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2006年1月 8日 (日)

年の始めに考ふべきこと

  今年は如何なる年になるらん、と或る人の問い給ひければ、吾、真意を直ぐには測り難かりしかど、これも何かの機縁と受け取りしかば、次の如く答へたり。

 曰く、今年が如何なる年になるか知らねど、互いの命永らへること自明と思ふは笑止なり。汝が先か我が先かは知らねど、人の一生一寸先は分明にあらず。如何なる年か、かくなる年か。何処の国の宰相の如くへつらひ笑いの面相にして賢しらなる戯言申すは滑稽なり。人の将来、世の未来に物申すことは、いかほどかの慎しみとあらん限りの智慧を駆ってすべし。

 また曰く。誠に人の一生は一寸先は闇。かく古人はいみじくも深きところから教へ給しなり。その教へ心に聴けども身に聴く人は稀なり。もし心身共に聴く人あらば頭を低くして彼の人の申すこと聞き漏らすべからず。それ師の器なり。

  しかあれば、年の初めに先ず心得るべきこと次の如し。汝と我の互いの生の危うきこと忘るべからず。如何なる年になるらんか、俄かに知ること難かり。然れども汝と我のこの世に在りて互いに言の葉交わせらるる事の不可思議革めて考へるべし。これ一大の不可思議にあらずや。西の洋の彼方の配出解留と言う人物、人はこの世に投げ入れられて在りと申せし。さればこの世の外とは何ぞ、またこの世とあの世と両世ありしか。等々いと不可思議なる事つらつら考へるべし。

 この年は戌の年とかや。戌は犬にはあらねども世間で言ふがごとき犬とすればそは実に賢き生き物なり。愚かしき人より賢きこと明らかなり。人、命永らへれば賢き犬よりさらに考への少しばかりも深めるべし。彼の人、吾のかく言ふに苦笑ひして立ち去りしなり。

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