近づいてきて衆生の袖をつかんで自分のほうに引き寄せるのだ、という思想である。自分がアンガージュしたように見えてもじつはそうではない。むこうから手をのばして引き寄せ、この手につかまれ、と呼びかけるのだ、というのが『他力』思想である」。

  それは、次のような死への考え方ともアカショウビンの中で反響する。  「<死>は、ひとの存在が共同幻想に出会うことだ。わたしたちの存在は共同幻想の<今>に出会おうとして時代の崖ふちをたどりながら、けっして時間の内側に陥ちこまないように駆けぬけてゆく」(吉本隆明「追悼私記」p185)

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