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2006年2月 1日 (水)

存在論的嗅覚論

 夢に海老が出てきた。正確には3種類の海老を、京都だかの料亭で饗され、そのうちから好きな海老を食べて良し、という贅沢な場を与えられている夢のような(夢なのだが)シチュエーションなのであった。アカショウビンは卑しくも、そのうちからドレニシヨウカナ、と品定めしながら匂いを嗅ぎ、ルンルン気分でいる時に目が覚めた。(笑)。

 或る西洋の賢者の考察によれば実存者とは意識である。意識とは仏教ではたしか六識で、嗅覚は五感のうちの3番目だった筈だ。睡眠の中で、私の自我は限りなく無限の中をたゆたっている。ところが夢の中に現れた3種類の海老は異なった姿で見えるのだが嗅覚が機能していない。これはどういうことか?五感のうち視覚は機能し嗅覚は機能しないというのは!(怒)

 新年会続きでアカショウビンの味覚は麻痺しているようだ。まだ現実の海老が宴会に出てきていないことに意識が抗議しているだけなのか(笑)。あるいは嗅覚は、ヒトの五感のなかで3番目に鈍感という生物学的兆候を示しているだけなのか?これは考察するに値する哲学的課題である。後日改めて思索してみようと思う。

 

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